考察  


本研究の目的は、大きく3つあった

@絵本場面での感情喚起の要因に注目し、そこから幼児の想像による絵本への関与を推測することで、
 絵本の出来事と現実の出来事の区別や揺らぎの発達的変化を検討する。

A絵本の出来事と現実の出来事の区別の理解をみる一つの指標として、
 空想的な事象と現実的な事象の区別を幼児がどれくらい理解しているかを検討する。

Bそうした絵本の出来事に対する客観的な理解が、絵本場面での幼児の想像と感情喚起と関連しているのかについて検討を行う。

考察については、

@について、実際の絵本場面を扱った登場人物への名前付け課題の考察を行い、
次にAについて、絵本の出来事に対する客観的な理解を扱った空想/現実の区別課題の考察から行う。
そして最後に、Bのそれら2つの関連について、両課題の結果の関連を考察することとする




1.幼児の想像による絵本の出来事と現実の出来事との関係

   登場人物への名前付け課題からわかったこと

   
考察
       名前付けに対する反応について
       ネガティブ感情の種類の年齢差について
       ネガティブ感情を抱いた幼児における理由付けの言及の年齢差について
       感情喚起の要因の差から推測する
       幼児の名前付け時の想像と絵本の出来事と現実の出来事の関係について


2.絵本の出来事に対する理解について

   空想/現実の区別課題からわかったこと

   
考察
       正答率に年齢差がみられなかったことについて
      
 感情喚起の要素による課題の正答率の差について

3.絵本の出来事に対する理解と絵本場面での幼児の想像と感情喚起との関連

   両課題の関連からわかったこと


4.まとめ

5.今後の課題



1.幼児の想像による絵本の出来事と現実の出来事との関係

登場人物への名前付け課題からわかったこと

登場人物への名前付け課題の結果から大きく3つのことが明らかになった。

・名前付けに対する反応について、名前付けを否定しながらもそれを受容するような様子を示す幼児が年齢を問わずみられる傾向にあった。

・名前付け施行後の感情質問について、幼児の感情回答におけるネガティブ感情の種類の内わけに年齢間で差がみられた。

・ネガティブ感情の理由付けの言及に年齢間で差がみられた。

以下、この3つの結果について考察を行う。




考察

名前付けに対する反応について

まず、名前付けに対する反応において、名前付けを否定しながらもそれを受容するような様子を示す幼児が、年齢を問わず多くみられたことについて考察する。

名前付け時の反応の結果を大きくまとめると、どちらの年齢群についても、名前付け行為に対して言語や行動では否定的な反応を示している幼児が多くみられたが、一方で、そのときの表情には笑顔反応がみられる傾向にあった。つまり、名前付けに対する否定的な反応は感情を表に出すほど強いものではなかったといえる。ここから、どちらの年齢群においても、実験者の名前付けに対して「ちがう。」という反応を示しながら、その名前付けを受容しているかのような様子をみせる傾向にあったといえるだろう。このことは、名前付けによる表情反応の傾向において、名前付け前に笑顔の状態から、名前付けによって笑顔がみられなくなる幼児は両年齢群ともに1人もいなかったことからも伺える。

 田代(1983)では、3歳頃に自分と登場人物の違いに対して強い否定反応を示す幼児がみられたが、本研究では違いを否定しながらも笑って受容していたことになる。つまり、本研究の対象児は、登場人物への名前付けという絵本に対する想像的活動を楽しんでいたといえるのかもしれない。この結果については、名前をつける対象や感情喚起の要因の違いなどからみられた可能性と、年齢による読者としての立場の安定性の違いからみられた可能性の2つから解釈を行うこととする。

