考察


13. 後悔から得た気づきや教訓を得た事による適応の良さの吟味


 また, 本研究においては, 質問に対する評定を求めた他, 後悔から得た, 気づき, 生活に活かしていることといった, 後悔から得た教訓について記述するようにも求めた. 上條・湯川(2016)においては, 非常にストレスを感じた出来事について, “あなたにとってその経験はどのような‘意味がある’と思いますか?”と尋ね, “意味”を“この経験に関する自分なりの解釈や理解”と説明している. そして, 意味づけの記述内容を, ポジティブな意味づけとネガティブな意味づけという2つの観点から3件法で評定していた. ポジティブな意味づけとネガティブな意味づけの定義は, Davis, Nolen-Hoeksema, & Larson(1998)やJoseph & Linley(2005)が参考にされていた. ポジティブな意味づけは, “出来事を肯定的に再評価したり, 出来事がもたらした恩恵や, 出来事の価値・重要性を発見したりしている. または, 回答者の, 自己や世界に対する信念(考え方)や行動が肯定的に変化している”と定義され, ネガティブな意味づけは, “回答者の, 自己や世界に対する信念(考え方)や行動が否定的に変化している”と定義されていた. しかし, 宅(2010)が指摘したように, 「成長」と定義するかが文化的背景や個人によっても異なる変化が, 本研究における記述からも見られた. 非行為後悔と行為後悔それぞれについて, 意図的熟考高低群と侵入的熟考高低群に分類して記述内容について検討したため, 特徴的な記述について考察する.
 非行為後悔・行為後悔問わず, また, 侵入的熟考の高低問わず, 意図的熟考の高群において, 後悔した結果置かれている今の環境は変えられないが, その環境で努力したり今の環境を大切にしたりするという変化が見られた. これは, 下山・菅沼(2018)過去の〈諦め〉体験に対する意味づけ尺度の諦めることに対する認知が適応的である「有意味性認知」における“別の選択肢が見えてきた”と類似した変化である. この変化を遂げた者は, 置かれた環境・状況が変えられないということを諦め, そして今の環境での出会いや学べることといった, 当初希望していたのとは別の選択肢を大切にしている. 意図的熟考を行い, 経験したことから意味を見出そうとしたり, 経験したことから何か学ぶことがあったかどうか考える際に, 適応的に諦めたり, 諦めたことに対して適応的な意味づけを行うことも, 後悔を乗り越えて適応的になるためには有効であることが示唆された.
 非行為後悔の意図的熟考高群×侵入的熟考高群と, 意図的熟考低群×侵入的熟考低群において, 自分よりも年齢の若い他者に対して, 自分と同じ後悔をしないように教訓を伝えたりしているという後悔の活かされ方をしていた. 非行為後悔については, 過去に戻って自分自身でやり直すことが出来ないため, 他者が同じ思いをしないように働きかけているということが考えられる. この方略は “自分が何かを教えたり, アドバイスした相手が成功を収めたときに感じる誇らしい感情”である“ナヘツ”(MCGONIGAL, 2011)を感じることが出来る者にとって有効であろう.
 非行為後悔の意図的熟考低群×侵入的熟考低群に変えられないことは仕方が無いという気づきがあった. これは浅野(2010)が作成した諦めの意図を測定する“わりきり志向尺度”の“対処の限界性認知因子”に類似している. “対処の限界性認知”とは, 諦めたり割り切ったりする際に, 直面している問題へ対処することに限界を感じたことを動機としたものである. “自分にできることは限られていると思う”, “自分が考え込んでいても何も進まないと思う”といった項目がある. 浅野(2010)によって, “対処の限界性認知”は, 抑うつと正の弱い相関, 人生における満足感と負の弱い相関を示すことが明らかにされており, 「対処の限界性認知」は, 不適応的な対処方略であると判断出来る. 同尺度のもう一方の因子は, “わりきりの有効性認知”であり, “考え込むよりも開き直った方が物事はうまく進む”, “わりきることで問題が早く解決すると思う”といった内容であり, 諦めたり割り切ったりする際に, わりきることの有効性を動機としているものである. “わりきりの有効性認知”は, 浅野(2010)によって, 抑うつと弱い負の相関, 人生における満足感と弱い正の相関があることが明らかにされている. よって, “対処の限界性認知”より, “わりきりの有効性認知”の方が諦め・割り切りの動機として適応的であることが判断出来る. よって, 対処の限界性を感じて諦めている者は, 問題を解決するために開き直ったり, わりきって他の問題に対処するような諦め方を行った方が適応的になることができるということが推察される.
 非行為後悔と行為後悔の意図的熟考高群×侵入的熟考高群において, 状況に適応しきれず経験の一つとして割り切り, 学びとれることを学ぼうとする姿勢が見られた. これは, 菅沼・中野・下山(2018)が作成した適応的諦観尺度の“嫌なことでもましな面を探すようにしている”という項目に類似している. 菅沼他(2018)は, 諦観的態度を「自己や状況のネガティブな側面をそのまま受け入れつつも, そこにこだわらない前向きな態度」と定義している.
