考察


(仮説4考察続き)

 これを踏まえると,視聴者たちが知っているのは,配信者本人でなく,配信者として映るペルソナの1つでしかない,そんな線引きがあるように考えられる。実際その後の回答は「別にプライベートとか,そこまで追いかけたいと思わない」と続いている。

 事実として,配信者の中には顔や名前を公開しない人もいるため,個人情報は完全に伏せられている。しかし,視聴者が配信者のことを知らないと考えているのは,それ以上に配信者のプライベートの際の性格を指しているのではないだろうか。実際に我々は,配信者に関するプライベートでのエピソードをいくら聞いても,配信者を通してしか情報を得ることができないわけである。その情報の真偽はまったくもって不明といえる。

 とはいえ,実際の対面でのコミュニケーションの場合でも,その相手が本来の自分とは異なる「キャラ」を演じている可能性はある。対面における他者認知でも,友達に対しての「キャラ」の認知と本当の友達の性格パーソナリティは別であると認識しているものなのであろうか。この点について唐沢(2017)は,相手の状況と他者認知について,環境の要素を割り引いて相手の行動を判断する割引原理がある一方,環境の要因があるにもかかわらず内的要因に帰結してしまいがちな対応バイアスがあるという。その対応バイアスについて唐沢(2017)はこう述べる。

 たとえ状況要因の存在に気がついたとしても,それが行動に影響する程度を低く見積もることがある。状況要因が行為者にとってどの程度のプレッシャーになっているのかは,なかなか理解しにくいところがあるからだ。一般に,私たちは行動を自由に選択することができると考えがちであり,状況要因が心理的制約として作用する度合いを過小評価してしまう傾向がある。

 これを踏まえると,本来対面であっても非対面でもいずれにせよ,そこでの他者認知は,あくまで演じられた性格パーソナリティを認知しているという可能性は含まれている。しかし対面か非対面かどうかで,受け手がそれを自覚しているかに差があると捉えられる。これには,単に個人情報を知らないからだけで無く,視聴者において相手(配信者)があえて全世界に公開しているという意識があったり,配信者があえて「キャラ」を押し出していると思っていたり,他のメディア等で配信者当人の裏側が知らされることも増えたり,配信者がメディアに出る一面と実際は違うということを思い知らされる機会が増えたりしていること,など様々な理由が考えられる。これについても今後の課題ともいえるであろう。



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