前者の名前をつける対象や感情喚起の要因の違いなどからみられた可能性について考える。まず、本研究で名前付けの対象となったのが、人間ではなく動物であったことがあげられる。幼児にとって動物と自分の違いは明確である。その状況で、実験者が何の前触れもなく突然名前付けを行ったことに対して、幼児は笑って受け流したのかもしれない。また感情喚起の要因について、田代(1983)の事例では、名前付けから幼児が自分の理想と登場人物の様子のズレを意識することによって生まれる感情を扱っている。一方、本研究では幼児の絵本の出来事への想像的な関わりの程度に注目するために、ズレの意識による感情喚起と絵本内容に想像的に関与したことによる感情喚起の差を明確させる必要があった。そこで設定されたのが、本研究のオオカミの感情喚起の要因が含まれた絵本場面である。この名前付け場面は、名前付けの対象が動物であるとともに、自分の理想と登場人物の様子のズレによる感情喚起を強く引き起こすような場面ではなかったように思われる。よって幼児には、名前付け行為自体では、大きく表にそれを現すほどの感情が引き起こされることがなかったのではないか。

後者の年齢による読者としての立場の安定性の違いについて考える。正確な年齢はわからないが、田代(1983)で名前付け時の強い否定反応を示していたのは3歳児の事例である。一方、本研究の対象児は3歳児クラス、5歳児クラスであったが、平均年齢としては46歳児であった。本研究では3歳児に対して課題を実施していないため明確な断言はできないが、3歳頃に読者としての関わりが始まり(古屋,1996)3歳児と4歳児の間でも、絵本の出来事に対する理解が深まるとともに、読者の立場からの絵本の関わりが次第に安定していくと思われる。この読者の立場が安定していけば、登場人物に名前付けをするのは想像による例え話であると楽しむ余裕もでてくると考えられる。田代(1983)の事例研究での絵本の出来事と現実の出来事の区別の発達的変化の検討は、想像的活動の中身というよりも、こうした名前付けによる例え話のような想像的活動を、楽しむことができるかどうかの問題であったといえる。それに対して本研究では、名前付けを例え話であると楽しむ余裕を持った幼児が、その上で、名前付けのとき絵本に対してどのような想像的活動を行なっていたのかという想像の中身に注目しているといえる。幼児の中での絵本の出来事と現実の出来事の関係の発達的変化について詳細に検討するためには、やはり幼児の表にみられた反応だけはなく、そのときの想像的活動の中身に注目する必要があることがここで改めて確認されたといえるだろう。


ネガティブ感情の種類の年齢差について

次に、名前付け施行後の感情質問において、幼児の感情回答におけるネガティブ感情の種類の内わけに年齢間で差がみられたことについて考察する。ネガティブ感情の種類の内わけをみると、4歳児では名前付け時の感情について怖いという恐怖感情を示す幼児が多くみられ、6歳児では名前付け時の感情について嫌なという嫌悪感情を示す幼児が多くみられた。

 本研究では、幼児の想像における絵本の出来事と現実の出来事の区別や揺らぎを推測するために、名前付け時の幼児の想像のきっかけになると考えられる感情喚起の要因を明確にする必要があった。そのため名前を付けることによると考えられる感情喚起の要因とは別に、絵本場面にもあらかじめ、登場人物がオオカミに捕まえられているという感情喚起の要因を設定して課題を実施した。このような課題設定の中で、4歳児と6歳児のネガティブ感情の種類に特徴的な差がみられたということは、年齢間で名前付け時の感情喚起の要因が異なっていた可能性が考えられる。特に、4歳児が示していた恐怖感情は、名前付けによって自分と登場人物とのズレを意識することによって喚起されたものであるとは考えにくい。このことから、4歳児の感情喚起は、本研究で設定した絵本内容がその要因となっている可能性が考えられる。


ネガティブ感情を抱いた幼児における理由付けの言及の年齢差について

 そこで次に、ネガティブ感情を抱いた幼児における理由付けの言及に年齢間で差がみられたことについて考察を行う。幼児に対して先ほどの感情質問と併せて、感情に対する理由付けをたずねたところ、4歳児では絵本内容に言及しながら理由を述べる幼児が多くみられ、6歳児では名前の違いに言及しながら理由付けを述べる幼児が多くみられた。

