1.はじめに
日本人特有の対人行動や対人感情などを理解するための鍵概念として、土居(1971)によって「甘え」の概念が提唱されて以来、多くの研究者の関心を集め、様々な議論が展開されてきた(玉瀬・脇本,2003)。土居(1971)は甘えを、「人間存在に本来につきものである分離の事実を否定し、相手との一体感を求めること」であると定義した。そしてさらに最も簡単な定義として「人間関係において相手の好意をあてにして振舞うこと」と再定義している(土居,2001)。甘えという言葉は日本語固有の語彙であり、欧米と比較すると日本で特に甘えが発達しやすいとされるのは、相互依存的な関係を許容するためだと考えられている。そして、この言葉によって表現される親から無条件に受容される関係は日本社会における関係性のモデルとなっていることが指摘されている(土居,1971;Markus & Kitayama,1991)。柿本(2009)はまた、甘えを「相手への依存を暗黙のうちに期待する感情」としたうえで、甘えの成立には、甘えを可能とする関係、すなわち母子間の良好な関係が成立していることが必要であると述べている。
一方で、母子関係だけでなく大人同士の関係にも、広く当てはまると考えられている(玉瀬・脇本,2003)。例えば、大学生においては愛情の対象 (恋人) が単一の依存対象になりやすいことが示されている(高橋,1968)。そのような大学生の恋愛関係においても甘えはその端々に存在すると見なすことができるだろう。なお、恋人は異性の友人とともに、青年期において自己の安定や親密さの形成に関わる貴重な社会化の担い手であることが見出されている(安達,1994)。このように、青年の心理的発達にとって、恋愛関係は極めて重要な意味を持つ対人関係であるとされる(山下・坂田,2008)。しかし、青年期の恋愛は田沢(2011)が指摘するように、アイデンティティの形成過程であるがゆえに、相手に?み込まれる不安を感じるなど不安定な関係となりやすい。異性に過度に依存するような嗜癖的な恋愛関係を作ってしまう場合があると指摘されている(伊福・徳田,2006)。
精神的な助力を求める程度と定義されている依存性(高橋,1968)の程度が強いということは、過度に依存されている側はより多くのサポートの提供を求められ、それを実行に移していることが推測される。そのような関係においてはサポートの受容と提供のバランスが決して安定的であるとは言えないであろう。このように、恋愛関係においては偶発的ないし意図的に不公平状態が生じている(奥田,1994)と考えられる。しかしながら、そのような状態でも関係解消に至らず、関係が持続している事例は多く存在していると推測される。では互恵的ではない依存関係が持続しているのは何故なのだろうか。このような問題意識のもとで、本研究を進めていくことにする。
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