【問題と目的】

3.自己目的的とは

 
 

 3-1.自己目的的な活動  

 Csikszentmihalyi(1975)の調査によると,フローは世俗的報酬をほとんど生まない活動に多くのエネルギーを注ぎ込んでいる時に最も報告されている。また,そのような状態の時に感じている楽しさは外発的な理由よりも内発的な理由から生まれていると感じている人が多かった。つまり,フローを報告する人々は競争や他者との比較に対し見出す楽しさよりも,その活動自体やその活動から得られる経験に対して感じる楽しさの方を重要視しているということである。ただし,どの活動でも同等にこのような内発的報酬を得られるわけではない。内発的報酬を得やすい活動もあれば,得にくい活動もある。Csikszentmihalyi(1975)は,このような内発的な報酬が得やすくフローに入りやすい活動のことを自己目的的な活動と呼んでいる。また,Csikszentmihalyi(1990)も自己目的的活動のことを自己充足的な活動,つまり将来での利益を期待せず,すること自体が報酬をもたらす活動であると述べている。  

 Csikszentmihalyi(1975/1990)は,人が行う活動で完全に自己目的的な活動や完全に外発的な活動というものは存在しないと述べている。自己目的的な活動は強い内発的報酬を得られるが,それとともに強い外発的報酬も得られる(Csikszentmihalyi,1975)。たとえば,作曲家は作曲をしている最中,フローに入り内発的報酬を得ているが,それと同時に仕事としての収入や名声なども得ている。つまり,内発的な報酬と外発的な報酬は表裏一体であり,一つの連続体上に位置しているといえよう。そして,ある活動を行う際により内発的に動機づけを得やすい活動,注意が内発的な報酬に対して向けられる活動において自己目的的な経験ができるといえる。  

 自己目的的な活動の構造は四つある。フロー活動でも述べた,アゴーン(agon),アレア(alea),イリンクス(ilinx),ミミクリー(mimicry)がそれに当たる。この四つの活動種において,フローは経験されやすい。つまり,日常生活の中でこれらの活動を多く行っている者はフローに入るチャンスが多いといえる。ただし,このような自己目的的な活動はフローに入りやすいが,自己目的的な活動以外の活動でもフローに入ることは可能であることを押さえておく必要はある。  



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