 この結果から、ネガティブ感情の感情喚起の要因が、年齢間で異なっていたことが示唆される。4歳児は、ネガティブ感情の理由付けとして、「オオカミが来るから。」「怖いのが出てきたから。」など絵本内容について言及していた。名前付け時の質問に対して、4歳児は明確である名前の違いよりも、オオカミといった絵本内容を感情の理由としたのである。ここから、4歳児の名前付け時のネガティブ感情喚起の要因は、主にオオカミという絵本内容の中にあったと考えられる。一方、6歳児は、ネガティブ感情の理由付けとして、「違うと思った。」、「いわれると恥ずかしいもん。」など名前付けの違いに言及していた。ここから、6歳児の名前付け時のネガティブ感情喚起の要因は、主に名前付けによる自分と登場人物のズレの意識にあったと考えられる。


感情喚起の要因の差から推測する幼児の名前付け時の想像と絵本の出来事と現実の出来事の関係について

 本研究では、絵本場面での感情喚起の要因に注目し、そこから幼児の想像による絵本への関与を推測することで、幼児の絵本の出来事と現実の出来事の区別や揺らぎの発達的変化を詳細に検討することを1つ目の目的としていた。そして、登場人物への名前付け課題の考察から、4歳児の名前付け時のネガティブ感情喚起の要因は絵本内容にあり、6歳児の名前付け時のネガティブ感情喚起の要因は自分と登場人物とのズレの意識にあったことが示唆された。ここから、ネガティブ感情を抱いた幼児における名前付け時の想像を推測すると、両者の想像内容には差がみられたことが予想される。そして、6歳児にくらべ4歳児の方がより絵本場面に沿うかたちで想像が誘発されていたと考えられる。

 もちろん、どちらの年齢の幼児も、絵本読み場面では、想像的活動によってオオカミに捕まえられそうになる登場人物の立場に自分を置き換えたり、登場人物の感情を推測したりしていたといえるだろう。名前付けに対する反応の理由付け(Table7)において、「オオカミこやん。」といった絵本内容について言及していた幼児がどちらの年齢でもみられたことからもその様子が伺える。絵本の楽しみはそうした想像的な疑似体験にあるだろう。しかし、名前付けという絵本への想像的関与を誘発させる状況での感情喚起の要因は、4歳児では絵本内容であり、6歳児では自分と登場人物のズレの意識とするように、年齢間で大きな違いがみられた。ここから、4歳児と6歳児で絵本に対する想像のされやすさにも差がみられたことが予想され、やはり4歳児の方がより絵本場面に沿った想像が誘発されていたと考えられる。そうなれば、4歳児と6歳児で、想像的な活動による絵本の出来事と現実の出来事の揺れ動きやすさに差がみられたといえるだろう。

では、なぜ4歳児と6歳児で、このような想像的な活動による絵本の出来事と現実の出来事の揺れ動きやすさに差がみられたのだろうか。この理由として、次の2つの点を考える。1つは幼児の想像と現実を区別する力の問題である。そして2つは、本研究で設定した感情喚起要因であるオオカミという存在が、幼児にとって恐怖感情を楽しむ対象とされたかどうかの問題である。そして両者の問題は、想像と感情の密接な関係のように、相互に影響していると考えられる。前者は、幼児自らの想像と現実の揺らぎによって絵本の出来事に対する感情が生まれた可能性であり、後者は、絵本にある感情喚起の要因によって絵本内容に対する想像の広がりが生まれた可能性である。

1つは幼児の想像と現実を区別する力の問題である。つまり、4歳児と6歳児では想像と現実を区別する力に差がみられた可能性が考えられる。4歳児は、想像と現実の揺らぎによって絵本の出来事に対する感情が生まれたのではないか。先の問題で述べたように、幼児の想像と現実の区別は状況において揺らぎやすいものであることが絵本場面以外の先行研究で示唆されている。自分が想像したことが現実になることではないと分かっていながら、感情喚起の要因などによって、想像したことが現実になるかもしれないと感じられるのである(富田,1998)。このときの想像に対する現実を、目の前の出来事を含めた幼児自身の生活と捉えなおすと、絵本場面においては、想像したことがどれくらい自分自身の身に起こりうるか、という広い意味での想像と現実の問題にもなるだろう。

