問題と目的




  本研究の目的は4つある。1つは、様々な先行研究における想像上の仲間の定義に当てはまる想像上の仲間についてそれぞれどの程度現れるかを調べ、実態調査をおこなうことである。2つは、移行対象と事物の擬人化という2つの現象について、想像上の仲間との類似や相違を明らかにすることである。3つは、日本文化の幼児期における想像上の仲間の有無と社会的スキルの関連について検討することである。4つは、想像上の仲間を持つ子どもの親の個人的特徴をみることである。

1.想像上の仲間(Imaginary Companion)の定義
 幼児期の子どもは、自ら想像した世界で遊び、そのような遊びの中で想像上の仲間(Imaginary Companion)をつくることがある。想像上の仲間とは、幼児期から青年期前期に出現する空想であり、実在しないと認識しながらも、まるで本当にいるかのように感じられる想像上だけでの仲間や友達をいう。 想像上の仲間の研究は、主に欧米を中心に進められてきていたが、近年、我が国でも研究が増えてきている。しかし、研究者によって想像上の仲間の捉えられ方は様々である。想像上の仲間を持っている子どもは、病理と関連があるとして否定的に捉えられている研究もあれば、想像上の仲間がその子どもの発達に必要なものとして肯定的に捉えられている研究もある。 Fraiberg(1959)やFreud,A(1936)は、想像上の仲間の否定的な面を指摘している。彼らは、想像上の仲間が持つ適応的な機能を認めながらも、「想像上の仲間を持つことによって現実の対象との適切な交流が乏しくなり、現実と空想との境界が曖昧になる」とし、「青年期以降も想像上の仲間の存在が継続する場合は、病理的な側面も無視できない」としている。 しかし、最近では、犬塚ら(1991)の研究において、「想像上の仲間はほとんどがその子どもの友達と位置づけられ、優しさや共感、愛着あるいは好奇心や尊敬の念を持ち、その子どもの話を聞き、理解し支えてくれる存在や理想的な人物、あるいは淋しさを埋めてくれる遊び仲間である」と考察されており、想像上の仲間の存在を肯定的に捉えている。また、富田(2002)の研究によっても「想像上の仲間は子どもが直面する現実の困難さや辛さを乗り越えていくためのクッション役となり、後の創造的な想像力、適切な社会性、たくましいパーソナリティの獲得に向けて重要な機能を果たす」といったように、肯定的な側面が指摘されている。本研究においては、最近の肯定的な研究動向を参考に、想像上の仲間という存在は、それを持つ子どもをどのような形で支えているのかといった視点を中心に考察することとする。 先行研究の多くは、質問紙調査を中心に想像上の仲間の出現率、想像上の仲間を持つ子どものパーソナリティや環境的背景、想像上の仲間を持つ子どもの親のファンタジー傾向などを調査してきている。しかし、想像上の仲間は曖昧な部分を含んだものであり、研究者によって定義が異なるため、出現率などについての見解は研究者によって異なっているのが現状である。例えば、犬塚ら(1991)の研究では、想像上の仲間は「目に見えない人物で、名前がつけられ、他者との会話の中で話題となり、一定期間(少なくとも数か月間)直接的に遊ばれ、子どもにとっては実存しているかのような感じがあるが、目に見える客観的な基盤を持たない。物体を擬人化したり、自分自身が他者を演じて遊ぶ想像遊びは除外する。」というSvendsen(1934)の掲げた定義を用いている。その定義では、出現率は10%であったと犬塚ら(1991)により報告されている。 また、川戸(2001)の研究では、目に見えないものに加え、ぬいぐるみや人形等の具体的な見立ての対象があるものも定義に加えた。その定義では、出現率は36.4%であったと報告されている。このように、研究における定義の違いによりその結果は大きく差が見られるのが現状である。 このような現状を察し、友宏ら(2009)は今後の研究を発展させるために、想像上の仲間の様々な事例を比較検討し、定義を明確にすることが必要だと指摘した。そして、想像上の仲間の様々な研究から考察して、Svendsen(1934)の掲げた定義に「想像上の仲間には性格があること」を付け加えた。以上のような先行研究の定義をまとめると次のような表になる(Table1)。 本研究では、川戸(2001)と犬塚ら(1991)と友宏ら(2009)が使用した定義に当てはまる想像上の仲間は、それぞれどの程度現れるかを調べ、実態調査を行い、対象幼児にどの程度の特徴の差が現れるかを明らかにすることを第1の目的とする。

