【インタビュー考察】


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本研究の目的は、障害のある子どもの自己理解と友人への認識との関連をみることであった。

1.インタビューの回答の傾向
Table2・3のインタビュー結果全体の回答を通して、肯定的な回答よりも否定的な回答が多く、対象児全体として否定的な自己理解・友人認識をしていることがわかった。友人といるときの自己評価項目において、家よりも友人といるときのほうが楽しいと回答した対象児は3名、両方と回答したのは1名であった。また、自己理解質問において自分のことを好きだと回答している対象児以外の対象児は、友人認識質問において否定的な回答が多くなっていた。否定的な回答の具体的内容は、友人認識質問中の「友人からの注目」項目において、遊びに誘ってくれると回答した対象児は1名のみで残りすべての対象児が「全然誘ってくれない」と回答していた。また、友人はほめてくれないと回答した対象児も6名中4名であった。
これらのことから、友人(クラスメイト)に対する好意的な意識は高いが、それに反して交流教室において友人との接触は少ないということが考えられる。つまり、対象児が交流教室で一人でいることが多く、彼らが孤独感を抱いているといえる。別府(2005)は著書の中で次のようなエピソードを紹介している。
 ヒデ君(高機能自閉症)は小学校六年生のころから、「僕には友だちがいない」と毎日訴えるようになりました。<中略>彼は電車の路線図とポケモンが大好きで、みんなが好きなアイドルや野球はまったく興味がないけれど、一生懸命テレビで野球を見て話に加わろうとします。
 しかし、やはり会話の流れを読めず、溶け込めませんでした。彼は家で激しく怒りながらも、フッと「友だちができないのは僕が悪い。話題が合わないから」と言うようになりました(別府,2005;Pp66‐67)。
このエピソードのヒデ君は、友達ができない理由を自分へと帰属させ、自己を否定的にとらえている。友だちができない理由をどこへ帰属させるかは個人によって異なるだろうが、今回の対象児が友人に対して好意的な意識を持っていることを考えると、先述のエピソードと同様に「友人から遊びに誘われないのは自分が悪いからだ」と自己否定的に考えている可能性は十分に考えられる。したがって、交流教室での孤独感が否定的な自己理解を促しているということができる。
さらに、友人との比較によって自己を否定的にとらえているということも考えられる。今回インタビュー質問の対象となった児童らは、国語と算数以外の教科を交流教室で学んでおり、その学習時に、他のクラスメイトと自分との違いを感じていることが考えられる。つまり、学習面におけるクラスメイトとの能力の差を感じているということである。「他のクラスメイトよりもできない自分」ということを感じ、それによって否定的に自己を理解することになるのではないだろうか。

2.自己理解と友人認識との関連
自己・友人評価の回答を得点化した結果、自己評価が肯定的/否定的であると友人評価も同じものになるということが示された。また、知的障害のある対象児においては、対象となった広汎性発達障害児らに比べて自己・友人評価ともに否定的であるという結果となった。一方、広汎性発達障害のある対象児においてはこのような傾向はみられず、自己・友人評価ともに肯定的であるのが2名、友人評価が否定的であったのが1名であった。
知的障害のある対象児の自己・友人評価ともに否定的であったという結果から考えられることは、障害によって友人(他者)のとらえかたが異なるということである。インタビュー質問と同時期に行ったDAM(グッドイナフ人物画知能検査)の結果において、知的障害と診断された対象児のIQは、IQ50〜71の範囲だった。IQが50〜71ということは、対象となった知的障害のある児童は比較的軽度の知的障害ということになる。
また、吉井・吉松(2003)によると、MAX(Izard,1979)に基づいた6つの表情の絵を用いて知的障害児と自閉性障害児の感情理解を調べている。そこで、自閉性障害児に比べて知的障害児はその回答の中で、感情の原因となる対象を、他者の存在を意識した回答、他者からの行為や自己と他者にかかわる事柄について回答していた。
これらのことから、今回対象となった知的障害のある子どもたちは、自己理解、友人に対する認識ともに一定のレベルにあると思われ、他者と自己の比較も可能であると言うことができる。毎日の学校生活のなかで、特別支援学級に通う自己と、交流学級のクラスメイトとを比較し、その差を感じて否定的な自己理解になっているのではないだろうか。
一方、広汎性発達障害のある対象児の自己理解と友人認知には、知的障害のある対象児ほど一貫した結果がみられなかった。この結果から考えられることは、広汎性発達障害のある子どもは知的障害のある子どもとは他者に対する認識が異なるということである。
自身がアスペルガー症候群であるニキ・リンコ(2004)は、「クラスメートは教室の備品だと思っていました。家に帰ると親がいます。学校に行くとクラスメートがいます。クラスメートとは、教室にいるものだったんです。」(Pp.108)と述べている。
また、吉井・吉松(2003)は先に述べた研究において、自閉性障害児は表情認知課題の回答内容が、具体物や自己に関する回答で占められ、自己について言及ができてもそれが他者に広がらないことに、自閉性障害児の特徴が現れているといえる、としている。
これらのことから、広汎性発達障害のある子どもは他者への認識の仕方が知的障害のある子どもとは異なり、意識が他者へと向きにくいということが考えられる。よって、友人への認識と自己理解の関連にあまり関連がみられなかったのだと考えられる。
インタビュー質問の結果から、知的障害のある子どもの自己理解と友人に対する認識には関連があることが示唆された。その一方で、広汎性発達障害のある子どもにおいてはあまり一貫した関連がみられなかった。しかし、このインタビューはあくまで対象児本人の主観的な認識に過ぎず、本当の友人関係は異なったものであるかもしれない。そこで、インタビュー質問の結果を追認するために観察を行った。