全体的考察と今後の課題
本研究では,成果につながらなかった過去の努力経験を想起させ,成果につながらなかった努力経験中に掲げていた目標,携わった人物についてと,個々の持つ努力観を尋ねた。本研究において,努力観の種類を分類し,努力の程度や質,掲げていた目標と携わった人物の影響を検討した上で,成果につながらなかった努力経験を大学生はどのように捉えるかについて明らかになった点をまとめると以下の通りになる。
1.努力観について
努力観の種類について,十答法で得られた190個の記述について浅山(2021)を参考にし,浅山と同様の大カテゴリーである【肯定的信念】,【否定的信念】,【規定因】,【動機づけ】【努力についての考え方の信念】の5つの大カテゴリーに,内容の類似性に基づいて分類した。次に,協力者がどのカテゴリーを回答したかについて,回答ありを1,回答無しを0に数値化し,数値化したデータを使用してウォード法によるクラスター分析を行った。クラスターの数の適切さと各クラスターに含まれる協力者数がなるべく均等になるように協力者を「社会的肯定否定両群」「社会的肯定群」「肯定群」「内外的肯定群」の4群に分類した。
4つの協力者群には「肯定的信念」が共通して関連していた。そのため,努力観においては,協力者全員が肯定的信念を持ち,努力観自体が肯定的な傾向にあると考えられる。
社会的肯定否定両群および社会的肯定群はいずれも「考え方の信念」が共通して関連していたが,両者の違いは努力に対する否定的な信念を持っているかどうかにある。ドゥエック(2008)によると,ドゥエックが提唱する二種類のマインドセットを,ほとんどの人が両方併せ持っていることを指摘している。努力観についても同様に,社会的肯定否定両群は肯定的な信念と否定的な信念と考え方の信念の三次元のカテゴリーについて回答しており,努力対象や努力する内容,努力の困難さによって,異なる信念を持っていることが考えられるだろう。
内外的肯定群は規定因と肯定的信念について回答していた。中カテゴリーの「内的要因」は,自己の才能,意思,能力について回答しているカテゴリーであり,中カテゴリーの「外的要因」は,他者との関わりや環境について回答しているカテゴリーである。努力観は,肯定的信念や否定的信念のように肯定否定の二次元だけでなく,努力は自己の力で規定されるものか,または他者の力で規定されるものかというように,複数の次元との関連から努力観が形成されていると考えられる。
本研究では,努力観の種類を分類し,協力者の回答の傾向を明らかにした。その結果,努力観は,根本的には肯定的信念から形成される傾向にあると考えられるが,努力対象や努力する内容,努力の困難さによって,異なる信念から形成されており,努力は自己の力で規定されるものか,または他者の力で規定されるものかというように努力の規定因においても違いがみられることから,努力観は,肯定的信念や否定的信念のように肯定否定の二次元だけでなく複数の次元との関連から努力観が形成されていると考えられる。
2.成果につながらなかった過去の努力経験について
努力経験中の目標は,自己志向的動機から形成されたもの,他者志向的動機から形成されたもの,あるいはその両方から形成されたものがあり,「自分のためでもあり他者のためにも努力する」「他者と一緒に努力することの大切さ」というように,いずれも他者からの情緒的なサポートが強く関連している傾向にあったと考えられる。
努力経験に携わった人物についての回答から,指導や治療などの道具的なサポートと,心の支えや心配,励ましなどの情緒的なサポートの,二つのサポートの存在が明らかになった。「携わった人がもしいなかったら,その努力経験に影響はあるか。」というインタビュー項目に対しては,19名の協力者全員が,影響があると回答した。携わった人がもしいなかったらと想定したときに考えられる「大きな影響の要因」では,「そもそも努力しようと思わなかった」「途中であきらめていた」という回答があげられたため,携わった人が努力経験に大きく関わっていることが示唆された。
成果につながらなかった過去の努力経験を大学生はどのように捉えるかについては,ポジティブな経験と回答した人が17名,ネガティブな経験と回答した人が1名,ポジティブな経験とネガティブな経験の両方と回答した人が1名であり,大学生は成果につながらなかった努力経験をポジティブな経験と捉えている傾向にあることが明らかになった。ポジティブな経験と回答した人は,努力した過程に対して,結果に現れると現れないにかかわらず,価値や自分への財産,意味を見出して,努力経験をポジティブな経験であると捉えている傾向にあった。ネガティブな経験と回答した人は,結果を出すことや目標を達成することを大きく捉え,努力経験の質や量を振り返り,成功する姿や成功している理想像になるためには何が足りなかったのかに着目し,後悔する気持ちから,努力経験をネガティブな経験であると捉えている傾向にあった。