そうなれば、想像したことに対する現実性判断の揺らぎによって、矛盾したような心理が生まれることは、絵本場面においてもいえることではないだろうか。本研究の課題に沿ってみてみると、4歳児の反応は以下のようなものであったといえる。つまり、名前を付けられ自己と登場人物の関連を想像したとき、それを想像によるものであると読者の立場から笑顔で反応していながら、一方で絵本の内容への関与によってオオカミへの関与の想像をひろげ、怖いといった感情も味わっているのである。読者の立場にいながら、自身の絵本を介した想像に対してそれが現実に起こりうるかどうかの現実性の判断が不安定になったりする。こうした想像と現実の境界の曖昧さによってオオカミに対する恐怖感情が生まれたのではないか。田代(1991)の事例でも述べられているが、このようなとき、幼児にとって絵本の出来事と現実の出来事の両者の関係は問題とされにくいのかもしれない。こうしたことは、幼児に限ったことではなく、場合によっては私たち大人が文学作品などに関わるときの微妙な心理状態でも同じことがいえるのではないか。作品はお話であり決して自分の身の周りで起きていることではない。しかし読み進めていくことで、それがお話だということを忘れかけて作品から生まれる感情を味わうことはないだろうか。

4歳児と6歳児で絵本への関与を想像させた際の、想像的な活動の内容に差がみられたということは、この年齢の間にも絵本場面で、幼児が自分で想像したことと現実との区別をする力が安定していくのではないかと考えられる。

 2つめは、本研究で設定した感情喚起要因であるオオカミという存在が、幼児にとって恐怖感情を楽しむ対象とされたかどうかの問題である。これは、絵本にある感情喚起の要因によって絵本内容に対する想像の広がりが生まれた可能性についてである。本研究で設定したオオカミという存在が、幼児にとって感情喚起の要因とされたかどうかの違いによって、年齢間の絵本に対する想像的活動の内容にも差が生まれたと考えられる。つまり、4歳児にとってオオカミは恐怖感情を楽しむような対象となりえ、6歳児にとっては、恐怖感情がふと生まれたとしても、それを実験者に表現して楽しむまでの対象となりえなかったのではないか。これは、幼児が絵本を読みながら、想像によって登場人物と共通する感情を見出せるかどうかとも関係してくる(田代,1991)空想/現実という基準ではないが、このようなオオカミを恐怖対象と捉えるかどうかについては、年齢間における絵本の出来事に対する理解の差のひとつであった可能性があるだろう。

これについては、明らかにすることは難しいが、4歳児にとってオオカミが恐怖感情を表に出して楽しむ対象となりえたことが伺える様子が実験課題中にみられた。311ヶ月の女児は、「オオカミが来たよぉ〜。」というセリフを実験者が読んだ途端、「きゃぁ〜。」と声を出しながら、部屋を走り回っていた。その後、実験者に対して、家族と動物園に行ったときに、オオカミが来てみんな逃げたという話をしていた。また、絵本読み後、課題に使用した○×の札を持って帰るといった39ヶ月の男児に対して、実験者が「返してくれないと食べちゃうぞ〜。」とオオカミのふりをしたところ、「食べやんといて。」とすぐに返すという様子がみられた。これは恐怖対象が明確ではないが、幼児が実験者のふりによってオオカミを想像していた可能性も考えられる。さらに、岡田ら(2004)では、想像とオオカミという恐怖対象が結びつくエピソードが紹介されている。筆者が幼稚園の園庭から建物の裏側に回ってみようとすると、ブランコで遊んでいた年少の女児2人が、「そっちはオオカミがでるよ。」と言ってきたという。この幼児たちは、建物の後ろにある樹木がうっそうと生えた裏庭からオオカミを想像したのである。幼児たちは、筆者をからかいつつ、一方で「いつかオオカミが出る。」と恐れているようだったと筆者は述べている。

