3.母親の苦悩
3-1.母親が経験する喪失体験
障害受容とは,「障害児の出生という親個人にとっての喪失体験を克服し,最終的には障害を持った子どものありのまま全てを受け入れていく過程における,障害に対する価値の転換」(玉井・小野,1994)と定義されている。この定義より,障害のある子どもの母親の多くは喪失体験を経験していることが示唆される。
中田(2018)は,障害のある子どもの母親は「普通の子どもの親」という立場を失い,健常者に価値を置く世間から脱落した感覚を抱えていると指摘している。これらのことから,障害のある子どもの母親は「普通の子どもの親」としての立場を失うという喪失体験を克服し,子どもの障害を受容していくと考えられる。
中川(2005)は,重症心身障害児の母親が,意識を変容させる契機とメカニズムを明らか にすることを目的として,重症心身障害児の母親9名にインタビューを行った。得られたインタビューデータは,修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチを用いて分析した。その結果,母親は子育てに奮闘した後,自己を喪失したかのような感覚を抱き,自己の状態を否定的に自覚していた。このことから,喪失体験には「普通の子どもの親」という喪失だけでなく,「自己の喪失」も存在すると考えられる。自己の喪失感とは具体的には,子どものケアに追われ,自分の時間をもてず(時間の喪失),ひいては自分の人生を持つことへの諦め(人生の喪失),また子どもと対峙する以外の社会関係をもてない閉塞感(社会関係の喪失),または一生制約が課され,自由のない人生を歩むことを予想する時のやりきれなさ(自由の喪失)を感じることである(中川,2005)。
障害のある子どもの母親は,出生時だけでなく,子育てをしていく中で多くの場面において,喪失感を感じることがあるのではないだろうか。
3-2.繰り返される自責の念
障害のある子どもを育てていく中で,「なぜ自分の子どもに障害があるのだろう」「自分が障害のある子どもとして産んだせいだ」と自身を責める気持ちになる母親もいることが推察される。長谷川(2005)は,遺伝を通してみえる人間像について論じており,他者は責めたつもりはなくても,母親は子どもを胎内で育てたことから責任を感じやすいと指摘している。さらに飯塚(2013)は,対象は障害のある子どもではなく,低出生体重児と異なるが,低出生体重などの理由で子どもが保育器に入ることによって母子分離を経験した母親8名の心理・情緒的経験・葛藤を丁寧に描くことを目的とし,インタビューを行った。語られたインタビュー内容について,共通性を検討し,出来事ごとにサブテーマとテーマを抽出するグループ分析を行った。その結果,低出生体重児の母親は,長期にわたって早産のために子どもを苦しめてしまったという自責の念にかられており,子どもの状態が安定し抱っこができるようになり親としての実感が湧くようになってもこの自責の念は引き続き,母親を苛んでいたことが明らかとなった。
このことから,診断と障害告知後の感情反応がおさまり,表面上は落ち着いているように見えても,何かのきっかけで心の安定が崩れ,子どもの障害に対して否定的あるいは逃避的になる母親もいる(中田,2018)ことが考えられる。
障害のある子どもの中には,出生直後に新生児集中治療室(Neonatal Intensive Care Unit:NICU)に運ばれる子どもが多くいる。前盛・日下(2014)では,NICU入院を経験した低出生体重児の母親における母親意識の発達を検討している。7名の母親を対象にインタビューを行い,内容的に共通の上位概念でまとめた結果,最終的に6個のカテゴリー・グループが得られた。NICU入院に伴い,子どもは母親の力の及ばない範囲で治療されたり,成熟を促される状況に置かれたりする。また,急性期には子どもの状態が大きく変動しやすい。こうした状況の中で,母親は,NICU入院中には特に,ポジティブな感情とネガティブな感情が同時に共存したり,ポジティブな体験とネガティブな体験が周期的に繰り返されたりしていることが示された。
これらのことから,障害のある子どもの母親は,日常生活の中で何かがきっかけで不安定になり,自責の念を繰り返し感じる苦悩を経験しているのではないだろうか。
飯塚(2013)は,低出生体重児の母親において,子どもが急性期を過ぎ落ち着いた状態になっている時点においても,妊娠・分娩・出産に伴うトラウマティックな傷つき体験と早産に対する自責の念は,癒えることなくことあるごとに湧き上がってくると述べている。これらを緩和させるためには,カンガルーケアなどの初期での接触が積極的に行われることが必要であると報告されている。では,障害のある子どもの母親にとって,繰り返される自責の念を緩和させるものは何だろうか。
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