2.自責の念について
ダウン症児の母親が抱える自責の念とはどのようなものだろうか。
インタビューの語りより,ダウン症児の母親が“子どもに対して感じる自責の念”には,主に3種類があることが示された。
まずはじめに挙げられる自責の念は,出生時に表われると考えられる。ダウン症児の母親にとって,“ダウン症”という診断名告知を受けることは「障害のある子どもとして産んでしまった」という“子どもに対する自責の念”となっていた。
ダウン症児によっては,生後直後に手術を要する場合がある。インタビューの語りから,生まれて間もない小さなわが子を手術室へ送るという経験は,ダウン症児の母親にとって最も辛い経験となることが示唆された。“ダウン症”という診断名と共に,ダウン症は短命であることや合併症を引き起こしやすいと伝えられることが多い。この事実と実際に起こる辛い手術や治療は,ダウン症児の母親にとって苦しいものとなっていた。まだ小さな身体に,手術によって傷をつけてしまうという申し訳なさはダウン症児の母親の“子どもに対する自責の念”となっていた。
以上のことから,出生時にはダウン症児として産んでしまったという苦悩と,場合によっては,手術という辛い体験をさせてしまったという2つの苦悩が“子どもに対する自責の念”として表われることが考えられる。
3つ目に挙げられる自責の念は,子どもが集団に入ってからである。保育園や小学校・中学校などに入学してからは,ダウン症児の母親は,自分の子どもと周囲の子どもを比較してしまう自分に対して責める気持ちをもつ可能性がある。ダウン症児の母親は,自分の子どもは一生懸命努力しており,その成長を母親自身も認めているはずなのに,周囲と比較しては悲しくなるという葛藤に苦しんでいた。さらに,ダウン症児の母親は,社会に対して自分自身がかわいそうな存在だと思ってしまう自分は,あるべき母親でないという点において,自分自身を責めるという自責の念を抱いていた。
これらのことから,ダウン症児の母親に生じ得る“子どもに対する自責の念”には,「障害のある子として産んでしまって申し訳ない」という思い以外のものも存在することが考察される。
わが子に障害があるという事実は,ダウン症児にきょうだいがいた場合,ダウン症児の母親にとって“きょうだいに対する自責の念”を感じさせることがある。ダウン症児のきょうだいがいることは,他の子どもたちの今後についての不安が頭をよぎる。治療などに物理的時間を割くことやきょうだいにも支援を求めることがあり,子どもたちの進路や結婚,就職についてもダウン症児の母親は心配をする。このことは,上記で述べた“すべてを失う喪失体験”とも繋がる。
また,「実家も遠いんで,しょっちゅう私の両親も主人の両親も子どものこと見れるわけではないじゃないですか。だからダウン症っていう障害だけが1人歩きしてしまう。なので,ずっと言えなくて。隠すってよりは,心配をさせてしまうっていうのがあったんで。<A>」のように,孫に障害があるという事実を伝えることで,両親に心配をかけたくないという思いから子どもの障害について話せずにいたという語りもあった。この語りから,ダウン症児の母親は自分や夫の両親に心理的な負担をかけてしまうという“両親に対する自責の念”も感じる可能性があるのではないだろうか。今吉・稲谷(2015)は,障害のある子どもをもつ母親の育児不安に祖父母サポート機能がどのように関連しているか明らかにしている。今吉・稲谷(2015)は,配偶者よりも祖父母から情緒的サポートや情報的サポートを多く受けていると評価していることを示した。このことから,ダウン症児の母親が両親に対する自責の念によって,子どもの障害を伝えられないことは,ダウン症児の母親が貴重なサポートを受ける機会を失うことが懸念されるのではないだろか。
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