学習と満足遅延
満足遅延の重要性が多くの心理学的領域に及ぶ中でも、教育の学習場面におけるその価値を見逃すことはできないであろう。学習において与えられた課題を達成すること、試験でよい成績をとることは、勉強以外の衝動的欲求にうまく対処することが必要だからである(小橋・井田, 2012; Zimmerman, 1989)。
実際、学習に欠かせない動機づけや知識に関する認知が、満足遅延と重要な関わりを持つと言われている。Metcalfe & Mischel(1999)らは課題の達成における温かい認知と冷たい認知(hot/cool system)は満足遅延を説明しうると述べた。温かい認知とは、情動や熱意などに関わる認知であり、行動への動機づけの源であるといえる。冷たい認知は、冷静で熟慮的かつ方略的な認知であり、目標達成へのプランニングや現状把握にはたらくものとして考えられる。満足遅延は先の成功報酬や現状をモニタリングし、課題に従事する自分をコントロールする。そして、目標達成に向かう姿勢は、動機づけそのものである。学習者の学習過程の中で満足遅延が重要であることがうかがえる。光富・加来・福原・長尾・小林(2002)も、学習を始めとする達成行動が上手くいかない等の問題は、個人の満足遅延の未発達によって説明されうることを示唆している。
国内の実証研究では、宮崎・龍・西田・小川内(2002)が中学生の日常での全般的な欲求不満耐性と学業成績、加えて学習動機づけとの関連を検討している。その結果、満足遅延の傾向が高い生徒ほど学習成績が高く、学習に対し内発的な動機づけを持っていることが明らかになった。
一方宮崎ら(2002)の同研究においては、日本での学業における満足遅延については未だ実証的な研究報告が海外に比べ少ないことも課題として示唆されている。白井(1995)は当時の研究において、青年の関心が先の大きな将来目標の達成のために現在の行動を統制し満足遅延することよりも目の前の享楽に傾倒してきていると述べている。このことは現代においても深刻な課題であるといえるだろう。
以上を踏まえると、学業と満足遅延の関係は国内において今後も大きなテーマとして取り上げられていくべきであり、さらなる研究が望まれるところである。
学業的文脈に沿った満足遅延とは
さて、学業への取り組みと満足遅延の関連について検討する際に、満足遅延は学業的文脈に沿ったものであるべきだという領域の固有性が指摘されている。理由としては、全般的な満足遅延の背景にある要因が多いがために学習との関連についての研究結果や解釈にばらつきがみられることが挙げられる。
Mischel & et al.(1988)の縦断研究において満足遅延傾向がのち学業成績や学業志向性に関わることが示唆されたが、Sarafino, Russo, Barker, Concention & Tuti(1982)が発達的視点から満足遅延をとらえた研究では、10歳以降の子どもには、満足遅延傾向が学習への動機づけを高める影響はみられなくなるという報告を行っている。これは、学習内容の好みや難易度、方略の使用などの外的な要因が強く影響する学業の動機づけや成績において、発達課題としての全般的な満足遅延から考察がされていることによるものと思われる。
また、衝動性と全般的満足遅延が負の関係にあることも別の研究で述べられており、生物学的パーソナリティの観点からみると、遺伝的要素も関わる可能性が示唆されている。
さらに、満足遅延を文脈によって解釈すべきとする主張は、Bembenutty(1997)の実証研究で強調されている。同研究において、尺度で測定された全般的な満足遅延の因子分析が行われた結果、職業に関わる満足遅延と学習場面における満足遅延が異なる因子として抽出されている。これは、職業場面における満足を遅延させることと、学業場面における満足を遅延させることは、同じ満足遅延でも個人内で異なる意味を持つということを示している。
以上のように、発達や遺伝的視点、さらに状況的文脈の影響など様々な満足遅延の背景を考慮すると、学業達成のみに焦点を当てた場合に全体的な満足遅延の観点からでは、一定の知見が得られにくくなるものと考えられる。
よって、学習者の学習への取り組みや学業の達成に寄与する満足遅延は、学業という文脈に沿った独自のものとして考えていく必要がある。そうした観点に基づき、 Bembenutty & Karabenick(1998)によって学業的満足遅延(Academic delay of gratification=ADOG)の研究が始められている。満足遅延研究は様々な視点から数多くの研究がされている。一方で学業に特化した満足遅延は、古くからの学習に関わる研究の中では比較的新しい概念として扱われている。次節から学業的満足遅延研究について概観していく。
BACK NEXT
TOP