【問題と目的】



 本研究の目的は、母性神話信仰と育児不安の高低によって、母親のソーシャル・サポート選好がどのように異なるのかを明らかにすることである。

育児不安を軽減させるソーシャル・サポート

 牧野(1982)は、「子の現状や将来あるいは育児のやり方や結果に対する漠然としたおそれを含む情緒の状態」を育児不安と呼んだ。育児不安は、子どもをもつ母親の6割が感じていることや、虐待や育児ノイローゼの原因になると言われている。そこで、育児不安を解消することが重要だと考えられ、育児不安に影響を及ぼす要因について研究がなされてきた。特に、母親が孤立して育児をしている状態が育児不安を高めると言われており、その対策の1つとしてソーシャル・サポートの重要性が指摘されている。ソーシャル・サポートとは、「情緒的負荷軽減のための支援、仕事の分担、金・物資・道具・技術などの提供」(Caplan, 1974)[林(2010)から引用]のことである。ソーシャル・サポートは、主に物質的サポートと情緒的サポートの2種類に分けられる。物質的サポートとは、ストレスの解決に直接役立つような資源を提供したり、その資源についての情報を与えるというものである(松井・浦, 1998)。例えば、子どもを預かったり面倒を見てくれたりといったサポートである。情緒的サポートとは、資源や情報を与えるのではなく、ストレスに苦しむ人の情緒や自尊心、自己評価を高めるよう働きかけるものであり(松井・浦, 1998)、具体的には、子育てについての悩みや愚痴を聞いてくれるといったものである。 これらのソーシャル・サポートの効果については様々な研究がなされてきた。まず、夫からのサポートや育児仲間の存在は育児不安を軽減させる効果があることが明らかになっている(牧野, 1982;住田・中田, 1999;渡辺・石井, 2005)。また、情緒的サポートは、育児不安を低減させ、育児肯定感を高めるということが明らかになっている(荒牧・田村,2003)。さらに、夫からの情緒的サポートは、母親の育児不安を低減させる効果をもち、また、「親の意に反する行動」をとる子どもに遭遇して生じた母親の衝動的感情を抑える効果があると示している(村松, 2006)。


これまでの研究の問題点

 このように、母親の育児不安に対するソーシャル・サポートの効果について多くの研究がなされてきた。しかし、これまでの研究では取り上げられてこなかった重要な視点が2つある。1つは、どのようなサポートを求めるのかといった、ソーシャル・サポート選好に注目する視点である。2つは、母親の育児観を考慮にいれる視点である。


ソーシャル・サポート選好

 まず、1つ目のソーシャル・サポート選好を取り上げる理由について述べる。松井・浦(1998)は、「ニーズ(本研究でいう選好と同じ意味)と適合するサポートがあれば、そのサポートが効力を発揮する」としている。しかし、これまでの育児期の母親に対するソーシャル・サポート研究においては、育児不安を軽減させるサポートについての研究が多く、母親のニーズについては明らかにされていない。母親がどのようなサポートを求めているのかという主観的選好を明らかにすることで、母親のニーズにあった直接効果のあるソーシャル・サポートを提供できると考える。また、育児支援を考える際にも、母親のニーズとのズレがなくなり、母親の意思を尊重した一方的でない支援を提供できるだろう。


母親の育児観

 次に、2つ目の母親の育児観を考慮に入れる理由について説明する。それは、母親の育児観は、育児方針との関係が深いと考えるためである。例えば、母親が、子どもは社会のみんなで育てるべきだという考えをもっている場合、周りの人に頼ったり、支援機関を頻繁に利用したりしながら育児をしているだろう。このように、サポート要求に関する育児の方針は、母親の育児観に規定されていると考えられる。母親の育児観とソーシャル・サポートの間には関連が想定されるにもかかわらず、これまで母親の育児観を考慮したソーシャル・サポートについては明らかにされていない。さらに、本研究では、サポートに関する母親の主観的な選好を取り上げるため、より母親の育児観の影響を受けると考えられる。よって、この2点を取り上げ、母親の育児観によるサポート選好の違いを明らかにしていく。


