【考察】

 3.活動状態と経験の質について

 

 Massimini & Carli (1988)は挑戦水準と能力水準を基準に活動状態を,フロー,不安,退屈(リラックス),アパシーの4つに分類した。そこで本研究でもESMレポートから得られた689の活動を4つの状態に分類し,それぞれの状態における経験の質を比較するために一要因分散分析を行った(Table46-52参照)。その結果,充実度,集中度,満足度,楽しさ,コントロール感,他者無意識の程度において有意差が見られた。また,フロー状態において充実度,集中度,満足度,楽しさ,コントロール感が最も高く,アパシー状態において最も低くなった。そして,他者無意識の程度はアパシー状態が最も高く,フロー状態で最も低くなった。これより,仮説9は一部支持されたといえる。  

 これは,挑戦水準と能力水準の結果と一致したといえる。また,浅川(2003)の調査結果とも一致した。これより,フロー経験は挑戦と能力が高次で釣り合った時の経験であり,フロー経験が最適経験であることが実証されたといえる。また,4つの状態の中でフロー状態が他者からの視線を最も感じているともいえる。チクセントミハイ(2016)は,フロー条件の注意の集中を,その活動を行うこと以外の不安や抑鬱などを意識から除外し活動自体に意識を向けることであると述べている。つまり,フローに入るために必要な周囲の状況はかえって鮮明になっている可能性が高い。そして,フロー状態に入っている人は行っている活動に注意を向けつつ,その活動を行っている自分とその活動全体をメタ認知的に捉えていることが示唆された。チクセントミハイ・ナカムラ(2003)も自己目的的パーソナリティには,個人がフロー状態に入り,そこにとどまることを可能にする「メタ能力」を持っていると述べていることから,フロー状態にいる人々はこのようにメタ能力を持って自分自身と活動全体を捉えているため他者からの視線を最も感じていたのだといえる。  

 そして,アパシー状態はフロー状態と最もかけ離れた経験であるといえる。フロー状態では,「自己の課題をどのように解決していくか」「早く仕事をこなそう」といった目の前の活動や課題に対して自身の能力をどう活かすかといったことを思考しているのに対し,アパシー状態においては「面倒くさい」「何も考えていない」といった何に対しても無気力な様子が伺える。そのため,アパシー状態の人は充実度や満足度などのポジティブな経験はしづらいといえる。ただし,アパシー経験の中にはテレビの視聴など消極的レジャーもしており,その場での楽しさを感じている人もいる。これより,アパシー状態でも楽しさを経験をすることもあるが,フロー経験の楽しさとは質が違うといえる。  

 そして,この調査で注目したい点は,活動での充実度がフロー状態で最も高く,アパシー状態で最も低い点である。浅川(2003)は,充実感は日本人の精神的健康を考えるうえで最も重要な心理的側面であり,それは生きがいに通ずる感情であり,体感であると述べている。そのため,今回の結果は個人が精神的健康を維持・促進していくためには日常生活の中で,いかに多くのフローを経験していくかが重要なポイントとなることを示している(浅川,2003)。また,川口・豊増・吉田・鵜川・植本(2000)は,余暇の充実度が精神的健康と関連があることを示している。しかし,本研究ではフローと充実度と密接に関わっているであろう心理的well-beingの関係性は見られていない。そこで,従来の研究と本研究を踏まえて心理的well-beingの関係を考えると,フローと心理的well-beingは単純な関係性ではなく,フローの質と関わりがある可能性がある。つまり,フローの質が高ければ心理的well-beingが向上し,フローの質が低ければ心理的well-beingには影響しないことが示唆された。チクセントミハイ(2016)は,フローと幸福感のつながりは,フローを生み出す活動が複雑か否か,その活動が新たな挑戦へとつながり,それによって個人的,文化的な成長がもたらされるか否かにかかっていると述べている。すなわち,フロー構造が複雑な深いフローは心理的well-beingに影響を与え,フロー構造が単純,かつ没入度の低いマイクロフローは心理的well-beingに影響を与えづらいといえる。  

 以上より,フロー状態は非常にポジティブな経験であり,アパシー状態はそのポジティブな経験から最も遠い経験であるといえる。また,フローと心理的well-beingはフローの質の高さによって関係性の強さは変わるといえる。



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