1.教師からのほめられ経験がほめられ反応に与える影響について




 仮説1〜4の検討のため,階層的な重回帰分析を行い,教師からのほめられ経験と,児童のほめられ反応,学校享受感の関連を検討した。

 仮説1について,2年生では「主観的な称賛」から「意欲促進」に負の影響,「日常の称賛」から「意欲促進」に正の影響がみられた。Mueller&Dweck(1998);Kamins & Dweck(1999); Haimovitz & Corpus (2011);青木(2014)は,幼児期から小学校低学年までは内容にかかわらずほめられたことを肯定的に受け止め動機づけが高まるというが,本研究では仮説1は支持されなかった。「主観的な称賛」は他のような客観的な事実を賞賛しているのではなく,ここでは主観的評価,感想としての賞賛が主であったため,低学年ではあるが,それによって意欲促進の度合いが上がらなかったと考えられる。「日常の称賛」は本研究の項目としては他の称賛の内容より,特に表面的に表れている能力で低学年の児童にとってもわかりやすいため,意欲につながったと推察する。くわえて青木(2009)のほめられてうれしい場面をたずねた調査も,みんなの前で教師からほめられる場面が報告されていることから,日常の称賛の「〇〇さん(あなたの名前)のみたいにやってみよう」というみんなの前でほめられる項目によって意欲促進への正の影響があったことも考えられる。

 仮説2について中学年では「努力の称賛」,「主観的な称賛」,「日常の称賛」から「意欲促進」の有意なパスがみられなかったため,支持されなかった。4年生は「努力の称賛」,「日常の称賛」から「ほめとまどい」に対して正の影響,「主観的な称賛」から「ほめとまどい」に対して負の影響がみられた。西中(2014)は4年生は5年生,6年生よりも「被受容感」,「充実感」,「自己存在感」が強く学校生活における居場所感が高いことを示唆した。このことが影響して教師からほめられることが意欲につながったり学校適応に直接的につながるわけではなく,ただほめられて驚いたり,恥ずかしくなったりととまどう様子がみられたと推察される。

 仮説3について,6年生はすべての称賛からほめられ反応に対しての有意なパスはみられなかった。藤田・西川(1999)は,小学校高学年の学校が楽しい理由は友達との遊びや会話をあげる児童が多く,「学校享受感」には友人関係の影響が大きいことが報告されている。また藤田・香川(2014)は高学年において「学校享受感」を規定する児童の主観的要因には学級内で安心した居場所と幸福感が重要であると示唆した。これらのことから仮説3が支持されなかった理由として小学校高学年の学校が楽しい理由において様々な要因がある中で本研究のように教師と児童の関係に絞って学校享受感を測ったためだと考えられる。さらにTable9からもわかるように,6年生は,2年生,4年生と比べてほめられ経験の平均値が低いことから高学年になるにつれ,ほめられることの頻度が下がるということが示唆された。青木(2018)は教師からほめられる様々な場面について,高学年児童は低学年,中学年よりもうれしさ・動機づけ評定が低いことを示唆した。これらのことよりすべての称賛からほめられ反応に対して有意なパスがみられなかったと推察される。

 また,全学年では「努力の称賛」,「日常の称賛」から「意欲促進」に対して正の影響,「日常の称賛」から「ほめとまどい」に対しての正の影響がみられた。「成長の称賛」,「主観的な称賛」から「意欲促進」へは有意な関連がみられなかった。このことから努力の過程をほめたものや努力の結果をほめる賞賛,または日常生活とのかかわりでの賞賛は児童のやる気や自信につながるといえる。「日常の称賛」については,とまどいも生じることがみられたが,本研究での「日常の称賛」に「〇〇さん(あなたの名前)のみたいにやってみよう」という項目があり,みんなの前でほめられることによって驚くことや,恥ずかしい気持ちもあったと推察する。三浦・山本(2017)は,「主観的な称賛」は学習意欲のどの下位尺度にも影響を与えないということを示しており,本研究の結果も一部支持するものであった。



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