1.児童用自己認知尺度について
プログラムによって、自己認知得点に変化が見られたのは、自己否定得点低群の児童だけであった。このことから、プログラムによって、自己否定的な自己認知がより肯定的な方向へと変化したということが分かる。これは、プログラム授業では、できる限り受容的な対応をするように心がけていたことなどが影響したのではないかと考えられる。そのため、普段は学校の集団生活の中で指導的な対応をされる児童などにとっても心地よい活動であったために、自己否定的な自己認知が改善したのだと考えられる。また、児童の提出物に対して、授業者が肯定的なコメントをして返却していたことによって、児童の自己認知がより肯定的になったことなども考えられる。
しかし、その他の因子では、高群、低群ともにプログラムによる下位尺度得点の変化は見られなかった。これは、活動が4回のみに限定されており、それぞれの回のテーマについて、深く考えたり何度も復習したりする機会がなかったことが考えられる。そのために、プログラムの内容がスキルとして身につかなかったために、自己認知についても変化が見られなかったものと考えられる。
2.自由記述の社会的スキル尺度の変化について
(1)関係参加行動について
関係参加行動では、「積極的参加」の記述の割合が増加し、「許可」や「質問」など参加したいという自分の意思を遠回しに伝えるような記述が減少していた。このことから、友人が行っている遊びに参加する時に、自分の参加の意思を明確に相手に伝達できるようになったと考えられる。
しかし、この項目では事前から遅延までに大きく変化が見られたものは少なかったと言える。その理由として、今回のプログラムでは、関係参加を扱う内容を行わなかったことが挙げられる。しかし、「相手に自分の意思を伝達する」という意味では、プログラムの内容と重複する部分もあったので、「積極的参加」の記述数が増加したのだろう。また、小学校6年生では、これまでの経験などによって、関係介入のスキルがある程度確立したものとなっていたことも考えられる。そのために、事前調査の段階から、高いスキルを示す記述が多く見られたために、事前と事後や遅延とを比較しても変化が見られなかったのだろう。
(2)関係維持行動について
関係維持行動では、「謝罪」の記述数が事後に減少していた。しかし、全体的な割合で見ると、大きな変化はないことから、全体的な記述数の減少が直接「謝罪」の記述数に影響したと考えられる。このことから、友人に悪いことをしてしまったと思ったら、きちんと謝るというスキルは、もともと持っていたと考えられる。また、事後に「言い訳」の記述数が減少していることから、事後ではあまり言い訳をせずに素直に謝罪しようとしていることが分かる。しかし、「言い訳」は自分が本を破ってしまった理由を相手に説明することにもなり、コミュニケーションスキルの一つとも考えられる。そのため、この変化が良いか悪いかを一概に述べることはできない。
また、「覚えがない」や「責任の転嫁」も事後では減少している。このことから、自分がやったことを素直に認めて謝ることができるようになったのかもしれない。しかし、遅延では、「責任の転嫁」が再び増加している。これは、自分がやった覚えはないことをきちんと相手に伝えることができると考えることも可能である。
さらに、「反論」や「感嘆」など、相手の気分を害するような記述が事後や遅延には見られなくなっていることから、相手の気持ちを考えた言葉を選択できるようになったと言える。
(3)関係向上行動について
関係向上行動についても、事後において「積極的援助」の記述数が減少していた。これは、全体的な記述数が減少したことが影響していると考えられる。このことから、援助行動にも大きな変化がないと見ることができる。よって、児童はプログラムの以前から、援助行動についても、ある程度のスキルを持っていたものと見なすことができるだろう。
「状態確認」の記述数の変化についても、全体的な記述数が減少していることが影響しているのかもしれない。
また、「応援」は、自分は友人を手伝わずに『がんばれ〜。』と応援するという文脈で書かれていると判断される。そのため、事後や遅延でこのような記述が見られなくなったのは、友人が困っているときにはからかったり知っていて素通りしないという見方をすれば、ポジティブな変化であると言える。
しかし、「放置・無視」の記述が事後に増加していることについては、相手の立場に立って考えることができなくなっていると判断できるので、プログラムの目的とは反対の変化をしていると言える。これは、同じ内容の質問紙を繰り返すことによって、質問紙に回答することに対する動機づけが低下し、児童が投げやりになっていたと考えることができる。
(4)共感的行動について