少ない事例ではあるが、このような様子をみると、4歳頃の幼児にとってオオカミという対象が恐怖感情を楽しむ対象になりえたことが予想される。特に、2つめと3つめのエピソードについては、恐怖感情によって想像と現実の境界が曖昧になることが、4歳頃の幼児に起こりうる問題であることも同時に示唆している。この頃の幼児たちにとっては、オオカミが出てきたり襲われたりすることを想像した恐怖感によって、そのことが想像の出来事や絵本の出来事から離れて現実の出来事として起こりうるかもと感じるときがあるのかもしれない。ここから想像と現実を区別していく力の違いと、オオカミが恐怖対象になりえるかの違いや、絵本の登場人物の感情に共感することができるかの違いに関連があることが予想されるだろう。




2.絵本の出来事に対する理解について

空想/現実の区別課題からわかったこと

本研究では、絵本の出来事と現実の出来事の区別の理解をみる一つの指標として、イラストを用いた空想/現実の区別課題を併せて実施したが、結果から大きく2つのことがわかった。

年齢間で課題の正答率に大きな差がみられなかった。

イラストの感情喚起の条件によって、幼児の課題の正答率に差がみられた。

以下、この2つの結果について順に考察を行う。




考察

正答率に年齢差がみられなかったことについて

まず、年齢間で課題の正答率に差がみられなかったことについて考察を行う。これは、3歳児から5歳児の間で正答率に差がみられるとされてきたこれまでの先行研究(Samuels& Taylor,1994;富田ら,2006など)における結果と異なっている。特に、6歳児における正答率は56.8%であった。これについては、幾つかのイラストを用いた空想/現実課題の結果を集計し、5歳児頃には正答率が80%近くまで向上されるとした先行研究(富田ら,2006)の示唆とは異なる様子を示している。また、回答の理由付けの回答率は4歳児群で50%、6歳児群で88.1%と、6歳児の方がより何らかの基準をもって回答をしていたが、「ネズミも動物やでできない。」空想‐現実の理由付けが先行研究(Samuels&Taylor,1994)と比較して少ないことからも、同様の傾向の違いが伺える。本研究におけるこの6歳児の結果は、大変興味深い事実であるかもしれない。この違いの理由について2つの点から考える。1つは、現実L感情L条件のイラストについての正答率の低いことから実際の幼児の空想/現実の判断力が影響していた可能性があることである。2つは、課題実施方法の違いという手続き上の問題が回答に影響していた可能性である。

本研究の空想/現実課題での現実L感情L条件のイラストにおける正答率は、4歳児群で16.7%、6歳児群においても27.2%と、イラスト条件別の正答率で一番低い傾向にあった。つまり、ネズミがハサミで布を裁断しているイラストや、ブタの親子が買い物をしているイラストは、本当に起きてもおかしくないとした幼児が多くみられたといえる。富田ら(2006)のイラストを用いた課題では、空想の存在のタイプによって幼児の認識に差がみられるかを検討している。そこでは、人間のようなふるまいの動物という空想の存在のタイプが、幼児にとって最もありそうと認識している傾向にあった。つまり、本研究における現実L感情L条件のイラストのタイプが、幼児にとって空想/現実での区別がされにくいものであったといえる。富田ら(2006)において、人間のようなふるまいの動物タイプの4枚のイラストの正答率は62(年少児24名、年中児31名、年長児34)と、本研究と比較すれば低いものではないが、幼児の認識の傾向としては本研究も類似していたと考えられる。

回答の理由付けをみると、現実L感情L条件の回答を○とする幼児は、自分の知識や経験(16.25)、絵の事実(18.75)、もしくは説明ができない(31.25)というものが多い傾向にあった。「ふつうやったらお買い物すんもん。」と自分の知識・経験を伝えたり、「ネズミがちょきちょききっとるから。」と絵の事実を伝えたりする姿をみると、幼児の中で、やはり人間のような動物という空想の存在のタイプが意識されていないことが伺える。

