本研究では、日本の大学生における学業的満足遅延について検討するために、日本語版の尺度作成を行い、得られたデータで確認的因子分析による尺度構成の検討を行った。また、大学での学習に対する課題価値が学業的満足遅延にどう影響するかという因果モデルの検討を行った。さらに、性差についても分析し検討した。各結果について先行研究との比較を交え、今後の課題とともに考察を述べる。
1 尺度作成における信頼性の考察
1-1学業的満足遅延尺度の項目内容について
本研究では、Zhang, Karabenick & et al(2011)で作成されたADOG-Cをそのまま日本語に翻訳して尺度作成を行った。その結果、第6項目の回答に偏りが見られたため、内容の吟味の必要性が示された。
項目合計統計量を算出したところによると、第6項目のみ修正済み項目合計相関が低く、平均値も全体の中で低い値を示していることが確認された。項目の内容は、満足非遅延の選択肢が「好きなクラスであったら喜んで学校に行くが、嫌いなクラスであったらいやいや学校に行く」であり、満足遅延の選択肢が「どんなクラスであろうと喜んで学校に行く」であった。平均値が低かったということは、第6項目において多くの回答者が満足非遅延傾向にあったということである。これは、本研究の対象が大学生であったことによるものと思われる。大学生は所属するクラスやコースはあるものの授業自体は個人で選択し受けるものが多く、小学校から高校までのようなクラス単位での学習活動は比較的少ない。そのため、嫌いなクラスであるから授業に行きたくないという即時的な回避欲求が、大学生の学業的満足非遅延に適切に反映されなかった可能性がある。
また、満足非遅延の選択肢は原尺度に基づき「テレビを見る」や「スポーツをする」といった内容を含んでいた。それらに対し、質問紙において調査に対する感想を求めたところ「自分はテレビをあまり見ないため回答に迷った」や「勉強をしない選択肢の方は人によって違うと思う」といったコメントがされていた。
全体を通して大きく信頼性を損なう項目は見られなかったことから、Zhang, Karabenick & et al.(2011)を原尺度に用いたことによる文化的な配慮は適切であったと思われる。その上で今後さらに調査対象の年代における非学業的な生活の実態を吟味したうえで項目表現を検討する必要があるといえる。
1-2 学業的満足遅延尺度の因子構成について
学業的満足遅延尺度について本研究で得られたデータからは、学業的満足遅延の社会性に関わる2因子モデルは支持されなかった。Bembenutty & Karabenick(1998)は、2因子に分けた分析を行うと尺度の内部一貫性が落ちたことを考慮し、最終的にMSLQとの相関分析による妥当性の検討の際は両因子を総合して学業的満足遅延としている。原尺度に用いたZhang, Karabenick & et al.(2011)では学業的満足遅延は1因子構造であったとされている。またMehdi, Parvin & et al.(2012)においても同様の結果がみられている。よって項目内容に課題は残されているものの、今回の尺度作成において潜在因子が1つであったことは、これまでの知見に沿う結果が得られたといえるだろう。
1-3 学業的満足遅延と他の変数との関連について
自己調整学習方略との関連
学業的満足遅延と努力調整、メタ認知傾向との相関関係について、それぞれ有意な正の相関が見られた。これはBembenutty & Karabenick(1998)、Bembenutty(2007a)、Zhang ,Karabenick, Maruno & Lauermann(2011)などによるこれまでの研究と一致している。本研究で対象とした学生も、学業において即時的な衝動欲求を満たそうとするのを我慢し先の目標を達成しようと勉強を選択することが勉強に対する努力の仕方や計画、自己モニタリングの傾向を反映していることが分かった。
1-3.1努力調整との関連
努力調整と学業的満足遅延の間にはやはり深い結びつきが示唆された。伊藤・神藤(2003)は、自己調整学習方略が学習への粘り強い取り組みを促すと述べている。藤田(2010)は努力調整とは、学習の取り組みにおける情意的側面をコントロールし、学習者の学習活動への動機づけを高めることであるとしている。それらを踏まえ、学業的満足遅延は、勉強の過程で休息を取りたい、または遊びたい、さらには分からないところをやりたくないなどの非学業的な欲求を抱いたとき、長期的な目標のためにそれらの欲求を抑えることであるから、その際に学習動機づけを維持しようと努力しているのではないかと思われる。
1-3.2メタ認知傾向との関連
Bembenutty(2004)は、学業的満足遅延を行う際、将来への時間的展望(future time perspective)が深く関わっていると述べている。彼は、満足遅延に関する自己の制御において、現在の行動が先の結果へどう影響するかという予測が働いていることが推測されるとしている。メタ認知は、課題達成に向けた学習のプランニングに関わる要因であり、学習者は、メタ認知を行うことで先の見通しを立てているといえる。学業的満足遅延は、娯楽や難しいことを回避するなどの即時的欲求を選択するか、それらを遠ざけ勉強を頑張ることを選択するかということであるから、意志決定の際に選択によって先の目標達成の可能性がどう影響を受けるかという見通しが働いているのではないかと思われる。