相手の気持ちを考えた言葉かけについても、「責任の分散」や「軽い励まし」などの発言は記述数が減少していたが、全体的な割合から見ると大きく変化しているとは言えないので、児童は落ちこんでいる友人に対して、相手の責任を軽くしたり、励ましたりするようなスキルを持っていたと考えられる。また、「未来志向」の発言が事後に減少していた。今回のプログラムの中では、「相手の気持ちを考え、共感する」という感情面での励ましの言葉かけを中心とした内容だった。そのため、『また今度一緒に練習しよう。』などの具体的・問題解決的な言葉かけについては取り扱わなかった。そのために、事前で「未来志向」の発言を記述していた児童が、プログラムの内容に沿った内容の記述に変化したと考えられる。
「気分・感情への励まし」の記述数は、事後に増加している。これは、第4回の授業で「相手の立場に立って共感する」という内容を取り扱ったためと考えられる。また、「無関心」の記述は、事後、遅延では減少しており、プログラムによって以前までは見て見ぬふりをしていた児童も、落ちこんでいる友人にどのように言葉をかければいいのかという表現のモデルが示されたことによって、何らかの反応を示すことができるようになったと考えられる。
「事実の伝達」や「自己感情の伝達」は、事後や遅延では見られなくなっている。「事実の伝達」に関しては、具体的に友人に助言した発言ではあるが、相手への共感的な発言とは言えない。このことから、よりプログラムの内容に沿った発言内容に記述が変化したのではないだろうか。また、「自己感情の伝達」については、共感的反応と捉えられる。
(5)不快感情の伝達について
「要望伝達」については、記述数にほとんど変化が見られなかった。これは、プログラムの実施前から、自分が友人にしてほしいことを伝えるというスキルを持っていたことが分かる。「現状の教示」「加担」「聞き流し」でも、記述数にほとんど変化が見られなかった。「現状の教示」は、設定場面が授業中だったためにこのような記述が多くなったしまったのだと考えられる。あまりにも日常の学校生活で起こりやすい場面設定だったので、不快感情の伝達というよりも、注意をする際の発言が多くなってしまったのだろう。このことから、質問紙の場面設定についても、今後再検討していく必要があるだろう。「加担」や「聞き流し」も、友人関係維持スキルとしては、あり得るスキルである。しかし、自分の不快感をきちんと伝えられてはいないという点では、プログラムの効果がみられなかったと言える。また、「相手の非難」や「命令」の記述数が事前よりも事後や遅延で減少していたことから、「相手を嫌な気持ちにさせないで、自分の気持ちを伝えよう」というプログラムの内容が、児童の記述の変化にも影響していると考えることができる。
「代案の呈示」が事後に増加していることから、自分の意思を伝えるだけでなく代案を呈示するという一段階進んだスキルも持っていることが分かる。これは、プログラムの影響とは言えないが、日常的にこのようなスキルを持っている子どもが、他の児童に対してモデルとなる働きかけをすることによって、自然に他の児童にも影響があったのかもしれない。
「無視」も、事後では見られなくなっていることから、自分の意思を伝えようとすることの大切さを少しでも分かったことが影響していると言えるだろう。
(6)リフレーミング課題について
リフレーミング課題では、児童の記述数に変化は見られなかった。これは、リフレーミングをテーマとした第3回の授業では、錯視図形のおもしろさの方に児童の関心が傾いてしまい、日常生活の中でのリフレーミング課題に深く踏み込むことができなかったことが影響しているのだと考えられる。小学生の児童には,錯視やいろいろな見方や考え方をしてみることの大切さを示すだけでは、授業内容を日常生活に生かすことにはつながらないと考えられる。そのため、具体的な場面を呈示して日常生活に当てはめてリフレーミング課題を練習するという活動を行うなどして、児童が実際の問題として考える機会を与えることが必要である。
(7)自由記述の質問項目全体についての考察
児童の回答内容の変化では、詳細に見ていくと多少の変化はあるものの、あまり大きな変化が見られなかった。その理由として、質問紙の量が多く内容が同じものであったために、児童の質問紙への回答に対する動機づけが低くなってしまったことが考えられる。そのために、事後や遅延では全体的な記述数が減ってしまっている。
また、児童の記述内容を見ていくと、事前の段階でもかなり高いスキルを示すような記述が多く見られた。そのため、プログラムの効果が現れにくかったことが考えられる。つまり、対象とした児童らは、プログラムの実施以前から、ある程度高いスキルを持っていたということになる。
