【考察】


 本研究の目的は2つあった。1つは、「母性神話信仰と育児不安の高低によって、母親のソーシャル・サポート選好がどのように異なるのかを明らかにすること」であった。2つは、「母性神話と育児不安の構成要素によるソーシャル・サポート選好の違いを明らかにすること」であった。



母性神話と育児不安によるソーシャル・サポート選好

 Figure1に示された結果からもわかるように、母性神話信仰が高い群は低い群よりも物質的サポートを求めるということが明らかになり、仮説は支持された。この結果について、母親の育児態度という視点から考察を行う。
 豊田・岡本(2006)は、育児期の女性を「母親としての自己」「個人としての自己」という視点から捉え、それぞれの母親に対してインタビューを行った。「母親としての自己」が高く、「個人としての自己」が低い母親中心群は、母親であることが自分の中心であり、不満はないことを語っている。また、子どもと常に一緒にいることや、自分ひとりの時間が減ったことによる制約感は感じていないことが明らかになった。ここから、母性意識の強い母親は、育児に積極的に取り組んでいることが分かる。
 母性神話を信じている母親は、育児に対して積極的であるのに、物質的サポートを求めるというのは、一見矛盾しているように思える。しかし、母性神話信仰が強く、普段から母親が中心となって育児をしているからこそ、ちょっとした時や自分の用事がある時に子どもを預かってもらうようなサポートがほしいと思うのではないか。子育て支援施設を利用する母親の中には、明るく元気で、支援を必要としていないように見える母親が多くいると言われている。しかし、その母親たちも話を聞いてみると、育児に翻弄され、ストレスをかかえていることがある(大日向, 2005)。楽しそうに育児しているように見えても、内心はつらさをかかえ、支援を必要としているのである。
 母性神話を信じている母親は、育児に積極的に取り組んでおり、周りの人間からは物質的サポートを必要としていないと考えられがちである。しかし、本研究から、母性神話を信じているからといって、自分の時間がほしい、時には子どもを預かってほしいという欲求がない訳ではないということが分かった。むしろ、普段から育児に専念しているからこそ、物質的サポートを必要としているのである。


絶対的母親像と負担感によるソーシャル・サポート選好

 Figure2の分散分析の結果から、絶対的母親像高群は低群よりも物質的サポートを求めるということが明らかになった。絶対的母親像というのは、母親の愛情を重要視する考えや自分が母親という存在であることの意識を強くもった価値観のことである。絶対的母親像を強くもっている母親は、育児に対しても自分の意向を強くもって取り組んでいると言える。母親としての信念を強くもっていて普段から自分が中心となって育児に取り組んでいるため、何かあった時には子どもを預かってもらうといった物質的サポートを求めているのだろう。
 絶対的母親像と似たような概念として、塩崎・無藤(2006)の分離不安研究の中の、「母親存在の大きさ」がある。これは、子どもは母親といた方が幸せだとか、子どもを他の人に預けたら不安に思うだろうといったものであり、子どもにとっての「母親」を重視する点で本研究の絶対的母親像と似た概念であると言える。塩崎ら(2006)の研究の中で、「母親存在の大きさ」は、「伝統的育児観」や「父親の母重視」に規定されていた。父親が、母親は子どもと一緒にいるべきだと考えていると、母親も母親としての自分の存在を強く感じるということが示唆された。父親が「子どもにとって母親といることが幸せだ」といった考えをもっている場合、その家庭では育児の多くは母親に任せられていると考えられる。このような、母親だけでなく、父親も母親重視の考えをもっている家庭では、そうでない家庭より母親が中心となって育児をするという体制が強くつくられているのだろう。そこで、父親からも育児を任せられ、普段から育児に専念している母親は、時には子どもから離れて自分の用事をすることや、自分が大変なときに子どもを預けることをサポートとして必要としているのである。
 また、母性神話の下位概念の中で、絶対的母親像のみでサポート選好に差がみられたことは興味深い。これは、母性神話の中でも、母親の存在を絶対視するという性質が強い概念であるということを示唆している。母親という存在が母親の中に確固としてあるため、育児に対してもより強く自分の思いが表れていると考えられる。母性神話の中でも、母親の存在を絶対視する傾向にある母親は、より育児に専念する傾向にあり、物質的サポートを必要としていることが分かった。


