総合考察


 本研究は非行為後悔と行為後悔の意味づけ過程に着目し, 気そらしや, 後悔直後の反すう, 外傷後成長前の反すうが, 抑うつと関連がある後悔の低減, 外傷後成長, 後悔から得た気づきにどのように影響するかについて検討することを目的とした. そこで, 本研究では, 非行為後悔, 行為後悔それぞれついて人生において最も後悔した出来事を想起させ, 後悔を感じ始めた直後や, 後悔を感じ始めてから数週間以上後の外傷後成長を遂げる数週間前までの間(本研究では, この時期を外傷後成長前と呼ぶ)に, その出来事についてどのように気そらし, 反すうを行ったかについて調査した. また, 外傷後成長と関連があるとされる意図的熟考(Cann, et al., 2011)と, ストレスなどと影響があるとされる侵入的熟考(Cann, et al., 2011)の高低群に分類し, しなかったことをするようになった, してしまったことをしないようになった, 外傷後成長以外の内容で, 後悔から得た気づきや変化の内容が適応的であったかどうかを検討した.
 本研究では, 意味づけ過程が異なると考えられている非行為後悔と行為後悔の分析をそれぞれ別々に行った. まずは, 共分散構造分析, 重回帰分析, t検定を用いて外傷後成長に影響している気そらしや反すうを明らかにした.
 非行為後悔においてみられた有意な影響は, 「当時の後悔の大きさ」と「気分転換的気そらし」が「外傷後成長前の意図的熟考」を促進し, 「外傷後成長前の意図的熟考」が「外傷後成長」を促進しているということである. また, 「後悔直後の意図的熟考」も「外傷後成長前の意図的熟考」を促進していた. しかし, 「当時の後悔の大きさ」は「外傷後成長前の侵入的熟考」を, 「気分転換的気そらし」は「外傷後成長前の侵入的熟考」を促進していた. 非行為後悔は行為後悔よりも人の心に長く残る後悔であり(Gilovich & Medvec, 1995), その強い後悔を低減させる為の「気分転換的気そらし」と, 「当時の後悔の大きさ」によって促進された「外傷後成長前の侵入的熟考」が, 擬似的に関係があるように見えたため, このような結果になったと推察される.
 そして, 「気分転換的気そらし」が「外傷後成長前の意図的熟考」と「外傷後成長前の侵入的熟考」の双方に影響しており, 意味づけやストレスの低減に影響しているか明らかでなかったため, 「気分転換的気そらし」と「後悔直後の意図的熟考」を独立変数, 「外傷後成長前の意図的熟考」を従属変数とした重回帰分析を行った. その結果, 交互作用は見られなかったが, 「気分転換的気そらし」を行うほど, 「後悔直後の意図的熟考」を行うほど, 「外傷後成長前の意図的熟考」が促進されることが明らかになった. 更に, 「気分転換的気そらし」, 「後悔直後の意図的熟考」, 「外傷後成長前の意図的熟考」それぞれの高低群で後悔の低減に差があるかどうかを検討するためにt検定を行った. その結果, 「当時の後悔の大きさ−現在の後悔の大きさ」で求めた「後悔の低減得点」が「外傷後成長前の意図的熟考」高群と低群において有意差がみられ, 高群の方が有意に後悔の大きさを低減することが出来ていた. 回答者全体で, 「現在の後悔の大きさ」は「当時の後悔の大きさ」よりも有意に低いため, 意味づけ過程において後悔が低減されるということであるが, 特に「外傷後成長前の意図的熟考」が非行為後悔の低減に有効であることが明らかにされた.
 「後悔直後の侵入的熟考」と「外傷後成長前の侵入的熟考」から「外傷後成長」に有意な影響は見られなかった. 上條・湯川(2016)で体験当時の侵入的熟考から外傷後成長に有意な影響が見られなかったことと一致し, 「外傷後成長前の侵入的熟考」からも「外傷後成長」へ影響が見られないことが明らかになった.
 よって, 非行為後悔においては, 「当時の後悔の大きさ」, 「気分転換的気そらし」, 「後悔直後の意図的熟考」, 「外傷後成長前の意図的熟考」が「外傷後成長」を遂げることに影響していた. そして, 後悔した直後に「意図的熟考」のみを行うのではなくて, 「気分転換的気そらし」も行い, 一時的に後悔した出来事から気分をそらしながら, 後悔から回避するのではなく後悔と向き合うことで, 「外傷後成長前の意図的熟考」が促進されることが明らかになった. また, 特に「外傷後成長前の意図的熟考」を行うことが後悔の低減のために有効であることが明らかになった.