しかし,協力者によってはネガティブな経験の側面があったとしても,ポジティブな経験と捉えることでその経験自体を正当化しようとしているようにも思える回答をあげていた。また,自己のためには成長することができたからポジティブな経験であるが,他者のためには結果的に上手くいかなかった経験のため,ネガティブな経験であると回答していたように,1つの努力経験に,ポジティブな経験とネガティブな経験の両方の側面があることを回答にあげていた。そのような回答から,ポジティブな経験と捉えていてもネガティブな経験の側面を併せ持っている場合や,反対に,ネガティブな経験と捉えていてもポジティブな経験の側面を併せ持っている場合,あるいは,ポジティブな経験とネガティブな経験の両方の側面を同じ程度併せ持っている場合があることが,本研究で明らかになった。
3.努力観と特性的自己効力感
努力観が『イメージ』から形成されている人は,努力観が『大切』から形成されている人よりも自己効力感が高いことが明らかになった。また,努力観が『経験』から形成されている人も,努力観が『大切』から形成されている人よりも自己効力感が高いことが明らかになった。
努力観が『大切』から形成されている人は,努力をする際に自分の中で「大切にしていること」が根本に存在し,努力に対する固定概念が形成されているため,達成行動においても,どの程度「うまくできるか」ということを想定する際に,自分の中にある固定概念が先行してしまう可能性が考えられる。努力観が『イメージ』から形成されている人は,努力観が『大切』から形成されている人よりも、「努力はどのようなものか」というイメージが先行して努力観が構築されているため,達成行動においても,どの程度「うまくできるか」ということを想定でき,自己効力感が高くなった可能性がある。また,努力観が『経験』から形成されている人は,これまでの経験から「努力とはどのようなものか」ということが,連想できて努力観が構築されているため,努力観が『大切』から形成されている人より,達成行動においても,どの程度「うまくできるか」ということを経験から想定でき,自己効力感が高くなった可能性がある。個人の持つ努力観が何から形成され,どのくらい具体的に努力観が構築されているかによって,自己効力感との関連がより大きくなるのではないかと考えられる。
本研究では,努力観の中で,一番初めの回答をあげた理由の,『イメージ』『大切』『経験』の3つのカテゴリーに類似性に基づいて分類した。分類したカテゴリーごとの協力者を比較し,協力者が持つ特性的自己効力感において,関連があるのかを検討した結果,特性的自己効力感との関連がみられた。しかし本研究では,成果につながらなかった過去の努力経験と特性的自己効力感との関連はみられなかった。特性的自己効力感は過去の成功と失敗の経験から形成され,個人差を持つことが指摘されている(成田,1995)。本研究では,特性的自己効力感の持つ個人差が,結果に影響を及ぼし,関連がみられなかった可能性が考えられる。
以上の結果と考察から,成果につながらなかった努力経験を大学生は肯定的に捉える傾向があることが考えられる。まず,個人の持つ努力観について,全体的には肯定的に捉えている傾向にあったと考えられる。努力観は,肯定的信念や否定的信念のように肯定否定の二次元だけでなく複数の次元との関連から努力観が形成されていると考えられるが,どの協力者においても,努力観の根本には肯定的信念が存在し,「努力をすること」自体をポジティブなことであると捉えている傾向にあると考えられる。
インタビュー調査においても,大学生は成果につながらなかった過去の努力経験をポジティブな経験と捉えている傾向にあったと考えられる。ポジティブな経験と回答した人は,努力した過程に対して,結果に現れると現れないにかかわらず,価値や自分への財産,意味を見出し,努力経験を肯定的に捉えて,次に生かそうとする傾向にあったと考えられる。
成果につながらなかった時に,自分の知能や人間的資質,才能や適性から,成果につながらなかった努力経験をどのように考えるのかというものが,マインドセット(=心のあり方)(ドゥエック,2008)であるが,ポジティブな経験と回答した人は,成果につながらなかった努力経験を糧に,次へ生かそうとする傾向にあり,マインドセットも,しなやかマインドセットを持つ人が多い傾向にあったと考えられる。