母性に対する役割観と育て方への不安感によるソーシャル・サポート選好

 Figure3の分散分析の結果から、育て方への不安感を感じている母親のうち、母性に対する役割観が低い群においては物質的サポートを求める傾向、母性に対する役割観が高い群においては物質的サポートを求めない傾向にあることが分かった。同じように育て方への不安感を感じている群であっても、母性に対する役割観の高低によって物質的サポート選好に違いがでた。
 この結果には母親の、サポートを要求することに対する抵抗感が大きく関わっていると示唆される。育て方への不安感を感じており、母性に関して役割意識を強くもっていない母親は自分の育て方でよいのかという気持ちを抱えているため、自分1人ではなく、他の人に頼りながら育児をしていきたいと思っているだろう。一方で、母性に対する役割意識が強い母親は、育児に責任を感じており、子どものためや社会のために母親が子どもをみなくてはという義務を感じている。普段から自分の手で育児をしていて、母親として育児に責任を感じているが、その自分の育児に自信が持てず、悩んでいるのである。そこで、子どもの世話を人に頼むという物質的サポートは、ただでさえ自信のない育児、そして自分の責任を感じている育児を他の人に任せることになり、抵抗を感じて、選好度が低くなったのではないか。
 相川(1987)は、援助要請に伴うコストが、援助を受けることで得る利益よりも大きければ、被援助者は援助要請をしないとしている。援助要請が起こらない場合、特に心理的コスト、例えば、自力で解決しようという目的の放棄、恥ずかしい思い、能力評価や自尊心の低下などが存在することが考えられている。育て方への不安感高群の中でも母性に対する役割観の高低によって差が生じたのは、この心理的コストが大きく影響していると考えられる。育て方への不安感が高い母親は、自分1人の育児では不十分なところを頼ることや子どもを預けることでその様子をみて自分の子どもとのかかわりを振り返ることを望んでいるだろう。しかし、母性に対する役割観を強く感じており、母親が育てるべきだという思いを抱えている場合、子どもを預けることは、育児の責任を放棄するといった、能力評価や自尊心の低下のような心理的コストがはたらくと考えられる。その結果、物質的サポート選好が低くなったと考えられる。
 ここから、育て方への不安感を抱えている母親であっても、母性に対する役割観という母親の育児観によって選好度に違いがあるということが分かった。育て方への不安感を感じている母親には、同じように物質的サポートを提供すればよいというわけではなく、母親の育児観を考えて支援をしていく必要性がある。


育児不安について

 全体を通して、育児不安の高低によってソーシャル・サポート選好に差がでなかった結果について考察する。育児不安が高い群と低い群においてサポート選好に違いはなく、どちらも同じ程度ソーシャル・サポートを必要としているということが明らかにされた。育児不安が高い母親がサポートを必要としているのは、もっともな結果であったが、育児不安が低い母親もサポートを必要としているというのは興味深い結果である。
 これらの結果は、育児がそれだけ母親に負担の大きな仕事だということを示している。深谷(2008)は、現在の育児事情として、不慣れ、孤立、連続というキーワードをあげている。多くの女性は、自分の子どもをもつ以前に身近に出産や育児を見聞きする機会が少なく、子どもと接することに不慣れであることが言える。また、多くの母親は核家族の家庭で、孤立したなかで育児を行っている。そして、育児は出産してすぐに終わるものではなく、その後5年以上と連続したものである。不慣れでどう接したらよいか分からない状態で子どもと長時間過ごすことや、子ども以外の人とまったく話をしないで一日が過ぎていくといったような孤立した育児は、母親にとってストレスのたまることである。本研究の結果から、育児不安の高低にかかわらず、ソーシャル・サポートは非常に多くの母親がほしいと思っていることが分かった。特に、育児不安が低い母親もサポートがほしいと思っている点は、注目すべき点である。この結果から、現代の育児は、母親ができるだけ多くの手助けがほしいと思うような、母親に負担の大きなものであるということを読み取ることができる。


本研究からみえてくる育児支援のあり方

 本研究では、母性神話信仰と育児不安の程度による母親のソーシャル・サポート選好の違いを比較検討した。目的の1つ目は、「母性神話信仰と育児不安の程度によって、母親のソーシャル・サポート選好がどのように異なるのかを明らかにすること」であった。2つ目は、「母性神話と育児不安の構成要素によるソーシャル・サポート選好の違いをそれぞれ明らかにすること」であった。これらの目的を通して、母親への育児支援について考察を行う。大きくは以下の2つの支援方針が示唆される。1つは、母性神話を信じている母親には物質的サポートの提供を進めるということである。2つは、母親の育児観を考慮して支援をしていくということである。


母性神話を信じている母親への育児支援として

 母性神話を信じている母親は、信じていない母親よりも物質的サポートを必要としているということが明らかになった。母性神話を信じている母親は、周りの人から、物質的サポートは必要としていないように考えられる。しかし、本研究の結果から、その考えが否定された。母性神話を信じている母親であっても、物質的サポートをほしいと思っているのである。それどころか、普段から育児に専念している分、信じていない母親よりも物質的サポートを必要としているということが明らかになった。ここから、支援として、母性神話を信じている母親へは、物質的サポートをより多く提供することが考えられる。具体的な育児支援の方針として、夫からの支援と行政的なサービスとしての支援の2点から考える。