 行為後悔においては, 「後悔直後の意図的熟考」と「外傷後成長前の意図的熟考」が「外傷後成長」を促進していることが明らかになった. 後悔を感じ始めてからの経過期間の平均値は, 46.88ヶ月(SD=33.56)であり, 約4年前の出来事が想起されている. しかし, 行為後悔は合理化されやすく, 長期的に人の心に残りにくい(Gilovich & Medvec, 1995)ことから, 後悔の意味づけは短期的に行われたことが考えられる. 「気そらし」から「外傷後成長前の熟考」への影響や「後悔直後の意図的熟考」から「外傷後成長前の意図的熟考」への影響についても検討したが, 十分な適合度が得られず, 仮説モデルが不適であることが明らかになった. 意味づけが短期的に行われていたとすれば, 後悔直後と外傷後成長前は同時期を指すことになるだろう. 非行為後悔においては, 一時的な気そらしを目的とした「気分転換的気そらし」を行いながら「後悔直後の意図的熟考」を行うことで, 抑うつ気分を落ち着かせながら問題解決に向けて熟考することが, 「外傷後成長前の意図的熟考」の促進に有効であった. そして, それにより「外傷後成長」も促進された. 一方, 行為後悔においては, 行為後悔自体に, 合理化されやすいという性質があるため, 気そらしを行うことで抑うつ気分を落ち着かせなくとも, 出来事に関する意図的熟考が行われやすいということが推察される. よって, 行為後悔において後悔直後の時点と, 外傷後成長前の時点で時間的な経過や因果関係を仮定したり, 気そらしとの関係を仮定したことが不適切であったと考えられる.
 そして, 「外傷後成長」を促進していた「後悔直後の意図的熟考」や, 「外傷後成長前の意図的熟考」が後悔の低減に及ぼす影響を検討するために, それぞれの高低群で「後悔の低減得点」の平均値の差を比較したところ, 有意な結果は得られなかった. しかし, 「当時の後悔の大きさ」と比較して「現在の後悔の大きさ」は有意に低減していたため, 「後悔直後の意図的熟考」低群や「外傷後成長前の意図的熟考」低群においても, 後悔は低減されていたということである. つまり, 行為後悔においては, 後悔した出来事に関する意図的熟考を行わなくとも後悔を低減させることが出来るということである.
 また, 後悔から得た気づきや, 後悔をどのように活かしているかなどの教訓については, , 諦めに対する適応的な認知である「有意味性認知(下山・菅沼, 2018)」や, 「笑い話にする(浦野, 2017)」, 「この出来事は現在の私の中心部分になっていると確かに思う. 」といった, 「失敗経験に対する自伝的推論」尺度の「転機因子(佐藤, 2017)」のような概念と類似している変化が見られた. これらは, 抑うつの低減または, アイデンティティの確立との関連が示されていたため, 適応的な変化や対処方略であると判断出来るだろう. 他には, “自分が何かを教えたり, アドバイスした相手が成功を収めたときに感じる誇らしい感情”である 「ナヘツ(MCGONIGAL, 2011)」を利用し, 教訓を他者へ還元する方略, アレキシサイミア(alexithymia; Sifneos, 1973)によって衝撃の強い出来事と一時的に距離を置く方略があった. 誇らしい感情になり得たり, 後に出来事に対して向き合うための段階であることから, 適応的な対処方略であると判断出来るだろう. 一方, 問題へ対処することに限界を感じたことを動機として諦める“対処の限界性認知”や, “自己抑制型行動特性(イイコ行動特性)”, 自己嫌悪的な気づきといった概念と類似した気づきもあった. これらは, 抑うつとの関連または, 自尊感情との負の関連が示されており, 不適応的な変化, 対処方略であると判断することが出来るだろう. そして, 自分がいなくなっても世界は動き続けるという気づきに関しては類似する概念がほとんど見られず, 適応的であるかどうか判断することは出来なかった.
 以上より, 衝撃の大きい非行為後悔を感じてから, 外傷後成長を遂げるためには, 後悔を感じた直後に気分転換的気そらしを行いながら意図的熟考を行うことで, 外傷後成長前の意図的熟考を促進すること, 外傷後成長前の意図的熟考の頻度を高めることが有効であると示唆された. そして, 長期的に人の心に残るとされている衝撃の大きい非行為後悔を低減させる為には, 外傷後成長前の意図的熟考の頻度を高めることが有効であると示唆された. また, 行為後悔においては後悔直後に, 意図的熟考を頻繁に行うことが外傷後成長を遂げる為には有効であることが示唆された. 非行為後悔・行為後悔において, 後悔直後と外傷後成長前に意図的熟考を行うことが外傷後成長を遂げる為には有効であったが, 非行為後悔においては, 後悔直後に気分転換的気そらしも行うことが有効であった. 人が衝撃の大きい後悔を感じた際, または衝撃が大きい後悔を感じている者を支援する際は, 非行為後悔・行為後悔の合理化のされやすさに留意することと, 意味づけの方向性が当人にとって適応的になるように留意する必要があるだろう.

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