成果につながらなかった(=失敗した)時に,多くの人は落ち込んだりショックを受けたりするだろう。成果につながらなかったという「結果」に対して落ち込んだりショックを受けたりしたとしても,大切なことは,努力した「過程」を肯定し,成果につながらなかった努力経験を次に生かして努力を積み重ね,長期的な目でみていつかは報われるといった期待を持つことであると考えられる。また,これまでの経験を生かして,「努力はどのようなものか」というイメージを持つことで,達成行動においても,どの程度「うまくできるか」ということを想定することができる。その期待を持つことが,「できる」という感覚に繋がるのではないか。そうすることで,成果につながらなかった場合でも,努力した過程に意義を見出せるのではないかと考えられる。そして,努力する過程に価値があると日常的に認知することによって,日々行う努力に専念ができるため,何事にも積極的に努力できる力を持ち,努力することを肯定的に捉えることができるのではないだろうか。そのような努力の積み重ねによって人間は成長し,変化していくことができるのではないかと考える。
今後の課題は大きく分けて2つある。まず1つは,努力経験中の他者との携わりを求める自己の援助要請との関連を検討することが挙げられる。もう1つは,成果につながらなかった努力経験を肯定的に捉えるためには,成果につながらなかった努力経験を効果的に次に生かして努力を積み重ねる必要があり,そのためには「努力の質」と「努力の量」に関する検討を行うことである。
本研究では,成果につながらなかった努力経験を大学生は肯定的に捉える傾向があることが示唆され,努力した「過程」を肯定し,成果につながらなかった努力経験を次に生かして努力を積み重ね,長期的な目でみていつかは報われるといった期待を持つことで,成果につながらなかった場合でも,努力した過程に意義を見出せるのではないかと考えられた。そして,掲げた目標においても,努力経験中の達成行動においても,他者との携わりが大きく影響を及ぼしていたことが示唆された。
このような本研究の1つ目の課題として,自己の援助要請についてである。本研究で,成果につながらなかった努力経験中に携わった人物についてインタビューで尋ねた際に,協力者の回答の傾向から,他者との携わりにおいては,達成行動を成功させるために,自分から他者に援助を求めた場合と,自分から援助を求めていなくても,他者が援助を行い,その援助により結果的には影響があった場合が存在した。今後の研究では,他者との携わりが自己の援助要請から成立したものなのか,あるいは,他者からの一方的な援助によって成立したものなのかについて検討することによって,援助要請の違いが成果につながらなかった努力経験を肯定的に捉えることに影響を及ぼすか明らかになるのではないだろうか。
次に2つ目の,努力経験を効果的に次に生かして努力を積み重ねるために「努力の質」と「努力の量」に関する検討を行うという課題についてである。成果につながらなかった努力経験を,効果的に次に生かして努力を積み重ねるためには,努力経験のどの部分に着目するべきなのかを検討する必要があり,努力の質と努力の量に着目した検討が求められる。
近年,「努力の量だけではなく努力の質」 という表現が用いられるなど,努力の質と努力の量についての研究が行われている。例えば,豊田(2019)は,自己の成功経験の振り返りを行った方が,振り返りを行わなかった方よりも,その後の行動に対する努力量が増加していたことを明らかにしている。豊田(2019)の研究では,成功経験の振り返りであったが,失敗経験においても,振り返り後の努力量に違いがみられる可能性が考えられる。
本研究では,成果につながらなかった努力経験をポジティブな経験と回答した18名に,「反対にネガティブな側面はあるか」と尋ねた。その結果,ネガティブな側面があると回答した協力者が16名で,ネガティブな側面がないと回答した協力者が2名であり,ポジティブな経験と回答した人であっても,少なからず成果につながらなかった努力経験においてネガティブな側面が存在していたことが明らかになった。その問いの回答としてID8は,「努力の仕方。もっと、努力の量じゃなくて努力の質の部分で、こういう方法をしていたけれど、他にこういうことをやっていればもっとうまくいったのかもしれないと思うことはある」と回答をあげている。またID6は,「もっと違う方法だったら成功できたかもしれないし,もっと生活や勉強時間を自分でコントロールできたらもっと努力できていたのかもしれない」と回答をあげ,さらに「けれど,その経験も失敗を活かして次につながったらいいと思っている(ID6)」と回答をあげている。このように,ポジティブな経験と回答した人であっても,努力の質や努力の量にネガティブな側面を持つ傾向にあったと考えられる。
そのため,今後の研究では,成果につながらなかった努力経験の努力の質や量に着目し,改善点を見つけることで,成果につながらなかった努力経験を効果的に次に生かすことができ,努力を積み重ねることに繋がるだろう。そして,成果につながらなかった努力経験を肯定的に捉えるための,成果につながらなかった努力経験の捉え方が,より明らかになるのではないだろうか。
next→