 まず、1つ目の夫からの支援について考える。母性神話を信じている母親は、普段から育児に専念しているため、ちょっとした時や自分が病気になった時に子どもを預けられることを望んでいることが分かった。しかし、越ら(1991)の研究では、母性神話を信じている母親は、父親から日常的な育児の手助けをされると育児不安が高くなるということが明らかになっている。このことから、母性神話を信じている母親に対しては、父親からのサポートとして、日常的な物質的サポートは逆効果になってしまう。そのため、母性神話を信じている母親への支援として、一時的な物質的サポートを提供していくことがあげられる。母親が育児に専念していて、自分の時間がほしくなった時や病気で子どもの世話ができない時、父親が子どもを預かり、母親に育児の息抜きを薦めることが重要である。自分のニーズにあったサポートが得られたことで、母親は満足感を感じ、より育児にポジティブにかかわれたり、夫婦関係が良好になったりするだろう。母性神話を信じている母親に対しても、父親は育児を任せきりにするのではなく、母親の様子をみて、必要な時には手助けをすることが大切である。一方で、母性神話を信じていない母親は、信じている母親よりも物質的サポート選好度は低いが、サポートを求めていない訳ではない。逆に、子どもの入浴や寝かしつけ等の日常的な育児の手助けについては、母性神話を信じている母親よりも必要としている可能性がある。妻を怒らせる夫の一言として、「手伝おうか?」の一言があげられることがある。「手伝う」という言葉の裏には、「基本的に自分はなにもしなくていい」「育児は母親の仕事である」といった考えがあり、それが妻を怒らせてしまうのである。特に、母性神話を信じていない母親の場合、父親の、育児に協力的でない態度は、夫婦関係の悪化につながるだろう。母性神話を信じていない母親に対して、父親は日常的に育児を手伝う姿勢でいることが重要であると言えよう。
 次に、2つ目の行政的なサービスについてである。行政的なサポートにおける課題は、母性神話を信じている母親が、支援機関へ子どもを預けるハードルの高さについてである。実際の子育て支援の現場においても、母性神話の影響を感じることができる。大日向らが中心となって設立した子育てひろば「あい・ぽーと」は、子育てと親子支援の拠点となることを目指してつくられた。「あい・ぽーと」の特徴的な実践として、理由を問わず子どもを預かる一時保育事業がある。母親が子どもから離れる理由が、仕事や自己実現のためであろうと娯楽のためであろうと、まずはすべてを受け入れて、母親にゆとりを与えることが、育児を楽しむことにつながると考えられている。このような、理由を問わず子どもを預かるという母親にとって利用しやすいと考えられる事業であっても、子どもを預けることに悩み、躊躇する母親の姿がある。一時保育を利用する母親は、自分の用事のために子どもを預けることに罪悪感を覚えたり、いざ子どもから離れてみると子どものことが心配になったりしているのである(大日向, 2005)。
 本研究では、母性神話を信じている母親は、物質的サポートを求めていることが明らかになった。しかし、ほしいと思うことと実際に子どもを預けることとの間には差があり、子どもを預けることを躊躇する母親も多いだろう。現在は、多くの自治体で保育園、幼稚園での一時保育の実施やファミリーサポートセンターの利用が促進されている。しかし、これらの事業を紹介するパンフレットやホームページには、事業のしくみや利用に関する説明が大部分を占めており、母親の抵抗感を和らげるような記載はないことが多い。多くのパンフレット等に、育児疲れ、病気、怪我などに利用できると記載してあるが、利用する母親の気持ちに寄り添った言葉はないことが多い。子どもを預けたいと思っていても、なかなか踏み出せない母親への配慮をする必要がある。
 東京都日野市の0歳児一時保育事業「おむすび」のブログ(http://blog.goo.ne.jp/omusubi1011)では、利用者の母親に向けて以下のような配慮をしている。まず、「一時保育は、厚生労働省や、都道府県、市町村が推進している事業です。利用することは、特別なことではありません。」といったメッセージを載せている。そして、ストレスを強く感じている母親が託児サービスを利用し、「一人になるとほっとする。いつも緊張していたと気付いた。」と語っている例をあげて、「育児に対して、ストレスを感じることは、普通のお母さんの誰にでもあることであり、ストレスを感じることを、後ろめたく思い、自分を責めてしまうほうが、良くない。時には、子どもを誰かにあずけて、ほっとすることが必要である。」と述べている。さらに、利用者の声として、「はじめての一時保育利用だったので、あずけることへのためらいがあったが、そういうストレスも解消でき、とても気分が楽になった。」「あずけることに、後ろめたさがあったが、あたたかいコメントと写真をいただいて涙がでるほどほっとした。」などのコメントが載せられており、同じ気持ちをもっている母親にとって利用に積極的になれるような配慮がなされている。
 このような、一時保育を利用することを後ろめたく思う必要はないこと、同じように悩み、利用している母親が多くいることなどを示すことは、母親の一時保育利用のハードルを低くするものである。母性神話を信じている母親の、利用したいけれど踏み出せないという母親の気持ちに寄り添った配慮をすることで、一時保育等の事業がより効果を発揮するだろう。


