3. 甘えについて
3−1. 日本社会にみられる甘え
土居が提唱した鍵概念である甘えという切り口から、日本社会の特質についての理解を試みる研究は多く見受けられる。
例えば、柿本(2009)では、「自由」と「権利」の概念理解にずれを生んだ原因として、甘えの存在する親子関係が関係性のモデルとなる日本の社会構造を挙げている。これらは西欧世界において誕生した概念であるが、日本社会では西欧とは異なる、それもネガティブな意味付けがなされていると柿本(2009)は指摘した。日本でモデルとなる甘えることを可能とする関係性では、甘えられる相手を必要とし、個人が集団に従属していることが前提となっている。よって、西洋での自由は個人と集団間の緊張状態を指すのに対し、日本での「自由」は、親子関係のように、無条件の受容がなされ甘えが成立している関係性であっても、本来的な意味での「個人の自由」は認められているわけではないということになる。加えて、個人による集団への従属を善しとする社会規範の存在も相まって、集団の意と反するような意見を主張する際など、集団と対立してまで自己の自由を追求する姿勢は、善しとされないことが多い。したがって、「自由」を「甘える自由、わがまま」とも理解するずれが生じるに至ったという。同様に、「権利」の概念の理解についても甘えが大きく影響している。西洋での「権利」のような対等性は薄く、日本での「権利」は行使するといっても「人情」という名の契約が存在し、権利を行使する者と義務を負う者との間には序列を感じさせる。ここでの「人情」というのは、土居(1971)によると、甘えが中心的な感情となっている。相手から「人情」を受け取ることで「恩」になり、同時に心理的な負債が発生するという。
この序列意識については、中根(1967)でも触れられている。そこでは、序列意識を感じさせる同列でない者同士の「タテ」の関係は、同列の者同士の「ヨコ」の関係よりも「エモーショナル」であると表現されている。この「エモーショナル」に該当するものが正に「人情」であると考えられる。すなわち、「タテ」の関係においては、理屈よりも感情が優先され、「人情」を受け取ることで「恩」が発生し、相互扶助的な「義理」の関係が成立していると捉えられる。そして、その関係の根底には甘えがあるために、義理の関係性においては相手の好意を繋ぎ留めたいという思いが強く作用しているとされる。このように、義理人情を規範としてきた日本では甘えが浸透しており、そのような甘えによって特徴づけられる関係性および社会構造がみられることがわかる。
3−2. 甘えの数量化および測定の試み
上記のような社会学的な研究が進められる中、甘えそのものを直接的に取り上げようと
藤原・黒川(1981)が初めて甘えの測定尺度の作成にあたった。なお、藤原ら(1981)の研
究では、甘えの定義を祖父江(1972)に倣い「最初から相手が自分を受け入れてくれるであろ
うことを期待しながら depend する」こととしている。
第一に、予備的調査として、土居(1971)の「甘えの構造」の著書で指摘されているものを
含む対人関係を表す 97 語の動詞に対し、多次元解析が行われている。その結果、対人関係
については、1 拒絶・無視、2 好意・一体感、3 優越感、4 保護、5 相手の機嫌をとること、
6 甘えられないことによる被害者意識、7 負い目、8 甘えという8群に分類された。第二に、
8 群のうち甘えを意味すると考えられる 4、8 群と、甘えの定義をもとに、以下計 10 語から
成る尺度を構成していた。1 あてにしたい、2 たのみにしたい、3 すがりたい、4 まかせた
い、5 相談したい、6 甘えたい、7 なんとかして欲しい、8 言わなくてもわかって欲しい、9
慰められたい、10 後押しをして欲しい。加えて、作成した尺度を用いて、甘えを得点化し、
親子関係以外で甘えが強く表出する対象と、甘えの発生する状況および性別による甘え表
出の差異の検討を行っている。結果として、家族よりも親友、恋人を対象とした甘えが強か
ったこと、男性よりも女性の方が甘えを表出していたこと、家庭問題に関する困った状況では両親や兄弟姉妹に対して甘えを示し、個人生活の問題に関するその他の困った状況では
恋人や親友に対して甘えを強く示すことがそれぞれ明らかとされている。
藤原ら(1981)が作成した尺度は、甘えの表出を測定する「甘え表出尺度」と呼ばれ、甘
えたい気持ちである「甘え欲求」の強さが反映されている(小林・加藤,2015)。その後、甘えに関する実証的研究はこの「甘え表出尺度」が広く用いられた。しかしながら、Kato(1995)はより他側面的に甘えを捉えようと、甘え欲求の強弱だけでなく、新たに甘え場面
における対人行動のパターンという視点を見出した。具体的には、甘えのやり取りの中で経験的に獲得され、個人のその後の甘え行動および交流を規定する「甘え内的作業モデル
