観察結果A-2:観察エピソード


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2.対象児の自己理解・友人認知
【B児】

<自己理解>
インタビューの結果、Bの自己理解は肯定的であった。しかし、観察エピソードについては自己否定的なエピソードが多く、インタビュー結果と観察結果の間でズレがみられた。観察エピソードの内容からBには次のような自己理解の特徴があると考えられる。Bは、自分を肯定的にとらえている一方で、失敗したときに自己否定的になりやすいということである。以下の2つのエピソードがその特徴をよく表している。

【エピソード10:11月14日】
人権学習発表会のリハーサルを、6年生の全クラスが集まって体育館で行った。その終わりに、先生から6年生全体にお叱りがあった。その際、Bは耳を塞ぎ「もうできない、やめます」と言う。
エピソード10では、怒られたのはBだけではなかったが、Bは「怒られた」ということを強く意識してこのような発言にいたったのではないか。このエピソードの他にも、絵の色塗りをしていてはみ出したら「やだー」と言って足踏みする姿がみられた。このことから、B児の失敗に対する不安が大きいこと、その失敗に対する不安や恐れが自己否定感へとつながっていると考えられる。また、Bが自己否定的になっているときに出る言葉として、「死にたい」「養護学校行く」などがある。この「養護学行く」という言葉は、Bが中学校の通常学級へ行くことを目標にしており、養護学校(特別支援学校)に対してあまり良くない認識をしていることをあらわしている。次のエピソード11ではBが否定的な言葉を発言して自己を否定的にとらえていることがわかる。

【エピソード11:12月3日】
特別支援学級に来て国語の勉強を始めていたB。同じクラスの男児が来て、「授業変更になって今の時間が社会になった」とH先生に伝えた。Bは「授業変更になったの?行きたくない」と言い、H先生に5分で切り替えてから交流教室に戻ることを言われた。すると、Bは「いやだ」と言って机を蹴った。それを見ていたH先生は、「お母さんに電話してくる」と教室を出ようとした。すると、BはH先生に駆け寄って「ごめんなさい。もうしません」と言って謝った。席に戻ったBだが、椅子に座って「死にたい」と繰り返した。それを聞いたH先生がもう一度「お母さんに電話してくる」と言うと、Bは「中学校行くのやめる。生まれてきてごめんなさい」と言った。H先生が「死にたいの?」と聞くと、「やっぱり死にたくない。教室へ行きます」と言って介助のK先生と一緒に交流教室へ向かった。
エピソード11では、Bから「死にたい」「生まれてきてごめんなさい」という自己否定的な言葉が出ている。Bの担当教員の話によると、うまくいかなかったり我慢できなかったときなどに怒られるとこのような否定的な言葉を言う。そして、その言葉の意味を理解しているのではなく、本などで使われている、否定的な、「自分はダメなんだ」というニュアンスの言葉を選んで発言しているという。この担当教員の話はエピソード11の状況を説明するものであり、B自身が自分に対して否定的な感情を抱いていると推察される。

<友人との関係>
友人認識に関してのBのインタビュー結果は、肯定的な回答が多かった。同様に、観察エピソードにおいても肯定的なエピソードが多かった。観察内容の結果、Bの友人との関係の特徴として、自分から関わろうとする意思は非常にあるが、その関わりが一方的になるということがあげられる。具体的な例として次のエピソード12・13がある。

【エピソード12:11月26日】
Bは特別支援学級で絵の色塗りをしていた。その時、H先生に「先生、私お友だちがほしいの。どうすればいいの?次の時間についてきて」と言った。

【エピソード13:12月6日】
2時間目の終わりに、H先生に「友だちと遊びたいから10時半になったら運動場いこか」と言った。休み時間になってもH先生が来なかったため、Bは「運動場いこか」と私(筆者)を誘い、私はついて行った。昇降口あたりでBが「友だち遊んどるとこ見に行ってみよか」と言い、教室へ行った。クラスでは複数の女児がグループになってトランプをしていた。Bは近くまで行って様子を見た後、「やっぱり友だちとは遊べやんわー」と言ってひまわりへ戻った。戻ると、J先生に「遊びにいかんかったん?」と聞かれ、「カードで遊んどったから遊べなかった」とBが答えた。J先生に「遊んだらよかったやん」と言われると、Bは「お母さんに外で遊ぶのだけって言われたから」と答えていた。
これらのエピソードからわかるように、Bは友だちがほしくて、友だちをつくろうと自ら行動を起こしている。健常児は、「友人のつくりかた」というものを意識して友人をつくることは少ない。しかしエピソード12にみられるように、Bは友人をつくるにはどうすればよいのかがわかっていない。これは、自閉症の障害特性のうち、コミュニケーションの障害から生じるものであると考えることができる。また、エピソード13では、友人が自分の望んでいる遊びをしていなかったから「友だちとは遊べない」という、相手や状況に合わせることができていない。それは、Bにとって「友だちという存在」よりも「友だちと遊ぶ」ほうが重要であるからだと推測することができる。
その一方で、Bが友人をつくることへ意欲をみせていることは、Bの意識が他者へも向けられているということになり、他者の思いを知るきっかけになっていると考えられる。 友人(クラスメイト)からBへの関わりは、Bが困っているときや指示されたことの確認の声掛けが多かった。具体的にはエピソード14の通りである。