母親の育児観として母性神話

 本研究では、母親の育児観のなかでも母性神話を取り上げる。母性神話とは、女性は子どもを愛情深く献身的に育てようとする性質が備わっているため、子どもは母親の手で育てるのが望ましいとする考えのことである(高橋・庄司, 2002)。母性神話を取り上げる理由は2つある。1つは、母性神話の考えが、未だ社会に根強く残っていることである。全国家庭動向調査(2008)によると、「子どもが3歳くらいまでは、母親は仕事を持たず育児に専念した方がよい」に賛成と答えた人は85.9%と多く、母性神話の考えは多くの人に信じられていることが分かる。また、近年、虐待が大きな社会問題となっており、虐待までいかなくても、育児に戸惑いや苦悩を抱えている母親に対して母親失格であると嘆かれることがある。虐待は決して許されることではないが、「わが子に暴力をふるうなんて信じられない」、「虐待をする母親は異常だ」というように、母親に非難が集中する傾向は注目すべき点である。このような虐待の加害者である母親だけを一方的に非難する考えの根底には、「母親は子どもをかわいいと思うもの」といった母性神話があると考えられる。これらのことから、母性神話は社会に広く信じられている信念であることが分かる。そのため、母性神話を取り上げて、その信仰の程度によるソーシャル・サポート選好を明らかにすることは、多くの母親への支援を考える際に重要なことである。
 2つは、母性神話によってサポート選好が変わり得ると考えられることである。江上(2005)は、母性神話を社会的通念と捉え、他の要因との組み合わせによってネガティブにもポジティブにもはたらき得るものであるということを示している。母親の母性神話信仰の高さは、母親が子どもの発達水準を高いと認知する場合には、怒りの感情制御においてポジティブにはたらくが、子どもの発達水準を低いと認知する場合には、ネガティブにはたらくということが明らかになった。このように、母性神話は、他の要因と組み合わさることによって影響を与える向きが変わるといった、複雑なものである。この結果をふまえれば、サポート選好においても、母性神話を信じているかどうかによって違いが生じると考えられる。複雑な構造をもつ母性神話信仰によってサポート選好がどのように異なるのかを細かくみていくことは、母親への育児支援において重要である。

 以上の2点から、本研究では母親の育児観として母性神話を取り上げ、「母性神話信仰と育児不安の高低によって、母親のソーシャル・サポート選好がどのように異なるのかを明らかにすること」を第1の目的とする。


仮説

 では、母性神話を信じているかどうかによって、母親のソーシャル・サポート選好にどのような違いがあるのだろうか。

 母性神話を信じている母親は、信じていない母親よりも物質的サポートを求めると予測される。全国家庭動向調査(2008)によると、「子どもが3歳くらいになるまでは、母親は仕事を持たず育児に専念した方がよい」への賛成割合は、専業主婦が90.7%であった。母性神話を信じていると実際にも、専業主婦になり、育児に専念しているということが分かる。また、母性愛への信仰が高い母親は、「子どもと一緒の時間こそが楽しい」と述べており、母性神話の考えを引き受けて現実的に子育ての場面でも実践している(江上, 2008)。このことから、母性神話を信じている母親は、母親として育児に専念していたり、母親が主体となって日常的に育児をしていると考えられる。日頃から育児に専念しているため、病気のような非常事態や自分の時間がほしい時など、一時的に子どもを預かってもらえるような物質的サポートを求めると予測される。

 ただ、このような仮説とは異なる結果も出されている。越・坪田(1991)は、育児は母親の役割である、あるいは母親が中心となる役割であると考えている母親の場合、父親の協力度が高いほど育児不安が高いことを明らかにしている。母性神話を信じている母親の場合、夫からの物質的サポートを提供すると、自分の育児が不十分であると考え、育児不安が高くなるということを示唆している。これは、上にあげた主張とは逆の結果であると言える。しかし、越ら(1991)の研究での父親の協力度というのは、子どもの入浴や食事、寝かしつけ等の育児行動について「だいたい毎日する」「時々する」といった程度を聞いているものである。つまり、父親の協力とは、長期的、日常的な育児の手助けを指している。本研究で扱う物質的サポートは、あくまで育児の主体は母親であり、サポートは母親が育児から少しの間離れられるような、非常時や一時的なものを想定している。よって、越ら(1991)の研究とはまた違った結果が得られると考えられる。