そして、授業時間の45分間という短時間では、スキルの学習と言えるほど深いところまで踏み込むことができなかった。また、社会的スキルが日常的に身につくためには、くり返し練習したり、スキルを意識できるような働きかけを行うことが必要である。しかし、今回のプログラムでは、宿題などを出してスキルの定着を図ったが、十分とは言えない。やはり、プログラム授業以外の学校生活においても、スキルを意識できるような働きかけが必要であると考えられる。やはり、学級担任の先生などの協力を得て、日常的にスキルを意識できるような働きかけをしていく必要があるだろう。
3.総合考察
(1)プログラムの構成方法について
本研究では、プログラム構成の際に、対象学級の担任の先生に学級の様子やこれから身につけることが望ましいと考えられるスキルを尋ね、その結果を踏まえたプログラムの構成を行った。その結果、社会的スキルが不足していることによって友人関係に問題意識を持っている児童により大きな変化が見られた。このことから、児童や学級の実態に即したプログラム構成を行うことが有効であるということが示された。児童や学級の実態を授業者が把握していることによって、プログラムの中でのフィードバックや強調・重視する場面が異なる。また、児童にとっては、自分自身が問題意識を持っている内容であれば、日常生活にも応用しやすく、スキルの般化もしやすくなるであろう。
しかし、先行研究でも多く行われているように、研究者側が学校生活において必要となるスキルをあらかじめ設定し、プログラムを構成することにも意義があると思われる。まず、学級には様々な社会的スキルを持った児童がいる。それぞれのスキルのレベルと組合せは、無限にあると考えられる。社会的スキルの考え方では、「聞く」「話す」などの基本的スキルが存在し、その上に発展的な社会的スキルが発達していく。そのため、基本的な社会的スキルが欠如している児童には、そのスキルを補うような働きかけが必要である。また、基本的なスキルを十分に持っている児童にも、基本的なスキルを意識化することによって、日常の友人関係に意識的に活かしたり気づきをもたらすことができるのではないだろうか。このような観点で見ると、担任の先生にそのような問題意識がなかったとしても、プログラムにそのような内容を取り入れていくことが望ましいと言える。
このように、プログラム構成の際には、児童の実態と社会的スキルの基本的な知識とを考慮し、臨機応変に様々な活動を組み合わせていくことが望ましいと考えられる。本研究では、1ヶ月で4回という限られた時間の中で授業を行ったので、そこまで深く踏み込んでプログラム構成をすることはできなかったが、プログラムを実施しながらそれぞれの児童の反応や態度の観察などをもとに様々な活動を組み合わせていくことで、よりよい効果が期待できるだろう。
(2)大学生が授業を行うことの効果について
また、児童や学級の様子を最もよく把握している学級担任がこのような授業を実施するという方法も考えられる。しかし、何らかの方法で社会的スキル訓練や構成的グループエンカウンターなどの効用を知り、書籍などによって一から勉強することには限界があるのではないだろうか。まして、昨今の教師は仕事が多く多忙である。このような状況で、大学で心理学の講義を受け、心理学の知見を多少でも持っている学生や院生が学校に赴き、今回のプログラムのような実践を行うことには大きな意義があると考えられる。
また、大学生が実践を行うことで、心理学的視点を踏まえた児童の観察や学校の教師が気づきにくい視点からのフィードバックなどができる。このことは、担任教師にとっても、児童の普段とは違った能力や特性を発見することにもつながるだろう。児童にとっては、これまで気づかなかった一面をほめてもらったり、普段の授業とは違う活動を行うことによって、児童の自己認知にも変化が表れやすくなるのではないだろうか。
そして、小学生の児童にとっては大学生のお兄さんやお姉さんは、普段なかなか接することができない存在だと考えられる。親や教師とも、兄弟とも異なる大学生という存在は、児童にとってモデルの効果をもたらすだろう。本研究でも、大学生のお兄さんお姉さんが来ることをとても楽しみにしていた児童がいたと聞いている。また、実際に言葉にしなくても、プログラム授業を楽しみにしていた児童がいるだろう。
もちろん大学生にとっても、このような実践を行うことにはよい効果があるだろう。例えば、これまでの講義で知識として学習したことを、実践的に応用する機会となる。子のことによって、表面的にしか理解していなかったことを深く考察したり、理解することができるだろう。特に、教育学部で心理学を学んできた筆者のような学生の場合、子どもの発達や成長、また子どもの反応への対応や効果的な働きかけなど、学校教育においても重要となる視点や技術を得ることができるだろう。実際に、筆者にとっても、この実践や3年生から関わってきているわくわくコミュニケーションクラブの活動での経験は、学校教育と心理学との連携を考えていく上で、私の大きな財産となっていると感じている。
