【問題と目的】

2.日常生活とフローの関係性

 
 

 2-2.マイクロフローの型

 2-2-2.マイクロフローの型と自己知覚  

 Csikszentmihalyi & Graef(1975a)は自己知覚についても,マイクロフローの型によって違いがあるのかを検討している。そこでは,マイクロフロー活動が「幸福な」という気分と相関を示している場合,他のプラスの気分とも相関を示していた。つまり,活動の種類と気分を表す変数の相関はパターンに相互に矛盾がなかった(Csikszentmihalyi & Graef,1975a)。そして,前項では社交的フローを多く経験している人は疎外得点が低く,身体運動的フローを多く経験している人は疎外得点が高いことを示した。しかし,自己知覚については反対であった(Csikszentmihalyi & Graef,1975a)。つまり,社交的フロー(Social flow)の人は自己知覚をマイナスに知覚し,身体的フロー(Kinesthetic flow)の人は自己をプラスに知覚する。これは,社交的フローが他者を必要とするのに対し,身体的フローはいつでもどこでも経験できるからである(Csikszentmihalyi & Graef,1975a)。また,Csikszentmihalyi & Graef(1975a)は,身体運動の楽しさは社交的相互作用とは反対に,人を孤立させる傾向が,同時に個人を他者から独立させるために自己知覚がプラスになるとし,他者との社交的接触の楽しみは,疎外とは正反対であるが,それは結果的にマイナスの自己知覚を生むものへの依存に基づいていると述べている。  

 以上のように,人は自分の生活にパターンを与え,一日の活動のうち,社交的活動が多くを占めたり,身体的活動が多くを占めたり,といった生活活動を構造化している。そして,その構造化された活動によって,入りやすいマイクロフローの型は異なる。身体的活動領域と社交的活動領域との差異を疎外感と自己知覚によって比較をしてきたが,これらの活動のうち,どちらかの活動を多く報告している人は,もう一方の活動をほとんど報告しない(Csikszentmihalyi & Graef,1975a)。つまり,どちらかのフローを経験しやすい人は,もう一方のフローはほとんど経験していないことになる。しかし,人は日常生活を送る上で,身体運動的活動も行えば,社交的活動も行っている。どちらか一方しか行っていないということはない。  



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