2.筆記療法


 筆記療法とは,ストレスフルな出来事について心の奥底にある思考と感情を20分程度,数回に分けて筆記することで精神的健康を促進させる療法である(Pennebaker & Beall, 1986)。  

 これまで筆記療法では,ネガティブな反芻の低減(荒井・湯川, 2006),否定的感情の低減(佐藤, 2012)といった精神的健康の促進だけでなく,医療機関への通院回数や頭痛などの自覚症状の減少(Pennebaker & Beall, 1986)といった身体的健康を促進する効果が報告されている。筆記療法の効果が生じるメカニズムは,馴化と認知的再体制化によって説明されている。馴化とは,これまで回避していたストレスフルな体験に注意を向け,それに関する感情や思考を繰り返し記述することで,これまで否定的感情を喚起していた対象に対し慣れが生じることを指す。佐藤(2012)は,同じ体験を筆記する群と異なる体験を筆記する群とに分け,精神的ならびに身体的健康に及ぼす効果を比較した結果,同じ体験を筆記する群のみ否定的感情が低下したことを報告しており,馴化が筆記療法のメカニズムの1つであることを示している。認知的再体制化とは,ストレスフルな体験を筆記することで,その体験を振り返り,より肯定的に捉えることができるようになったり,自分の人生と結びつけることができたりといった,ストレスフルな体験そのものの記憶や環境,それに対して生じた感情についての見方の変化を指す。関谷・湯川(2009)は,現職の対人援助業者を対象に,感情的不協和経験をテーマとした筆記療法を実施し,筆記開示文に関する内容分析から感情的不協和と記述内容との関連について検討した。その結果,感情的不協和が低減した者は,洞察や自己理解に関する語彙を多く用いることを報告しており,認知的再体制化が筆記療法のメカニズムの1つであることを示している。こうしたメカニズムが働くことによって,身体的・精神的健康を促進する効果をもたらしている。

 しかし,Smyth(1998)は,感情表出のための筆記と筆記後の健康の関連について検討した時,ストレスフルな出来事を記入直後,実験参加者は一時的に精神的苦痛が高まったが,その精神的苦痛と筆記によるポジティブな効果との間には相関が見られなかったことを明らかにしている。よって筆記療法による精神的健康や精神的発達の促進は期待できるが,学校教育場面で全体に提供することを考えた場合,筆記の効果とは関連のない精神的苦痛を高めてしまう点は大きな不安材料であるため,筆記療法において最小限のリスクでポジティブな効果を高める方法を探索する必要があると考えられる。



back/next