 以上のように、母性神話を信じている母親は物質的サポートを求めると予測するが、このとき、育児不安の高低によってサポート選好に変化はなく、母性神話のみの影響を受けると予測する。なぜなら、母親は、育児不安が高くても低くても周りからのサポートは必要としていると考えられるためである。近年、核家族化や地域社会の関係の希薄化が進み、育児を父親と母親のみで行う傾向がとても強い。ベネッセ(2010)の調査では、父親や祖父母からのサポートがあるとしている人は60%を超えるのに対し、近所の人や友人からのサポートや、保育園や民間のサービスを利用している人は20%に満たない。このように、多くの家庭において、母親は、父親や祖父母などの身内以外からサポートを得にくい環境にあると考えられる。そのため、育児不安が高くても低くてもサポート選好度は変わらないのではないか。一方で、母性神話は、母親自身の信念であり、育児の根本となるものである。育児行為にも多大な影響を及ぼすと考えられ、育児不安の高低にはかかわらず母性神話信仰の高低によってソーシャル・サポート選好が変化すると考えられる。仮説は、「育児不安の高低に関わらず、母性神話を信じている母親は、信じていない母親よりも物質的サポートを求めるだろう」である。


第2の目的として

 さらに、本研究では、2つ目の目的として、母性神話と育児不安を細かくみていき、その構成要素の組み合わせによるソーシャル・サポート選好の違いをそれぞれ明らかにすることをあげる。荒牧・無藤(2003)は、育児不安を「負担感」「育て方への不安感」「育ちへの不安感」の3つに分類している。育児不安であっても、どこに不安を抱えているかによって性質は大きく違ってくるだろう。また、母性神話においても、子どもへの愛情の面であったり、理想の母親像であったり、さまざまな側面があると考えられる。母親が母性神話のどういう側面を強くもっているかと育児に関してどういう不安を抱えているかによってソーシャル・サポート選好は変わってくるだろう。よって、本研究では、母性神話と育児不安の構成要素によるソーシャル・サポート選好の違いを明らかにする。


対象者について

 次に、本研究で扱う対象者について説明する。本研究では、1歳6ヵ月児をもつ母親を対象とする。その理由は2つある。1つに、1歳前後が育児期において育児不安の高い時期であることである。厚生労働白書(2003)によると、3歳半の子どもをもつ母親がこれまで育児について一番大変だった時期として挙げたものが、退院直後から1ヶ月といった新生児期が一番多く、次いで1歳前後であった。また、一番手助けがほしかった時期としても、新生児期に次いで、1歳前後を挙げている。新生児期は、初めてする育児への戸惑いから不安が高くなっていると予想できるが、1歳前後における不安は、子どもの発達に関する不安や育て方に関する不安など、さまざまな不安を抱えていると考えられる。1歳前後において母親のソーシャル・サポート選好を明らかにして、不安を解消させるよう支援していく必要がある。2つに、1歳をすぎた頃には、子どもの発達と自分の育児を関連づける傾向が強いと考えられるためである。1歳という時期は、初語の出現や歩行等の運動機能の発達が著しい時期である。言葉や歩行は、発達の大きな節目であり、その発達が目に見えて分かりやすい。そのため、発達の遅れが母親にも分かりやすく、子どもの発達の原因を自分の育児に見出しがちであると言える。自分の育児に原因を見出すことは、自分を責めることにつながり、その不安やストレスは大きいものだろう。そのため、この時期の母親のサポート要求を明らかにする必要がある。以上の2点から、1歳をすぎた頃の子どもをもつ母親において、ソーシャル・サポート選好を詳細に明らかにする必要があると考えられる。そこで、本研究では1歳6ヵ月児をもつ母親を対象とすることとする。


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