(IWMAI)」を概念化している。小林・加藤(2015)では、IWMAI について、「自己観」と「他者観」という 2つの次元から、それらがポジティブ(以下、P と表記)かネガティブ(以下、N と表記)かによって計
4タイプに分類する甘えタイプ尺度(ATS)の開発を試みている。4 タイプとは、自己観と他者観がともに P である適応型、自己観が P で他者観が N である抑圧型、自己観が N で他
者観が P である気兼ね型、自己観と他者観がともに N である混乱型である。小林・加藤(2015)は、適応型以外のタイプがいわゆる「甘え下手」としたうえで、ATS を用い甘えタ
イプの人数分布について、大学生を対象に調査したところ、 気兼ね型が最も多く全体の約半分を占めたことを明らかにしている。気兼ね型は、甘えたいという欲求はありながらも、
相手が受け入れてくれるかどうかの不安を持ち、遠慮してしまうことによって特徴づけられる。気兼ね型が最多となった要因として、二点挙げられている。第一に、2−1 にて述べ
たような日本人特有の所属意識、およびそれに付随する相手の好意を繋ぎ留めたいという思いである。和を乱すことを恐れ、常に自分の言動が相手に対して不適切でないか、相手か
ら悪く思われていないかに過敏になり、「自分が甘えることで他者は不快にならないか」「自分が嫌われてしまわないか」という気持ちに至ってしまうのではないかと推測されている。
第二に、調査対象者が大学生であったということである。このことは小林・加藤対する意見論文の中でも、ヤマアラシのジレンマに代表される青年期の対人関係の特徴を示している
のではないかと指摘されている(丹羽,2016)
ところで、気兼ね型のような甘えたいものの甘えられない心性のもとでは、人は相手に対して「うらむ」や「ひねくれる」「すねる」等の感情を引き起こすことが示唆されている(土
居,1971)。土居(2001)はそれらを、一方的な要求の形をとった自己愛的で屈折した甘えだとしている。
これまで扱われてきた相手との相互的な信頼を軸にした健康で素直な甘えのみならず、これらのうらみ感情や屈折した甘えの数量化を図った尺度が、玉瀬・相原(2004)による多
元的「甘え」尺度である。「甘え希求」、「甘え受容」、「甘え歪曲」、「甘え拒絶」の4つの下位尺度から構成され、Cronbach のα係数はα=.72〜.80 と十分な信頼性が確認されている。同研究にて、性格特性との関連についても NEO-FFI(短縮版 Big5 性格検査)を用いて検討
されている。結果、度と性格特性(Big5)では、「甘え歪曲」と神経症傾向の間で有意な正の相関が、「甘え拒絶」と外向性、開放性、調和性の間で有意な負の相関が見られたことが報告されている。以上より、大学生を対象とし、甘えについて多角的に検討する本研究は、適応的な甘え方および対人関係での不適応や精神病理との関連を理解していくうえでも、きわめて意義深いと考えられる。
3−3. 甘えられたい意識
従来の研究では,「甘え」は自己からの甘えという一方向から捉えていると指摘されている。元来甘えは二者間の相互依存的関係によって成立しており,自己からの甘えと他者からの甘えがあるとされる。
丹羽(2016)は、甘えは甘える方だけでなく、甘えられる方のアイデンティティ形成にも影響する可能性を示唆している。アイデンティティ形成が課題の1つである青年期においても、その影響は大いにあると考えられ、甘えを受け入れる側からの視点の重要性を感じさせる。
玉瀬・脇本(2003)の研究にて、甘えを「甘えたい」意識と「甘えられたい」意識の両側面から測定する「甘え」尺度が作成されている。「甘え」下位尺度 13 項目と「甘えられ」下位 11 項目からなり、「甘え」尺度全体の Cronbach のα係数は.86 であったことが示されている。加えて意識と行動との相関は、「甘え」では r=.79、「甘えられ」では r=.49 との結果が
示されている。「甘えられ」尺度については質問の主体が、意識は自分、行動は相手にあるため、相関が低くなったと推測されている。ゆえに甘えたいという意識の多くは実行に移されるが、甘えられたいと考えていても実際相手の行動次第であることが述べられている。恋愛関係においても、甘えられたいと考えていても相手からの甘えを得られていない場合と得られている場合の両方が考えられる。後者の場合は、相手からの甘えを受容している、すなわちサポートの提供を求められている状況である。しかし、甘えられたいという意識が強ければ、その状況はむしろ当人の望む通りになっていると考えられる。ゆえに、当人にとって不公平ともいえる関係性であっても関係が持続していることに、甘えられたい意識が
影響を与えているのではないだろうか。よって、本研究では他者から甘えられたいという意識の部分を取り上げることとする。
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