2.ポライトネス理論
言葉遣いによって他者への配慮を示すことについて説明している理論にBrownとLevinson(1978)のポライトネス理論がある。この理論の概略的な内容は以下の通りである。
人々は相互関係において,基本的には関係維持に努める。しかし,ある言語行動が例えば相手に負担をかけたり,聞き手の個人的な領域に踏み入れることは,聞き手に対してマイナスの影響を与える。このような言語行動をFTA(face threatening act)と呼んでいる。例えば,乱暴で攻撃的な言語表現は相手にネガティブな印象を与え,相手に脅威を与えることになる。つまりこのFTAによって,聞き手のフェイス(顔:立場)が脅かされるわけである。このフェイスというのは,本来,人々が相互に作用するとき,互いのフェイスを維持しようとするものだという。
フェイスには2つの側面があり,消極的フェイス(negative face)と積極的フェイス(positive face)である。消極的フェイスというのは,個人(自分)の領域を維持(保持)し,自身の行動の自由を保つことへの要求を指すものである。例えば,相手からの高圧的な命令や望ましくない依頼は,自分の側の消極的フェイスを脅かされることになる。そして,積極的フェイスとは,他者から承認された望ましい自己像の主張や維持への要求を指す。例えば,相手からの批判や苦情,自分の意見が否定されることなどは自分の側の積極的フェイスを脅かされることになる。この2つのフェイスを脅かすFTAによって相手にマイナスの影響を与えることを緩和するために,つまり相手に脅威を与えないよう「配慮」をするように,私たちは言語表現を操作しているとされる。本研究では,特定の言語表現をこの消極的フェイスと積極的フェイスの2つのフェイスという側面から考察していく。
また,Brown ら(1987)はある行為が持つフェイスへの脅威の度合いを規定する要因として,社会的距離(social distance),社会的地位(relative power),要求量(ranking of imposition)の3つを挙げており,これらの要因は加算的にフェイスへの脅威度に影響を及ぼすとした。 一点目の社会的距離に関しては,Holtgraves (2002,2009)や岡本(1986,2000)では,社会的距離の操作として親疎関係を操作して実験を行っているが,聞き手との関係が疎遠であるほど,高い配慮を示す表現が使用されるという結果が得られている。 二点目の社会的地位の要因については,聞き手の社会的地位が高いほど,配慮を示す表現が使用されることが一貫して示されている(Holtgraves & Yang, 1990, 1992 ; Okamoto,1991; 岡本, 2000; 戸嶋・皆川,2008)。 三点目の要求量の要因についても,多くの研究によって,要求量が大きいほど配慮を示す表現が使用されることが示されている (Holtgraves & Yang,1990,1986,2000; Okamoto,1991; 戸嶋・皆川,2008)。
本研究では,これらの規定因のうち,社会的距離と社会的地位を独立変数として操作し,その場面で望ましいとされる要求表現を検討する。
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