(3)フィードバックの効果について
今回の活動では、児童のふり返りシートなどの提出物に対して、コメントをつけて返却するようにした。この研究では、コメントをしたことの効果について断言することはできない。しかし、何らかのポジティブな効果があったと考えている。
まず、自己の活動のコメントや感想に対して、何らかのポジティブな反応があることは「自分の思ったことや感じたことが認められた」という思考につながり、児童の自信につながったり、自己否定的な言動が減少すると考えられる。
また、授業時間内には伝えきれなかったこと、強調して伝えたかったことなどをコメントとして児童に返すこともできた。このことが、児童に社会的スキルや授業についての内容を補足する役割を果たしていた。また、授業内容を再度確認することによる、リハーサルの効果も期待できるだろう。
(4)シェアリングの重要性について
今回の活動の中では、クラス全体でシェアリングを行ったが、あまり意見や感想が出てこなかったために授業者が一方的にこの授業で重要なことや、伝えたいと思っていることをまとめる形で授業が締めくくられた。そのため、児童が他者の意見や感想を聞いたり、他者の意見から自分の考えを深めたりする機会がほとんどなかった。やはり、プログラムの効果を高めるためには、様々な児童の気づきを共有し自分の意見を深めることによって、授業内容が心に残ったり身についたりすると考えられる。
今回行った工夫としては、第3回の授業の冒頭に、第2回のふり返りシートに書かれていた感想や意見を学級全体に紹介したり、感想カードを配付して児童が一番心に残ったことを書いてもらい学級で共有したりした。しかし、この方法ではそれ以上に深い話し合いができず、授業の目的や核心に至ることは困難であった。
あまりシェアリングが促進されなかった原因としては、対象が小学6年生で思春期にさしかかっており発表することをためらっていたこと、普段の授業とは異なる内容であったために児童がどのようなことをいえばいいのかよく分からなかったことなどが挙げられる。また、授業者が、意見を言いやすいように具体的に発問をしたり、発表しやすい雰囲気をつくれていなかったのかもしれない。「思ったことや感じたことを素直に言えばいいのだ」と思える雰囲気をつくり、児童が答えやすいようにシェアリングで話したい内容を具体的に考えておくことが必要だろう。
また、わくわくコミュニケーションクラブでは、グループに1人グループスタッフを配置することによって、グループ単位でシェアリングを行い、その結果を全体で共有するという方法がとられている。児童も少人数のグループの中では意見が言いやすく、またスタッフが個別にフィードバックを返したり質問をし直したりできるので、シェアリングが促進されやすい。しかし、実際に学校現場で行う際に、グループに1,2人のスタッフを配置することは困難であるとも考えられる。
今回は時間的制限や協力者の人数にも限界があり、シェアリングを全体で行うという形式を採用したが、対象となる児童・生徒の特徴によって様々な方法を試みながら、よりよいシェアリングを行えるように工夫することが必要である。
(5)児童の社会的スキルの測定尺度について
本研究では、先行研究の社会的スキル尺度を参考にして、自由記述により児童の社会的スキルを測定する尺度を作成した。また、分析はKJ法を使って記述内容の分類をし、各カテゴリーの記述数の変化について検討した。しかし、これだけでは児童の社会的スキルを適切に測定できているとは言いがたい。
まず、尺度の場面設定を検討する必要がある。言語的スキルとして測定しやすい場面や学校生活の中で児童が獲得することが望ましいスキルなどを厳選し、児童にも理解しやすい場面設定にすることが必要である。
次に、評定の問題がある。本研究では、カテゴリーに分けて記述数の検討を行うのみだったが、さらに社会的スキル訓練で用いられているような、スキル評定の観点を考慮して、児童の記述内容の得点化を行うことができるかもしれない。例えば、わくわくコミュニケーションクラブ(廣岡ら,2006)で行われているPAのようなRubricを作成し、評定の基準を設定することによって、簡易版PAのような社会的スキル評定を行うことなどが考えられる。これに関しては、これからも検討が必要であろう。
最後に、本研究では児童用自己認知尺度もあわせて実施したために、質問紙の量が多くなってしまい、児童の回答に対する負担が大きかった。そのため、事後や遅延では、質問紙に回答することに対する動機づけが低下してしまい、記述数が減少してしまった。今後は、児童の負担も考慮した尺度作成を行っていく必要がある。
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