2.努力の捉え方
大辞林(第三版)によると,「努力」という言葉には,「心をこめて事にあたること」「骨を折って事の実行につとめること」「つとめはげむこと」という意味がある(松村,2006)。これらの意味から「努力」という言葉は,ポジティブな意味を持ち合わせ,プラス的なニュアンスとして捉えられるだろう。また,「努力」という言葉が,一般的には「頑張る」という言葉が用いられることもある。近年,努力(あるいは頑張り)の重要性について多くの研究がされているが,そもそも,努力と同義の「頑張る」という言葉自体,日本独特のもので,欧米にはもちろん,文化的に近い朝鮮語や中国語にも該当する語は見られないという(天沼,1987)。努力と同義の「頑張る」という言葉の語義については様々な考え方ができるが,当初は「眼をつける。見張る」という語義から,「頑として動かない」といったニュアンスを持ち合わせるようになり,物質的・空間的な意味あいから精神的な意味あいにまで変化し,「我意を張り通す,意地を張る」という意味を持つようにもなった(天沼,1987)。そして「我を張る」というニュアンスで「頑張れ」が用いられていた当初のマイナス的なニュアンスから,現代の日本語では,「耐えてやり抜く」「エネルギーを出しきることに盲目的価値をおく」といったプラス的なニュアンスとして使われることが多くなった(天沼,1987)。そのため,努力の捉え方においても,「耐えてやり抜く」「エネルギーを出しきることに盲目的価値をおく」といったプラス的なニュアンスとして捉えられるだろう。
一般的に,努力を,ポジティブやネガティブ,あるいは両方の観点から,個人が努力自体をどのように捉えているのかを,個人の持つ「努力観」と定義することができ,個人がそれぞれの努力観を持っている(上野,2003)。上野(2001)によると,社会学や教育学で指摘されているように,努力には様々な形態のものがあり,「肯定的」「否定的」のようなこれまでの達成動機研究では扱われていなかった「外発的」「自己目的的」といった努力も実際に存在することが明らかとなっている。努力観は,肯定的‐否定的の一次元ではなく,肯定的‐否定的の枠を超えた次元における努力についての信念を,複数のカテゴリーで把握することができる(浅山2021)。結果を努力に帰属したときの影響は一様でないことになり,成果につながらなかった努力経験の捉え方自体に個人差があることが示唆されている。
はじめにの冒頭にも述べたように,努力しても必ず報われるとは限らない。つまり,成果につながる努力経験と成果につながらない努力経験が存在する。重要なのは,その努力経験をどう解釈するかという過程である。目標達成の成功や失敗がどのような意味を持つ体験となるかについては,原因帰属が大きな鍵となる。ワイナーの達成動機づけ理論(ワイナー,1979)では,例えば成功しても努力に帰属した場合には次回の達成行動につながらないが,能力に帰属すれば誇りの感情と次への期待につながるとされ,反対に,失敗の能力不足への帰属は大きな負の影響を与えるが,失敗の運帰属はダメージを緩和するとされている。重要な帰属因である「努力」について,理論上の次元では「内的」「不安定」「統制可能」などに布置される努力であるが,安定的要因でもあると見なされ(ワイナー,1979),その位置づけや次元設定自体にも多くの視点で考えられる。また,失敗を努力不足に帰属することは,失敗を内的要因とする点で一時的には負の感情を起こさせるものの,結果的には自己効力などを高め達成行動を促進させると考えられている(ワイナー,1979)。つまり,成果につながらなかったときに,何に原因帰属するかが,その努力経験をどのように捉えるか,また,肯定的に捉えることと関連するのではないかと考えられる。
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