2.移行対象と事物の擬人化と想像上の仲間との関連
 石谷(2005)は、想像上の仲間と関連の深い現象として、移行対象や事物の擬人化(Personified Objects)を取り上げて想像上の仲間とそれらとの関連を深層心理学の諸理論に照らして考察している。「移行対象」とは、Winnicott(1953)によって「乳幼児が肌身離さず持ち歩き、それがないと著しい不安を示す毛布や人形、ぬいぐるみ、その他の無生物」と定義づけられた現象であり、母親を象徴的に代理し、子どもの情緒発達過程を促進するものである。そして、「事物の擬人化」とは、子どもがぬいぐるみや人形をあたかも人間のように扱うことであり、時には、対話をしたり、お世話を焼いたりする対象である。  石谷(2005)は、移行対象は、「人格化されていないものも含まれる」という点において、事物の擬人化や想像上の仲間とは異なるとしている。また、想像上の仲間は、「実在して目に見えて手に触れられることが可能な対象が存在するか否か」という点において移行対象や事物の擬人化と異なるとしている。しかし、いずれの現象においても、支持や理解によって心の痛みの緩和や安定もたらされる体験や空想が触発され空想世界での遊戯から満足をもたらされる体験といった心理的体験が見出せる(石谷,2005)。このように、石谷(2005)は、想像上の仲間現象は、目に見える実在物がないという点で異なるが、主観的な体験や果たしている心理的役割といった点では一般的な想像活動と大きく異なる点はないと考察している。 他にも、想像上の仲間と移行対象の関連について論じている研究者は多くおり、山口(2007)もその1人である。山口(2007)は、想像上の仲間は、移行対象が拡散して広がった、内的世界と外的世界との橋渡しをする中間領域に属する存在と捉えられるとしている。そして、想像上の仲間と移行対象ともに中間領域における自己対象と捉え、各発達段階において葛藤にさらされて傷つきやすくなった自己表象を守る働きをしていることがいわれている(森定,1999)。このように、移行対象と想像上の仲間や事物の擬人化と想像上の仲間についての関連について考察されてきた。しかし、それらの関連を実証している研究はない。 そこで本研究では、先行研究で想像上の仲間との関連が深いと考察されている、移行対象と事物の擬人化の2つの現象について、想像上の仲間との類似や相違を明らかにすることを第2の目的とする。

3.想像上の仲間を持つ子どもの社会的スキル
 想像上の仲間を持つ子どものパーソナリティについて多くの先行研究がある。そして、想像上の仲間をつくり出すためには、他者の思考、感情、行動の予測が上手くないといけない(Taylar,2004)ことから、特に社会的スキルに注目した研究が多い。 社会的スキルとは、社会的に受け入れられた学習性の行動であり、他者と効果的にやりとりし、社会的に受け入れられない行動を避けることを可能にするものである (Gresham & Elliott,1990)。中台ら(2002)は、幼児の社会的スキルを「円滑な人間関係を営むために必要な行動という側面である社会的スキル領域」として<主張スキル><自己統制スキル><協調スキル>の3因子と「人間関係を阻害する行動という側面である問題行動領域」として<不注意・多動行動><引っ込み思案行動><攻撃行動>の3因子、計2領域6因子から個人の社会的スキル領域を捉えている。 犬塚ら(1991)の研究によると、想像上の仲間を持つ子どもはそうでない子どもよりもおとなしく、引っ込み思案であるとしている。しかし、犬塚ら(1991)とは異なる知見も出されている。Carderiaら(1978)は想像上の仲間を持つ子どもはそうでない子どもよりも攻撃性が低く、協調性があるという。また、Taylor(2004)は、想像上の仲間を持つ子どもはそうでない子どもよりも心の理論ができており、内気な子よりも外向的な子のほうが多いという。このように先行研究では、想像上の仲間を持つ子どもとそうでない子どもの社会的スキルの違いについて多く研究されてきたが、いずれの先行研究にも問題点がある。 犬塚ら(1991)の研究は、大学生を対象とした回想的な研究である。被験者は当時のことを忘れていたり、想起内容が不明確である可能性がある。そこで、本研究では幼児期の親を対象にアンケート調査をおこなう。その理由は2つある。1つは、想像上の仲間の出現ピークは、2歳から4歳と5歳から10歳であり(麻生,2002)、3歳以前の出来事は幼児期健忘によって想起しにくい(藤村,2007)ため、普段の子どもの様子を知っている親を対象にすべきである。2つは、幼児期では想像上の仲間を親や兄弟にオープンに語るのに対し、児童期になると他者に否定されたり、からかわれたりする体験、またはそのような予感が想像上の仲間を語ることを抑制する(麻生,1991)ため、特に幼児の親を対象に調査したほうが良いと考えられる。 そして、Carderiaら(1978)やTaylor(2004)は欧米文化での子どもを対象としたものであるため、日本文化での子どもには当てはまらないだろう。先行研究では、日本文化での子どもの発達過程は欧米文化でのそれと様相が異なること(東,1994)や欧米文化での子どもよりも日本文化での子どもほうが他者への関心の始まりが早いこと(高田,2010)が示されている。これは、他者との関係において自己を認識することと日本文化の特性が関係していると考えられる。具体的な例として、日本は添い寝をするが、欧米では添い寝をせず幼いころから子どもは一人で寝るという文化の違いがあげられるだろう。このような文化差によって、日本の子どもは欧米の子どもよりも他者と接する時間が多いため、早期に自他の比較をし、そして自己を認識しやすいのだと考える。以上のことから、子どもが想像上の仲間をつくる上で、社会的スキルに欧米と日本では違いがあると考える。そのため、我が国の子どもの想像上の仲間とパーソナリティの関連を明らかにするには、日本に住む子どもを対象として研究を進める必要があるだろう。 よって本研究では、日本文化での幼児期における想像上の仲間の有無と社会的スキルの関連について検討することを第3の目的とする。