母親の育児観を考慮した育児支援

 育て方への不安感を感じている母親において、母性に対する役割観の考えをもっていないと物質的サポートを求め、母性に対する役割観を強くもっていると物質的サポートを求めない傾向があることが示された。つまり、同じ育て方への不安感を感じていても、母親の育児観によって、サポート選好度が異なるということである。ここに、育児支援において母親の育児観を考慮する必要性が示された。
 子育て支援センター等の相談機関、乳幼児健診、あるいは保育園などにおいて、自分の育て方でよいのか不安に思って相談をもちかける母親がいるだろう。その母親に対しては、母親の役割意識が強いかどうかに注目して、支援方針を決めていく必要がある。物質的サポート選好度から、母親の役割意識をもっていない母親に対しては、物質的サポートの提供を薦め、自分の育児を客観的に考える機会をつくることが必要である。一方で、母親の役割に関する意識を強くもっている母親は、その育児への自信のなさと役割意識の高さから子どもを預けることに抵抗を感じている可能性が示唆された。この母親に対しては、子どもを預かることを提案する前に、子どもとのかかわりに自信がもてるように支援していくことが必要である。
 親の子育てに対する不安な気持ちに寄り添ったテキストとして、「完璧な親なんていない!」という本がある。この本の冒頭には、「親だって人間です。何でもすべてうまくやれる親など、どこにもいません。完璧な親になろうとして、無理にがんばる必要はありません。だいじなのは子どもを愛し、子育てを楽しむことです。自分が親としてベストをつくしていることに自信をもちましょう。」と書かれている。そして、しつけかた、子どものこころやからだの成長について、親の実情に寄り添って書かれている。その際、親の不安な気持ちを軽減させるような言葉が多く載せられていることが特徴である。例えば、しつけかたについては、「しつけには時間がかかり、何度もくり返すことが必要です。はじめから何でも上手にできる子どもなどいないのです。」といった一言、子どもが悪さをして頭がおかしくなりそうという気持ちになった時の対応については、「どんなにちゃんとしつけているつもりでも、子どもは時として親を困らせることをするものです。」といった一言が添えられている。このような言葉があることによって、母親は、焦ることなく子どもの発達を見守る姿勢をもつことができるだろう。
 役割に対する意識の強さは、育児に自信がもてれば、積極的な育児につながるものである。子どもとのかかわりに自信が持てれば、抵抗感がなくなり、一時的に子どもを預けて気分転換をするということが可能になるだろう。専門的な相談機関においては、他の母親と比べる必要はないこと、育児書や雑誌は必ずしも正しいわけではなく、振り回される必要はないこと、育児は誰でも初心者であるので上手にできなくて当然であることなどを話し、母親を安心させることが重要である。また、子どもと一緒にできる簡単な遊びなどを教えて、子どもとのかかわりを活発にさせていくことで自信をもたせるよう援助していくべきである。
 以上のことより、育て方への不安感を抱えており、母親としての役割意識が弱い母親へは、子どもを預かることで自分の育児を見直す時間をつくるよう支援していく。一方で、母親としての役割意識が強い母親へは、自分の時間をつくるよりも、子どもとのかかわりに自信をもてるように支援していくといった、母親の育児観によって支援方針を変えていく必要性が本研究から示唆された。


今後の課題

 最後に、本研究における課題を2つあげる。1つは、サポート源についてである。本研究では、物質的サポートと情緒的サポートというサポートの種類に注目した。しかし、そのサポートが誰から得られるものかによって、ほしいと思うかどうかにも差がでてくるだろう。夫からは物質的サポートをほしいと思うが、友人からは情緒的サポートがほしいと思うというような、サポート源とサポートの種類によってさまざまな母親のニーズがあると考えられる。母性神話を信じている母親が、誰からどのようなサポートを求めているかを詳細に明らかにすることで、より効果的な支援を提供できるだろう。
 2つは、母性神話と育児行為の関連についてである。本研究では、母性神話を信じている母親が物質的サポートを求めていることを明らかにし、それは母性神話を信じている母親は普段から積極的に育児に専念しているためであると推察した。しかし、母性神話を信じている母親が実際にどのように考え、育児をしているのかは推測の域をでない。母性神話を信じていることが、実際の育児にどう影響を与えているのかを明らかにすることは、母親の実態を捉え、理解していくことにつながる。母性神話と実際の育児行為の関連についても取り上げる必要があるだろう。


BACK NEXT