なぜ人間のような動物が幼児にとって空想的な存在であると意識されにくいのだろうか。富田ら(2006)では、その理由の1つとして、親をはじめとする大人の奨励といった社会的環境による影響をあげている。例えば、大人が動物に愛情を持って接するとき、動物を擬人的に扱うような言葉かけやふるまいを日常的に行なう。一方で、魔法を使う人間や怪獣など、他の空想の存在のタイプはそれほどの奨励は行なわれないことが予想される。富田(2006)では、このように大人が幼児の空想のどの部分を奨励し、どの部分を奨励しないかによって、幼児の認識も差異を含む形で発達するのではないかとしている。

次に、課題実施方法の違いについてである。これは、幼児自身の問題ではなく、課題実施方法の違いによって、結果に幼児の空想/現実の区別の力が反映されていなかった可能性も考えられるからである。Samuels&Taylor(1994)では「Could this happen in real life?(現実の生活で起こりうるか。)」という質問を行なっている。このように、幼児の生活に則した質問を行うことで、課題の回答に、空想の特徴である自分の生活に起こらないという基準があらかじめ設定されていたと考えられないだろうか。また、富田(2004)や富田ら(2006)では、回答方法を説明する際に、あらかじめこれから出てくるイラストが現実に起こりえるものと、現実に起こりえないものとが含まれるということを伝えていた。こうした事前の説明によって幼児の中にある空想/現実の区別の意識が明確になったとも考えられる。

本研究では現実という表現が幼児にとって理解しにくいものと考え、質問時にその言葉を使うことを避け、富田(2004)の質問方法を用いた。またイラストについて事前の説明を行わなかったのは、幼児に対して正しい答えがあるという雰囲気をなるべく感じさせないための配慮でもあった。しかし、このような課題実施方法の違いによって、課題結果に幼児の空想/現実の区別の力が反映されていなかった可能性が考えられる。

本研究では、空想/現実の区別をひとつの指標として、絵本の出来事に対する理解を検討することを2つ目の目的としていた。結果、本研究の対象児においては、年齢間で空想/現実の区別の理解に大きな差はみられなかった。その違いがみられなかった理由として、特に、登場人物への名前付け課題で用いられた絵本にある、人間のようなふるまいの動物の描写への空想の意識が低かった可能性が考えられる。このことから、空想/現実という指標での絵本の出来事に対する理解による影響は、登場人物への名前付け課題の実施時には、あまりみられなかったことが予想される。


 

感情喚起の要素による課題の正答率の差について

 次に、イラストの感情喚起の条件によって、幼児の課題の正答率に差がみられたことについてである。イラスト条件別の回答特徴として、現実性の高いイラストにおいては、感情喚起の要素が含まれないイラストの方が多く正答しており、現実性の低いイラストでは、反対に感情喚起の要素が含まれるイラストの方が多く正答していることがわかった。この結果については、幼児の回答の理由付けをもとに考察することとする。

幼児の回答の理由付けに注目すると、感情喚起の要素が含まれるイラストにおいて、現実に起こりえないと回答した幼児は、「怖い。」、「鬼来てるから。」など絵の中の恐ろしい事象や自分の感情を理由にするものが多くみられた。要因は他にもあると思われるが、こうしたイラストの感情喚起の要素や自分の感情を理由に現実に起こりえないと回答する傾向が、先ほど述べたイラスト条件別の回答特徴を生んだ要因のひとつであると考えられる。つまり、現実性の高いイラストでは感情喚起の要素によって起こりえないとすることが正答数の減少につながり、現実性の低いイラストでは感情喚起の要素によって起こりえないとすることが結果的な正答数の増加につながったのではないだろうか。このことからSamuels&Taylor(1994)の結果で示された、イラストの感情喚起の要因が幼児の空想/現実の区別の判断に影響を与えている可能性が本研究でも確認されたことになる。

Samuels&Taylor(1994)では、感情が喚起されるような事象は現実生活には起こりえないとするこの傾向について、イラストに対するネガティブな感情反応へのふるまいであると解釈している。イラストによって感情を喚起されたときに幼児自身がその事象を現実に起こりうるものと身近に感じていたのか、反対に起こりえないと突き放していたのか。幼児の理由付けが「大男は本当はいない。」といったような空想現実の理由付けではないため、これについては定かではない。しかしいずれにしても、幼児自身がイラストを見て何かを考えることによってネガティブな感情が生まれていることは確かである。恐怖喚起は、単に想像するだけであっても子どもに大きな感情的コストをもたらすものであるとされる(富田,1998)。自分に生まれたネガティブな感情のもととなった事象に対して否定的な反応をとることは、可能性として十分にありうるだろう。




