2.ゲームとは
本研究では,ゲームに関して検討するが,そもそもゲームとはどのようなものであろうか.まずは,ゲームというものの考え方について概観する.
広辞苑第7版(2018)では,ゲームは「遊戯」「勝負事」であり,「競技」「試合」のことも指している.井上(1977)は,このような「競技」や「勝負事」といった側面を持つゲームには,前提として「ルール」が存在すると述べている.
また同じく井上は,ルールが存在しているからこそ,ゲームには「明確な時間と空間の限定性」があり,「日常的現実から区別された別の世界」が構成されているとして,ゲームは日常生活や現実から切り離されたものであるとの立場を取っている.そして,ゲームの魅力を分析したGoffman(1961)の主張に触れながら,ゲームを成り立たせる世界の一つ「ルールによって客観的に構成される世界」であると主張している. そして井上は,Goffmanが主張したもう一つの世界,「自発的に関与する諸対象によって形成される世界」についても触れており,ゲームへの参加は参加者の自由意志によるものであるが,実生活というものは必ずしもそうではなく,否応なしに参加を強いられるものであるとして,ゲームと実生活を比較している.この実生活にはない「自発的関与」がゲームの楽しさや面白さに関わってきており,その「自発的関与」を引き起こすのは「ゲーム世界の客観的構造」であることから,「ゲーム世界の客観的構造」と「ゲーム世界への主観的関与」とは相補的な関係にあると結論付けている.
このような,ゲームは「日常生活から切り離された時空間」であるといった主張は,井上だけが行っているものではなく,同様の主張を行っている研究者は他にも存在する.
Gray, D., Brown, S.&Macanufo, J.(2011)は,ゲームには基本的な構成要素があると述べている.その一つが「ゲーム空間」である.Grayらは,ゲームに参加することで,日常生活のルールが一時的に適用されない,ゲームのルールに基づいた別の世界に入り込むとしており,そのゲームの世界に入るには,ルールに従うことに同意し,しかも喜んで入っていかなくてはならないとしている.そして,そのようにして出来たゲーム空間は,普段の生活であれば不自然な,無礼でさえあるような行動を取ってもよい特別な場となることを主張している.これらの内容は,先ほどの井上が主張している「ゲーム世界の客観的構造」と「ゲーム世界への主観的関与」に当てはまるところがあると言える.
またGrayらはゲーム空間以外にも,時間的・空間的な「境界」があること,ゲーム空間の中での動きを規定した「ルール」,ゲームに関する情報を保持している「道具」,ゲームの最終的に到達する状態である「ゴール」といった要素を挙げており,これらの5つの項目でゲームは構成されていると述べている.
他にも,佐藤(2013)は,ゲームの構成要素として「規則」を挙げている.これはルールとも言い換えることもでき,チェスに例えると,チェス盤や駒といった用具に関する定義,手番に関するルール,駒の初期配置と動かし方に関するルール,勝利条件といったものが,これに当てはまると述べている.しかし,佐藤はただ「規則」を守っているだけのものはゲームではないと主張しており,相手に勝つといった「目的」という要素もあると述べている.そして,その「目的」は,達成されなければゲームが成立しないということではなく,「目的」に向かって努力することがゲームの要素であると指摘しており,その「目的」によって方向づけられた選択肢のことを「志向性」と呼ぶこととしている.
そしてまた,「マジック:ザ・ギャザリング」の主席デザイナーであるRosewater(2018)は「ゲームとは,目標があり,制限があり,行為者性があり,現実的意味がないもの」と定義し,それぞれについて説明を行っている.「目標」によって,プレイヤーの行動指針が定まり,動機づけが行われ,「制限」によって,単純に「目標」が達成できない課題を乗り越える方法を見つけることが,ゲームの楽しさの元になる.「行為者性」によって,ゲームにおける決定にプレイヤーの関与があり,ゲームを自分で操作している感覚を持つことが,ゲーム体験の中核であり,「現実的意味がない」ことによって,ゲームは何等かの利益が発生するかたプレイするのではなく,プレイする事そのものを求めて行う活動になる.そしてRosewaterは,これら4つの要素が1つでも欠けると,それはゲームではなくなり,玩具や活動,出来事といったものに変化すると述べている.
以上のことから,本研究ではゲームを@遊びである,A勝負事である,Bルールにより制限が定められている,C目標となるゴールがある,D志向性をもった選択肢が複数存在する,E非日常な場面である,F上記のことをすべて満たしている,と定義する.
また,上記の研究では,ゲーム場面は,時間・空間的に日常場面からは切り離されているとの指摘がなされていることから,ゲーム場面での出来事は,日常生活を送っているときのそれとは異なる影響を,人に与えていることが考えられる.しかし,このことについて実証的に具体的な違いを検討し,明らかにした研究は見当たらない.本研究では,これらのことを踏まえて,実証的に相違を検討する.
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