【エピソード14:11月14日】
4時間目は音楽室で音楽の授業だった。その時間の終わりに、先生から「教室に帰ったら連絡帳書くように」と言われていた。Bが教室に戻ると、数人(2・3人)の女子児童に「Bちゃん、連絡帳書いた?」と聞かれ、「書いたよ」「もう分かった」と鬱陶しそうに言っていた。
このように、Bのクラスメイトは彼女のことを気にかけて声をかけているのに対し、Bはぶっきらぼうな言い方で返事をしている。以上の3つのエピソードを総合して考えると、Bが友人に対して一方的な関わり方をしていることが推察される。なぜならば、Bは友人がほしいと思い、その意思に基づいて友人との関わりを行っているのだが、Bは自分の関わりたいときに関わり、エピソード14にみられるように、友人からのはたらきかけに対してそっけない対応をして他者の考えにまで考えが及んでいないからである。
さらに、観察中に印象的だったのがBの「友だち」へのこだわりであった。そのこだわりというのをよく表しているのが次にあげる2つのエピソードである。

【エピソード15:12月6日】
Bは昼休みにK先生と鉄棒の練習をしていた。その理由が、「鉄棒ができないから友だちができない」というものだったらしい。というのも、同じクラスの女児らが鉄棒で遊んでいるところへ行って、「いれて」と自分から言ったらしい。そこで、女児らと同じ技ができなくてK先生に助けてもらった。そこから、「鉄棒ができなかったから友だちができなかった」という理由になった。

【エピソード16:11月29日】
算数の時間。問題が分からなかったBはH先生を呼んだ。しかし、H先生は別の子どもを見ており、Bの所へ行くことができなかった。すると、Bは本を読んで待っていた。H先生がBの所へ来て、「もうちょっとはよ書かなあかんよ」と言うとBは「分かってるわよ」と応えた。H先生が 「そんな言い方あかん。ハイっていいな」と言うと、Bは「分かってるわよ」を繰り返した。H先生が怒って「友だちできへんよ」と言うと、Bは 「友だちいらんわ」と返した。そんなやりとりがあり、本気で怒ったH先生に対し、Bは「ごめんなさい」「中学校行くのやめる」「養護学校行って働く」と繰り返していた。
この2つのエピソードにみられるように、Bにとって友だちというものが重要な位置にあることがわかる。しかしBにとっての「友人」は、「つくらないといけないもの」という認識になっていると考えられる。なぜならば、エピソード16にみられるように、Bのなかで「中学校に行く」ということと「友だちをつくること」が強く結びついていると推察できるからである。別府(2005)は著書のなかで次のように述べている。「高機能自閉症児の子どもは<中略>『とっさに』は感じとれないからこそ、必死で状況や心を読んで対応する。その際に陥りやすいのが、心や状況を読む数少ない手段である『○○の場合□□すべき』という論理に依拠し、それをあらゆる場面にあてはめようとすることです。」(Pp.55)
Bにおいてもこのことがあてはまる。Bの「友だちがほしい」という思いが「中学校へ行く」という周囲の願いへと結びつき、Bの中に「中学校に行くには友だちをつくるべき」という考えができあがったと考えることができる。それが彼女にとって友だちをつくるための動機であると同時にしんどさを抱える要因となっているのではないだろうか。

<自己理解と友人認識との関係>
 Bの自己理解と、友人への認識との関連を観察エピソードから考察した。その結果、Bの自己理解と友人への認識との間には関連があると考えられた。

【エピソード17:11月29日】
給食の時間、Bはおかずをおかわりするのに並んでいて、「誰か助けてー私わからないの、エーンエンエン(泣き真似)」と叫んだ。Bの前に男子児童がおかずをよそっており、Bが「代わって、代わって」と言うが、その男子児童は何も応えずにいた。その男子児童がよそい終わると別の男児がおかずをよそっていた。するとBは「あーもうやだ」と言って自分の席にあったパンにかぶりついた。
このエピソードでは、Bが周囲のクラスメイトに対して助けを求めている。しかし、そのやりとりがうまくいかずにBが「いやだ」と否定的な感情を抱いている。つまり、この「いやだ」という言葉は、男児とのやりとりがうまくいかなかったことと、うまくできなかった自分に対するものだと判断することができる。また次のエピソードは間接的ではあるが、Bにとって友人が重要な位置にあることを示し、友人をつくることがBの自己に影響していることを示唆している。

【エピソード18:12月5日】
特別支援学級での授業中にカルタをした。同じ6年生のL君がとる前から手を伸ばすことを嫌がり、Bは「やめて」と言った。Bは「Lちゃんあかんなあ。よーし、そんな奴やっちまおうぜ」と言っていじめをするような表現を行った。H先生が「そんな人とは誰も友達になりたくないよ」と言うと、Bはすぐに「ごめんなさい」と謝っていた。
エピソード18より、H先生に「友だちになりたくない人」と表現されたBは、すぐに「ごめんなさい」と謝っている。このことは、裏を返せば、Bは「友だちになりたい人」を意識していると考えることができる。それは、<友人との関係>の観察エピソードでもみられたように、Bが友人をつくることに対して積極的であることからも推測できることである。つまり、友だちをつくることがBの中で重要な位置にあり、友人との関係がうまくいかなかったことが自己否定感につながると考えられる。
以上のことから、Bの自己理解(評価)と友人への認識との間には関連があると考えることができる。