 行為後悔の意図的熟考低群×侵入的熟考低群や, 非行為後悔の意図的熟考低群×侵入的熟考高群においては, 納得できなくても周囲の為に自分が我慢すればよいと, 自己犠牲的になる変化が見られた. これは, “自己抑制型行動特性(イイコ行動特性)”(宗像, 1996)と類似している. “自己抑制型行動特性(イイコ行動特性)”とは, 他者に気に入られようと自分の本音を抑え, 期待に応えようとする特性のことであり, 日本人に多く見られる特性で, 抑うつとの関連が高いことが報告されている(山本・宗像, 2012). 抑うつとの関連が高いことから, このような変化は不適応的であると判断出来る.
 行為後悔の意図的熟考低群×侵入的熟考高群において, 辛いことがあってもなんとも思わなくなったという変化が見られた. この変化は, (1)感情を認識し, 感情や感情喚起に伴う身体感覚を区別することの困難, (2)他者に感情について語ることの困難, (3)空想の乏しい明らかに限られた想像過程を有する, (4)刺激に規定された外面性思考の認知様式を有する, の4点からなる概念である, アレキシサイミア(alexithymia; Sifneos, 1973)の(1)と類似している. これが, 遺伝生物学的要因ではなく, ストレッサーに起因する変化であれば, 感情を感じないように考えないように無視することで自分を保護する機能を持つと捉え直すことが出来, 防衛機制の発現として捉えることが出来る(小牧・久保, 1997)ため, 一種の適応的な対処である. 樫村・小川(2006)によると, アレキシサイミックな対処方略, つまり, 感情無視を行ったことのメリットの1つに, 問題から距離を置くことで, 冷静に物事を判断し, 個人としての成長を促すことや, 注意を別にむけることで物事にとらわれず, 他のことに集中できたということを上げている. 本研究において, 感情無視が見られたのは意図的熟考低群であり, 調査に回答した当時は, 一旦問題から距離を置いている段階であることが推察される. 本研究においては, 衝撃の大きい出来事からの距離の取り方として気そらしを検討したが, この様にアレキシサイミックな対処方略も, 後に衝撃の大きい出来事と冷静に向き合うために有効である可能性が示唆された. また, 辛い中でも得られる物があったという意見もあった. これは, 菅沼他(2018)の適応的諦観尺度の“うまくいかなくても何かしら意味があると思う”という項目と類似している.
 行為後悔と非行為後悔の意図的熟考高群×意図的熟考高群において, 後悔も含めて, それが自分であるという変化が見られた. これは, 佐藤(2017)の「失敗経験に対する自伝的推論」尺度の「転機因子」の「この出来事は現在の私の中心部分になっていると確かに思う. 」, 「この出来事は私の人生の重要なテーマをよく示している. 」と類似した変化である. 自伝的推論とは, 過去の複数の出来事を結び付けたり, 出来事と自己を結び付けたりする内省的な思考のことである(Habermas & Bluck, 2000). 20代から50代全体の失敗経験における「転機因子」と「アイデンティティの確立」の間には, 有意な弱い相関がある(佐藤, 2017). 後悔した出来事を否定するのではなく, 自分の中心的な要素として捉えることで, アイデンティティの確立に繋がってるため, この変化は適応的だと判断出来るであろう. 行為後悔と非行為後悔の意図的熟考高群×意図的熟考高群において, 後悔した出来事を思い出すことで, 同じ思いはしまいと踏ん張れるようにしているという変化が見られた. これは, 池田・三沢(2012)の「失敗観尺度」の下位尺度である「失敗の学習可能性」の“失敗とは, 前に進むための原動力になる. ”などと類似している. 失敗感尺度とは, 失敗に対する捉え方や価値観を意味する尺度である. 池田・三沢(2012)によって, 「失敗の学習可能性」と自己効力感(ある課題を遂行できる可能性についての自分自身の判断(Bandura, 1977))との間に中程度の正の相関があることが明らかにされている. 後悔した出来事を糧にすることは, 自己効力感を高めること, つまり, 課題を遂行できるだろうという自信に繋がるため, 適応的であると判断出来るだろう.
 非行為後悔の意図的熟考高群×侵入的熟考高群において, 後悔した出来事を笑いに変えることで, 雰囲気を悪くせず話しているという活かし方があった. 「感情制御を目的とした対人交流方略尺度」の下位尺度である「笑い話にする」は抑うつ・不安との有意な負の関連がある(浦野, 2017). この「笑い話にする」の記述例は“部活の友達に報告して, 笑い飛ばしてもらった. ”というものであり, 操作的定義は“感情体験をユーモアを交えて語り, 他者と笑い合う. ”というものである(浦野, 2017). よって, 後悔した出来事を笑い話に変えることは, 後悔から感じた抑うつを低減させることに繋がることが推察され, 後悔に対する適応的な対処方法の一種であろう.
 非行為後悔と行為後悔の意図的熟考低群×侵入的熟考高群において, 自分はクズであるといったような気づきが見られた. これは, 水間(1996)の自己嫌悪尺度の「自分をきらいになることがある」, 「自分が全くダメだと思う事がある」といった項目と類似している. 「自己嫌悪尺度」は, 「自尊感情得点」と有意な負の相関があることが明らかにされていることから(水間, 1996), 後悔によって自己嫌悪を行うことは不適応な対処方略であると判断出来る.
 行為後悔の意図的熟考高群×侵入的熟考高群において, 自分がいなくても世界は動き続けるという気づきがあったが, 類似する概念や関連概念がほとんど見られず, 適応的であるかどうか判断することが出来なかった.


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