【問題と目的】
3.災害ボランティアによる支援
阪神大震災や東日本大震災のような大規模な自然災害が発生した際には、被災した都市自体の行政機能がマヒしてしまい、十分な災害救援活動を行うことができない。実際にできなかった。したがって前述のとおり、全国から災害ボランティアが駆けつけて活動することになる。ボランティアの力は当然必要であるし、大きい。神戸市社会福祉協議会(2014)は災害ボランティアを「災害発生後に、被災者の生活や自立を支援し、また行政や防災関係機関等が行う応急対策を支援する、自発的に能力や時間を提供する団体」であると「神戸市地域防災計画(地震対策編)」に記載された内容に従って定義した。そして災害ボランティアは医師や看護師等専門的な技術や知識を活用する専門職ボランティアと一般ボランティアに区別される。
一般ボランティアは主にNPO団体、企業、学生、その他民間の個人などによって構成され、その活動は非常に多彩なものとなっている。
阪神淡路大震災の時はそれぞれのボランティアが個々で活動していたため(組織的な対応がまだできていなかったため)「点」での支援になっていたが、東日本大震災ではそれぞれの団体が支援のネットワークを広げることで「面」での支援につながるようになった。こうしたことからもボランティアとしての広がりをみることができる。このような広がりをみせた背景には、インターネットの普及が大きな影響を与えている。阪神淡路大震災の時にはインターネットはあったものの、今ほど普及しておらず、情報交換などがしづらかった。一方、東日本大震災時はインターネットも全国的に普及し、インターネット上での呼びかけも頻繁に行われた。他にも移動手段の発達や各技術の発展がボランティアの支援に大きな影響を与えている。
神谷(2013)も東日本大震災におけるボランティアの活躍を、阪神淡路大震災と比較すると、@全般的、A広範的、B組織的といった傾向が強くなった印象を受けるとしている。第1の「全般的」とは、よりボランティアの裾野が広がり、一部の特殊な人ではなく、大勢の普通の人が取り組むものという感覚が一般的になったということである。第2の「広範的」とは、インターネットなどによって支援の輪が広がったということである。第3の「組織的」とは、大学や民間団体、企業なども組織を挙げて支援し、各団体が連携したということである。
これらの災害ボランティアは今や、その迅速な対応と支援によって回復・復旧には必要不可欠な存在として現在も大きく発展している。ボランティアが発展するきっかけとなったのが阪神淡路大震災の時であり、各地から延べ約216万人ものボランティアが駆けつけた(兵庫県,2006)。この1995年はのちに「ボランティア元年」と呼ばれるようになった。また、全国社会福祉協議会(2015)によると2011年の東日本大震災で活動したボランティアは岩手県、宮城県、福島県の3県合計で約147万人が駆けつけたという。まさに多くのボランティアが災害支援の力になっていることがわかる。(注:ボランティア数は期間の区別などにより数が異なる。)
こうしたボランティアによる支援は現在では当然のものとなってきており、ボランティアは災害支援においてなくてはならないものとなっている。地震のみならず台風や洪水など他の災害でも活躍が目立つようになってきた。
しかし、阪神淡路大震災の時はボランティアが全国から押しかけてきて、数が非常に多かったため、実際のところ、自治体(神戸市)としてボランティアをうまく受け入れることができず、その力を効率よく利用することができない状態になった。この問題は、被災地における災害救援を受け入れる際の教訓として、その後検討されることになった。
先般の東日本大震災では、阪神淡路大震災時に比べて災害ボランティアについての理解が自治体全体として広まり、ボランティア側としても活動への考え方が変化した。その結果、ボランティアの質は向上している様子も見られたが、この「支援の受け入れ(ボランティアの受け入れ)」の問題は依然として残っていたと言える。その原因としては、災害発生エリアが神戸の時よりも格段に広く、そのうえ大津波による壊滅的状況に陥ったことが大きい。それにより、各被災自治体そのものの行政機能が完全に停止してしまい、近隣はもちろん、遠方からの自治体の応援や支援、災害ボランティアの応援や支援の受け入れをうまく受け入れることができなかった。そのため、被災地全体が大混乱してしまうという事態になった。東日本大震災のボランティア支援受け入れに関しては、数字だけ見れば、阪神淡路大震災の時に比べボランティア数が少ないことがわかる(147万人<216万人)。数字には表れていないものがあるにせよ、あまりの被害の大きさ(広範囲にわたる津波による壊滅的な被害)のため、ボランティアに行くことをためらい、初動としての数が減少してしまったことが挙げられる。地震発生から2か月間では阪神大震災時は約100万人であったのに対し、東日本大震災では約22万人で4分の1程度しかボランティアがいなかったことになる(兵庫県,2005;全国社会福祉協議会,2015)。同時に受け入れ側地域のほとんど全部が被災しているためにボランティアが来ても受け入れを拒否せざるを得ないということが起こってしまった。そのため「県外ボランティアお断り」ということが問題にもなった。「ボランティアに行きたいのに行けない」、「受け入れたいのに受け入れられない」といった葛藤が互いに生まれてしまい、両者の思いがすれ違うことになってしまった。さらにメディアなどでもボランティア自粛の考えが伝えられるなど被災地の状況を考慮してのことなのか、よくわからないような動きすら出てきてしまった。
このようにボランティアの支援が被災地域手前の段階の自治体で止まってしまい、被災地まで行けず、被災地には支援が全く届かないことにもつながった(Figure1参照)。被災地域が、支援をうまく受け入れられないことにより、支援物資があふれたり、特定の被災地(何とか入れた場所)に人があふれてしまったりなどすれば、適切な支援に至らず、復興・復旧に更なる時間がかかってしまうことになる。想定外の事態が起こってしまった時に特にそのような状態に陥ってしまうことが考えられ、そういう時ほど冷静な対応が求められる。
こうした状況をなくしていくために、自治体には被災した際にどのように対応するか、全国から来てくれる災害支援をどのように受け入れていくか、その方策を考えておく必要がある。このような対応策を「受援力」と呼んでおり、この受援力を高めておかなければならないという考え方が今必要であるとされている。