3.絵本の出来事に対する理解と絵本場面での幼児の想像と感情喚起との関連

両課題の関連からわかったこと

最後に、空想/現実の区別課題の結果と登場人物への名前付け課題の結果との関連についてである。ここで明らかになったのは、4歳児において、空想/現実課題のイラストに対して感情による理由付けを行った幼児は、登場人物への名前付け課題における、名前付け時の感情の理由付けで、絵本内容に言及するものが多くみられたことであった。イラストでの感情喚起のされやすさと絵本場面での感情喚起の要因に関連がみられたということから、4歳児では、絵本内容が感情喚起の要因になりえたことが、ここからもいえるかもしれない。

 しかし、本研究の3つ目の目的である、絵本の出来事に対する理解と絵本場面での幼児の想像と感情喚起との関連を検討するということについては、大きな結果はみられなかった。空想/現実課題における正答数の傾向と、登場人物への名前付け課題での表情反応、感情回答と理由付け回答との関連についてなどの分析を行なった、いずれも特徴的な関連はみられなかった。これについては、本研究の課題状況では、空想/現実での絵本の出来事に対する理解が絵本場面での想像や感情喚起のされやすさに影響しなかった可能性があげられる。

先ほど空想/現実の区別課題での考察で述べたように、本研究の結果では、登場人物への名前付け課題で使用した絵本で描かれていた、人間のような動物という空想のタイプへの意識が低い幼児がほとんどであった。また、幼児の絵本に対する想像を引き起こすための感情喚起の要因として、本研究ではオオカミという恐怖対象を用いたが、このオオカミが恐怖対象となるかは空想/現実とは別の視点での理解が必要となるだろう。ここから絵本に対する理解が想像や感情喚起のされやすさに影響していなかった可能性が考えられる。絵本場面での両者の関連を詳しく検討する際は、絵本の出来事に対する理解のどの部分に注目を置くかを明確にした上で、それに則した課題を設定する必要があるだろう。




4.まとめ

 本研究では、幼児の想像的な活動と絵本に含まれる感情喚起の要因に注目し、幼児の想像における絵本の出来事と現実の出来事の結びつきやすさの発達的変化を検討した。そして本研究の結果においては、4歳児が、自身の想像的な関与と絵本に含まれる感情喚起の要因との作用によって絵本の出来事に描かれた感情を実感し、絵本の出来事に引き込まれる傾向にあった。本研究は、これまでの先行研究を踏まえ1つの絵本場面についての発達的変化の検討を行なうことで、絵本の出来事を楽しむ要因として、幼児自身の想像力の発達と感情の要素が関係していることを改めて示したといえるかもしれない。幼児は、絵本の出来事と現実の出来事の区別についての理解を持っているとともに、自らの絵本への想像的な関与によって登場人物の立場を自分に置き換えたり、登場人物の感情を実感したりすることができる。そして、その絵本への想像的な関与のされやすさは、幼児自らの想像と現実を区別する力や、感情喚起の要因などを含む絵本内容に対しての理解によって異なってくるものだと考えられる。

