2.従来の授業形態について
多くの人が,「授業」と聞くと,黒板のある教室で教卓に立つ教師と多くの生徒が座って向かい合い,教師の話を聞いている様子を思い浮かべるだろう。授業の形態は本来多様であるが,このように日本では一般的に教師中心の一斉教授型授業が多く行われてきた。
一斉教授型授業とは,「一人の教師が,一定数の生徒集団に対して,同一の教育内容を,同一時間で教える授業方法および形態をいう。一斉教授方式ではクラスが構想の基本となっており,近代学校における主要な教授形態とされている。」(Hamilton訳書 1998,p.5)と説明されている。すなわち,個々の能力の高低に関わらず同一の内容がクラス集団に対して一斉に教授される。そのため,知識や情報を効率よく伝達でき,その質が保証できることが利点として挙げられる (白井,2011)。
一斉教授型授業の起源として,モニトリアムシステムが挙げられる。モニトリアムシステムとは,上級の成績優秀な生徒がモニタ―となって下級の生徒を教える方法である(Hamilton訳書 1998,p.88)。すなわち,教師は生徒の中から年長者や優秀者を選び出し,まずそれらの生徒に書き方,読み方,算術を教え,それらの生徒たちが10人ほどのクラスを受け持ち,その生徒に教えるという方法であった。この方法は19世紀初頭に,Lancasterによって民衆の初等教育に適用された。モニトリアムシステムでは能力・習熟度が同程度の生徒たちが1つのクラスとされ,クラスごとに教授が行われる。教場には多数のクラスが集められ,それぞれで教授が行われるため,現代の一斉教授型授業の場とは異なる。
しかしながら,一斉教授型授業の起源といわれる所以について児美川(1993)は,秩序維持のための一斉行動にあると述べている。一斉行動が「読み方」の一斉教授から「書き方」の一斉教授へ,あるいは「書き方」の一斉教授から「算術」の一斉教授へと生徒が移動するときに要求されることからもわかるように,クラスごとの一斉教授が秩序をもってなされるようにするための準備こそが一斉行動の役割だと言うこともできる。
また,教授場面のほかに生徒が全員正面を向いて石板を立てながら話を聞く学校全体の秩序を維持するため一斉行動もある。このようにクラスごとの一斉教授と,全体の秩序維持のための一斉行動の両方を繰り返し経験することでそれぞれの場面での秩序が維持されている。すなわち,秩序維持場面と教授場面を区別し,近代教育の端緒であると位置付けている。
しかし,このモニトリアムシステムも教育内容の高度化・多様化にモニターが対応できなくなったこと,教場内の騒音などの原因により限界を迎えることとなる。
それに代わって登場したのがストウ(D.Stow)による一斉ギャラリー授業である。ギャラリー授業では階段状に机が並べられ,数十人の生徒たちが教師と向かい合う形で着席する(山田,2019)。黒板のある教室で,教師が生徒全体に向かって黒板を指し示す一斉教授という授業方法が誕生した。現代でも大学などの階段教室でこのような授業が行われている。
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