問題と目的


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 障害のある子どもは、自己をどのように理解しているのだろうか。否定的であるのか、もしくは肯定的であるのか。

 2007年4月より、従来の特殊教育に変わって「特別支援教育」が始まった。特別支援教育とは、障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取組を支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善又は克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うものである(文部科学省,2005)。ここで注目したいのは、この教育が障害のある子どもの自立や社会参加を前提にしていることである。

 私たちが生活していく中、特に自立や社会参加をするうえで、障害の有無に関わらず自分を理解することは欠かすことができない。というのは、自分の性格や能力、得意不得意などを把握しておくことによって、何かの選択をしなければならないときに自分で選択・決定していくことができるし、それが自立や社会参加へとつながっていくことになるからである。これまで、障害のある子どもに対する教育において「自己選択」「自己決定」はその中核におかれてきた。障害のある子どもが、将来自立し社会参加するためにも自己を適切に理解することは重要だということができる。

望月(2002)は、通常教育に在籍した軽度発達障害者の自己理解に注目した研究を行っている。この研究では、障害のある人の就労を前提に、通常教育に在籍した軽度発達障害者は職業選択の時点になって初めて自分の障害を理解することが多いということを問題視している。そして、通常教育を選択した結果、そこから職業への移行をするにあたって自分の障害を受けとめられないということ、職業準備における課題未達成という課題が生じていることを指摘している。それに加え、障害のある本人と保護者の障害理解ということが重要であることを指摘している。

また田辺ら(2005)は、一人の高機能自閉症児を対象にした縦断的研究を行っている。そのなかで、児童期後期から始まる課題として「障害の自己理解・受容」の問題をあげ、学童期から青年期にかけて、自分自身をどのようにとらえてきたのかを発達的に検討し、高機能自閉症児の自己形成について考察している。対象児が高校2年時に行われた、「自己理解」・「障害理解」にかかわるアンケートの中の「障害があるとわかった時の気持ちは」という項目において、対象児は「すっきりした気持ち」と回答している。また、18歳になった対象児は、自分の苦手なことを考慮したうえで将来の職業についての希望を持ち、それと同時に自分の障害を客観的に理解し始め、障害のある自分というものを受容しているようだと筆者は述べている。自分のもつマイナスの部分を理解すること、障害を受容するということはとても難しいことではあるが、彼らが将来に希望を持って生活していくためにも障害のある子どもが自己を理解することはとても重要であるということができる。

ところで、まず考えておきたいのは「自己理解」とはどういうことを指すのか、ということである。一口に「自己理解」といっても、自分のどのような側面を理解するのかはっきりとはわからない。これまで述べてきたのは、障害理解を中心にした自己理解であり、その段階に至るまでにはさまざまな段階の自己理解が行われてきていると考えられる。

そこで、本研究では自己理解の中でも自己の評価的側面に焦点をあてたい。自己の評価的側面とは自分自身に対する評価を指し(小島,2007)、自分の障害を理解する・しない以前に自分に対して漠然と抱いているものだと考えられる。

では、障害のある子どもの自己理解はどのような要因に影響されるのだろうか。考えられる要因としては、両親やきょうだいなどの肉親や家庭環境、受けている教育、学習面、住んでいる地域の人、友人関係などがある。このように、障害のある子どもの自己理解にはさまざまな要因が考えられるが、その中でも本研究では友人関係に注目する。なぜならば遠藤・山口(1969)は、健常児の知的障害児に対する態度を扱った研究において、障害をもたない子どもの態度は障害をもつ子どもの性格形成さらには諸能力の発達に無視しえない影響を及ぼすことを指摘しているからである。

知的障害児と友人・他者との関係を検討している研究には様々なものがある。それらの研究から以下のことが明らかになっている。

まず1つ目に、知的障害児は友人や他者と関係を持つことに対する積極性があるということである。都筑・田中(1981)は、健常児と知的障害児の自己意識を比較・検討した研究を行っている。著者が作成した自己評価項目を小学2年生、小学5年生、中学2年生、養護学校(特別支援学校)に在籍する中・高等部の生徒に行った。その結果、友人関係に関連した項目において、年少ほど友人関係を強く意識し、知的障害児も同様の傾向があり、友人関係や対人関係に積極性をもっていることが明らかになった。

2つ目は、知的障害児は認知的・知的発達に伴い自己意識も発達する。そして他者との比較の中で自己理解が深まるということである。小島・池田(2004)は、知的障害者(平均精神年齢8.4歳)を対象に、彼らの自己理解に関するインタビューを行っている。その内容はDamon and Hart (1988)および佐久間ら(2000)を参考にして「自己評価」「自己定義」「理想自己」「過去の自己」を問うものであった。その結果、自己評価の中の「嫌いなところ」について、精神年齢が高くなると自分の嫌なところを理解し、回答できるようになることが明らかになった。また、田中・廣澤・滝吉・山崎(2006)は軽度発達障害児の、周囲との関係のなかでの自己意識の発達を検討することを重視し、彼らの保護者にインタビューを行った。そして、軽度発達障害児が他者との比較の中で周りの環境や自己の特性について意識し、疑問を抱いていていることが示された。

以上の先行研究から、障害のある子どもの自己理解と友人関係は関連があることが予想される。しかし、先にあげた先行研究では障害のある子どもの自己理解と友人との関係を直接検討してはいない。また、障害のある子ども本人に直接調査を行ったものも少ない。 そこで、本研究では障害のある子どもと友人との関係に注目し、障害のある子どもの自己理解と友人への認識との関連をみること、そして自己理解と友人認識には関連があるという仮説を提起することを目的とする。

この問題を明らかにするために障害のある子ども本人に個別インタビューと観察を行うこととする。今回対象とした子どもは小学校高学年(4年生〜6年生)の軽度知的障害児、高機能自閉症児(広汎性発達障害児)である。その理由として、1つは彼らは知的な遅れが少なく、精神年齢が7,8歳ごろになると他者との比較から自己評価できるようになる(Glenn & Cunningham,2001)ことがあげられ、インタビューにも回答可能であると思われるからである。2つ目の理由として、障害の違いによって自己理解の特徴が異なることが予想されることが考えられるからである。

また、個別インタビューと観察を行う理由は以下の通りである。1つは、インタビューを行うことによって対象児と直接関わることができ、データの密度が高くなるからである。これまで、知的障害児の自己に関しては選択式の質問形式を行うことが多かった。しかし、それでは知的障害児自身が抱いている自己について彼らの内省報告に基づいて調査しているとは言いがたく、自由な回答方法により対象者本人が抱く回答を導き出して検討する必要がある(小島・池田,2004)。2つは、観察をすることによって、質問紙などの多数標本研究では見逃される現象の詳細を明らかにできるからである(高坂,2000)。今回は個別インタビューを行っており、インタビューの回答だけでは知ることができない対象児の普段の学校生活を観察することによってより深く彼らの友人関係や友人への認識を知ることができると考えた。以上のような理由から個別インタビューと観察を行った。