そうなれば、そのときの想像力の発達や絵本の出来事への理解によって、絵本の出来事をどのように楽しむかも変わってくるであろうし、一方で同じ絵本であっても、そのときの年齢によって楽しみ方は様々であろう。本研究のように、絵本のオオカミの恐怖を楽しむような想像力を働かせるときもあれば、絵本の話からまた違う想像力を働かせるときもある。例えば、物語「エルマーのぼうけん」をきっかけとして発展した5歳児クラスの探検遊びの実践がある(岩附・河崎,1987)。幼児は、物語に描かれたりゅうが本当にいるのかもしれないと心を動かされ、実際に保育士と共に計画をたて、近くの貯水池に探検をしにいくことになる。ここでは、幼児が物語から現実の出来事に想像力を広げてゆく様子がみられる。この実践記録での幼児の想像力や探究心について、河崎(1985)は、幼児は、目の前に見えることから離れて想像を働かせることが出来るようになってきているとしている。つまり、幼児は絵本を介した自分の想像と現実を区別するようになってきているといえる。そして、そこから次には想像したことについての真偽が幼児にとって問題になってくることを述べている。ここには、本研究で扱った空想的な事象や存在への理解も含まれていると考えられ、今回ではりゅうは実在するのかどうかの疑問がその真偽にあたる。このときの、幼児の絵本に対する理解や想像力は、先ほどのオオカミの恐怖を楽しむときの場合とは異なってくるだろう。

 それぞれの年齢や絵本内容の多様さを考えると、絵本場面での幼児の想像的活動は様々であり、本研究はそのうちの1つに注目したのみであるといえる。そして、想像的活動を含めた絵本を楽しむ幼児の心理に注目するという視点で考えるのであれば、実験場面の様子への注目のみでは不十分であることはこれまで指摘されてきており(田代,1993など)、その印象は本研究も強く感じている。絵本場面は、そのお話を共有し合う雰囲気によっても反応は大きく変わってくるものである。本研究の対象児も絵本読みの最中、さまざまな反応やおしゃべりを聞かせてくれた。しかし、こうした絵本読みの最中の反応は、実験場面の雰囲気では得られにくいものともいえる。一方、保育における読み聞かせ場面は、そのような幼児の反応で溢れている場である。これらのことから、保育での読み聞かせ場面の様子を含め、実際に絵本と関わっている姿、反応や雰囲気を感じ取ることから、幼児が絵本を楽しみ、夢中になる心理を検討する必要もあるだろう。本研究でみられた4歳児、6歳児の想像的活動の違いが、実際の保育の読み聞かせ場面での雰囲気における関わり方や楽しみ方の様子とどのように関係しているか照らし合わせていくことで、本研究の考察はより深められるだろうと考える。



 


5.今後の課題

1つは、登場人物への名前付けという行為が、絵本の出来事に対する想像的な関与を誘発したのかについての疑問である。4歳児の結果をみると、登場人物への名前付けという行為が、幼児の絵本の出来事に対する想像的な関与を誘発したかのようにみられるが、実際は名前付けの行為の場面でなく、幼児自身が常に主体的に関与をさせていたことも考えられる。また名前付けという行為が幼児の絵本への関与を想像させる可能性がある一方で、自分と登場人物の違いが明確であったことから、かえって幼児の想像をストップさせてしまう可能性も考えられた。今後、同様の課題を実施するのであれば、幼児の想像的活動をより引き出す方法を検討する必要があるかもしれない。

2つは、今回のような絵本への想像的関与のされやすさが、想像と現実の区別の揺らぎと捉えるべきであるのか。もしくは、絵本に対する想像の広がりやすさや豊かさと捉えるべきなのかについての検討である。これについては、想像と現実の問題を扱った研究でも明確な結論が得られていない状況であるという(富田,2004)。このような絵本読み場面の幼児の想像を明確にしていくことは非常に難しいが、絵本を楽しむ心理を探る上で検討が必要になってくると思われる。
 
 3つは、空想/現実の区別についての理解と絵本場面における想像的活動の傾向との関連の検討である。本研究の結果では両者に大きな関連はみられなかった。しかし、これについては絵本に描かれている空想的なイラストの条件が多様であることから、課題の設定によって両者の関連が反映されにくいことが感がえられる。絵本場面での両者の関連を詳しく検討する際には、空想的なイラストに対する理解のどの部分に注目を置くかを明確にした上で、それに則した課題を設定し、再度検討してみる必要があるかもしれない。また、富田(2004)では、空想/現実の区別を年齢的な発達の力であるとともに、すべて現実に起こりえないとする幼児の存在など、幼児の空想/現実の区別を個々の1つの認識の型として捉えている。このような個人差の視点から検討してみる必要もあるだろう。





結果     参考文献