【問題と目的】
1.はじめに(2)
青年期においても死について考えることは重要であると言える。石井(2013)は青年期を対象とした研究で,生きがいについて考える課題と死について考える課題とでは,取り組むことによって得られる効果が異なることを明らかにしている。青年期において生きがいについて考えるよりも死について考えることの方が,全体的に時間的態度を肯定的にするということを示し,その効果は現在に対する充実感を高めたり,将来に目標を指向するようになったりすることが中心であると示唆している。また,小正・滋野井・赤田(2015)は大学生を対象に死について考える講義を行い,時間的態度の変化を研究している。キューブラー・ロスの「On Death and Dying」の講読,映画「おくりびと」の鑑賞を行い,ディスカッションを行った結果,現在に対する充実感が増したと示している。下島・蒲生(2009)は他2つの研究で扱った課題とは少し違い,5色カード法による死にゆく過程の疑似体験(Guided Death Experience:GDE)を行うことによる効果を検討している。GDEとは,ワシントン州の大学・病院・ホスピス等で行われている課題で,死にゆく過程における喪失を疑似体験するものである。具体的には,10~25人ほどで実施し,まず5色のカードを5枚ずつ,計25枚を配り,1枚ずつに自分の大切なものを記入していく。それを「あなた」が死にゆく物語を聞きながら,大切なものが書かれたカードを投げていく。こういった活動により,死にゆく過程での喪失を疑似体験し,死について深く考えていく課題である。このような課題を行い,死へと向かう過程の喪失を体験することによって,バランスの取れた時間的展望への気づき,本当に大切なものへの気づき,他者との関係性の中にある自己への気づきなどの効果を示している。これらの研究から,青年期において死について考えることは有意義であると言えるだろう。
しかし,最初にも述べたように,現代の若者は死について考える機会が減少していると考えられる。特に家庭で死について考える機会が減少していると言えるだろう。その中で死について考える機会を設けられる場のひとつとして考えられるのが学校である。実際に死について考えることを授業に取り入れている実践もある。中村(2003)はデス・エデュケーションの実際について学校での取り組みを紹介している。小学校における取り組みでは,読み聞かせなどを通して大切な人や生き物との別れの気持ちを考えたり,死んだらどうなるのかを学んだりする授業を行っている。中学校では,子どもが悲観的にならないよう注意しながら,がんや性病を取り上げ医療現場の現実を実感する内容や,愛する人の死に直面している人の存在に気付かせる内容を扱っている。このような実践を紹介すると同時に,本来「生と死」については家庭で扱われるべきテーマであるとしつつ,それでも現代では学校教育で行われることが必要不可欠であると述べている。
このように,死については徐々に学校現場で扱われるようになっている中で,課題として与えられる内容は様々である。石井(2013)と小正他(2015)の課題についても比較してみると,大きく死というテーマのもと考える課題であるということは同一であるが,取り組む期間が大幅に違う。それにもかかわらず,効果としては同様なものが得られている。そこで,この2つの研究で共通していることを考えると,死に対する態度が課題によって喚起されているということが言えるのではないだろうか。死についての課題に取り組むことによって,普段から死について考えている人もそうでない人も死に対する態度が喚起されると考えられる。これは,学校教育の場面で死について扱われる場面においても同様だろう。
では,死に対する態度を単純に喚起させるだけでも石井(2013)や小正他(2015)と同様の効果が得られるのだろうか。死に対する態度を喚起させるだけで時間的態度が肯定的になる等の効果が得られるのであれば,学校教育で死について取り上げる際,扱う課題はシンプルなもので可能となり,教育現場でも取り扱いやすくなるだろう。また,死に対する態度を喚起させることと死について考えることで,時間的態度等に与える影響が違うのであれば,死に対する態度を喚起させることと死について考えることの差異を検討することによって,死について考えること特有の効果を考えることができるだろう。よって,本研究での目的の1つを,死に対する態度を単純に喚起させることによる効果を検討することとする。
←back/next→