1-3.3自己調整学習方略に伴う動機づけ的考察
学業的満足遅延との自己調整学習の関係は、方略使用を媒介とした動機づけ的観点からも考察されうる。本研究で取り上げた努力調整は直切学習動機づけを維持しようとすることであり、方略とみなすこともできる。またメタ認知傾向とは、自己の能力や課題の難易度などをモニタリングしたり、課題の達成のために、現在の方略の適不適を考えたりすることを指す(市原・新井,2006; )。自己調整学習の方略を使うことによって、学習者は達成までの過程で何かしらの成果を得ることや、課題への取り組みの効率化、達成すべき目標を明確に意識することなどを経験する、それらは彼らの達成動機づけを高めることが多くの研究で示唆されている(Pintrich, 2000; 佐藤, 2000)。つまり方略の使用によって高まるであろう学習動機づけが、学習への積極的姿勢を生み出すため、即時的欲求に揺らぐことなく学習を選択しやすくするということが考えられるかもしれない。
しかしながら、今回は調査対象者の将来展望や学業への動機づけ、他の学習方略の使用に関しては実際の調査を行っていない。今後はそれらの要因も調査に加えて研究を行っていくことで、更に学業的満足遅延への理解が深まると思われる。
1-3.4持続性の欠如との関連
次に、学業的満足遅延が行動的影響を及ぼすものとして測定した学習の持続性との関連についての考察を行う。学習への継続的な取り組みと逆の意味を持つ持続性の欠如と学業的満足遅延にやや強い負の関連がみられたことは、これまでの研究に一致する結果となった。先行研究では、学習者が普段から遊び時間に比べ学習時間を多く取ることは、学業達成が娯楽などの即時的な報酬よりも将来的な目標の達成に意識が向く持つためであると述べられている(Bembenutty & Karabenick, 1998; Bembenutty, 2004, 2007, 2008)。さらに、学習時間が多いということは、先に述べた勉強の将来目標の認識だけでなく、実際の行動面において学業達成のための満足遅延に長けていると考察されている(Zhang, Karabenick & et al., 2011)。
本研究では、学業的満足遅延傾向の高い者が実際に即時的な報酬より学業達成に将来的な達成を意識していたかについては不明である。しかしながら相関分析によって彼らの学習の持続性が高いことは明らかにされた。よって学業達成のために即時的な報酬を我慢することは、少なくとも学習者の行動に反映される可能性が示唆された。
また、先行研究との比較のため調査対象の年代差も留意しておく。Zhang & et al.(2011)は小学生を対象に学習時間の検討を行っているが、本研究の調査対象は大学生であった。このことから、大学生においても、学業的満足遅延傾向が高い者ほど、継続的な学習行動を行う可能性が示唆された。一方で、対象年齢が異なれば課題内容や課題への取り組み方の多様性、また学習者の自律性のレベルなども異なる。そのため、@今後は本研究の結果を活かして、発達要因も加えた学業的満足遅延の比較検討を行っていくことが大切であると思われる。
1-3.5課題価値との関連
Bembenutty(1999, 2008)において学業的満足遅延を予測するとして課題の重要性や実用性が挙げられていることから、本研究の課題価値と学業的満足遅延との相関関係も先行研究に沿うものとなった。興味価値、利用価値、獲得価値の3変数において学業的満足遅延との間に弱い正の相関がみられた。しかし、コスト感覚についてはこれまでの結果と異なる結果が現れた。コスト感覚は課題への負担感を測定するものであるため、予想では他の課題価値変数との間に負の関連が現れ、かつ学業的満足遅延とも同様の結果になると思われた。しかし分析を行ったところ、課題価値のそれぞれとは弱い正の関連が見られ、学業的満足遅延とは関連が見られないという結果となった。Eccles & Wigfield(1995)では、課題の興味価値、獲得価値、利用価値とコストの間に負の相関が現れており、本研究の結果とは異なる。今回の調査で測定されたコスト感覚は、学習の負担感とは質的に異なるものとなった可能性も考えられる。
なお、それぞれの課題価値と学業的満足遅延の相関関係は、他の課題価値側面の影響を受けての結果である。そのため、学業的満足遅延と課題価値の関係についての考察は、重回帰モデリングの結果と性差の検討に関する部分で後述する。
以上をもって、本研究で測定された学業的満足遅延の妥当性は部分的に示唆されたと考えられる。今後は項目内容に関して、年代や学校形態などの他の要因を考慮しつつ尺度のさらなる信頼性を高めていくことが必要である。
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