4.想像上の仲間を持つ子どもの親の個人的特徴
 想像上の仲間の認知度がまだ低い日本では、子どもが持つ想像上の仲間に対して「気味が悪いからやめて欲しい」と思う親が多いことが報告されている(川戸,2001)。また、子どもが悪いことをして叱られる際に想像上の仲間が現れて、子どもが想像上の仲間のせいにすることがあるため、親からしてみると「この子はずるいことをしているのではないか」とネガティブに捉えられ(立花,1994)、想像上の仲間の出現を発達的意味のある出来事として捉え難いといった問題があるようだ。そのような問題により、想像上の仲間が他者に否定されてしまうとそれは消失してしまうことがある(Taylor,2000)。以上のことからもわかるように、子どもが一定期間、想像上の仲間を持つには親の考え方が大きく関係していると考えられる。 また、魔法的な説明を日常的にしている親の子どもが想像上の仲間を持ちやすいこともわかっている(富田,2003)。魔法的な説明とは、例えば、自動ドアの仕組みについて子どもに尋ねられた時に、「足元にセンサーが付いていて、人が通ったらドアが開く仕掛けになっているんだよ」などと科学的に説明するのではなく、「このドアはひらけゴマって言うと開くドアだよ」、「魔法使いが開けてくれたんだよ」などのように説明することである。以上のことからもわかるように、親の会話の特徴は子どもの想像上の仲間の有無に影響している。 しかし、未だ想像上の仲間を持つ子どもの親の子育ての特徴と子どもの想像上の仲間の有無の関連は検討されていない。よって本研究では、岡田ら(2004)が作成した空想傾向尺度を用いて親の空想傾向を測り、親の想像上の仲間の有無や子どもの想像上の仲間への親の思いを尋ね、子どもが想像上の仲間を持つことと親の個人的特徴がどのような関連があるかをみることを第4の目的とする。 ここで、岡田らが作成した空想傾向尺度の説明をおこなう。岡田ら(2004)は空想傾向尺度として<異常な体験>、<空想の鮮やかさ>、<子どもの頃の体験>の3因子を作成した。さらに、岡田ら(2004)は、空想傾向と「健康的な側面から関連すると考えられる想像活動の関与」と「病理的側面に関して解離性体験の関与」の2側面と3因子との関連性を検討しており、想像的活動への関与を測るImaginative Involvements Inventory(III)という尺度においては、<空想の鮮やかさ>、<子どもの頃の体験>の因子に相関がみられ、もう一方の解離性体験尺度においては、<異常な体験>の因子が相関する結果となっていた。そこで本研究では、想像上の仲間の肯定的な部分を中心に考察するため、空想傾向の健康的な側面である<空想の鮮やかさ>、<子どもの頃の体験>の2因子を用いることとする。


トップへ

次へ