1.はじめに
近年,日本中のさまざまな場所で,古き時代の昔からの景観を維持する動きが見られる。たとえば,広島県福山市の景勝地,鞆の浦においては,その埋め立て架橋計画をめぐって,地元民が景観維持を求める訴訟が起きている(鞆の浦とは,鞆公園。国指定の名勝で国立公園内にある。瀬戸内海の海流は,満潮時には,豊後水道や紀伊水道から瀬戸内海に流れ込み,瀬戸内海のほぼ中央に位置するこの場所でぶつかり,干潮時にはここを境にして東西に分かれて流れ出していく。つまり鞆の浦を境にして潮の流れが逆転する。「地乗り」と呼ばれる陸地を目印とした沿岸航海が主流の時代に,沼隈半島沖の瀬戸内海を横断するには鞆の浦で潮流が変わるのを待たなければならなかった。このような地理的条件は大伴旅人などによる万葉集に詠まれるように,古代より「潮待ちの港」として知られていた。また,鞆は魏志倭人伝に書かれる「投馬国」の推定地の一つともなっている。)
また,京都市でも建築物の高さ制限,屋外広告物の規制等があり,京都の優れた歴史的な街並みなどの景観を守り,未来に引き継ぐ活動が行われている。近年,日本では観光産業が大きく発展し,歴史的・文化的価値を有する観光地においては,その景観が再認識され,景観保全が大きな課題になっている。
ところで,観光資源に資する景観というのは,都会的な街並み等もあるが,山や海・植物群落等の自然に依拠するものを主とする風景を指すことが多い。いわゆる「風光明媚」な風景というのは,自然の眺めが清らかで美しいこと,山水の景色が優れて美しく人の心を引く場所ということで,中でも海の景観は,重要な観光資源として機能しており,その観光地は日本中に多数存在する。日本が海に囲まれた島国であることから,海に面した場所に人が住み,町ができ,産業が発達してきた歴史がある。そのような意味で,古来より日本人にとって海は親しみある存在であり,それは万葉集の歌や,また「白砂青松」といった言葉からもみられる。ちなみに「白砂青松」とは,白い砂と青い松,海岸などの美しい風景にいう(広辞苑)言葉である。たとえば,日本画の大家,横山大観も「白砂青松」の画を描いている。したがって,海は日本人にとっては原風景,すなわち「心の奥底にある原初の風景」の一つであり,海は日本人にとってノスタルジア感情(ノスタルジア感情の説明は後述する)を喚起させることが推測される。
本研究は日本人にとっての原風景としての海に着目し,海の景観(風景)がもたらす心理的影響について検討する。海の景観を見ることによってどのような海の要因がノスタルジア感情を喚起させるかについて明らかにする。
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