1.「かわいい」感情について


1−1. ベビースキーマ

「かわいい」という形容詞は典型的には幼い子供や動物などに使われる。動物行動学者コンラート・ローレンツは,人間や動物の幼体が持つ身体的特徴をベビースキーマ(Kindchenschema, baby schema)と呼んだ(Lorenz,1943; 入戸野,2012)。その特徴は身体に対して大きな頭部,大きく前に張り出した額,顔の中央よりやや下に位置する大きな瞳,全体に丸みをおびた体形などが挙げられる。このような特徴を持つものはより幼く,かわいらしく感じられ,周囲からの攻撃を抑制するほかに,保護や養育という行動を受けやすくなると考えられている。しかし,最近では「かわいい」はファッションやアクセサリー,お菓子,さらには高齢者や爬虫類などに対しても使われることがあり,ベビースキーマ説には当てはまらないものも多い。このように「かわいい」と呼ばれる対象は多岐にわたる。


1−2. 「かわいい」の語義

 普段何気なく,直感的に使っている「かわいい」だが,辞書的意味について確認しておく。『広辞苑第七版』(2018)を参照し,語義のみを抜粋すると次のようになる。

 「(カワユイの転。「可愛い」は当て字)@いたわしい。ふびんだ。かわいそうだ。A愛すべきである。深い愛情を感じる。B小さくて美しい」 「かわいい」という言葉は複数の意味を持っていることが分かる。「愛すべき」「小さくて美しい」などの意味では現在でも用いられるが,「ふびんだ」のようなネガティブな意味もある。

 「かわいい」という言葉の変遷について説明する。「かわいい」は「かわゆい」が変化した語である。そして「かわゆい」は「かわはゆし」が語源であり,漢字で表記すると「顔映ゆし」となる。顔が映えるということで,顔が鮮やかに赤らむことを表現する語である。中世には「見るに忍びない」の意から,「気の毒だ」「不憫だ」という意味で使用された。中世の後半になると,女性や子どもなどの立場の弱い者に対して,憐みの気持ちから発した情愛の念を示す意が派生し,「かわいい」という現在の形になった。近世の後半になってから「気の毒だ」「不憫だ」という意味が消え,愛らしいの意のみとなった。現代の「かわいい」にあたる語は,古代では「うつくし」が使われており,清少納言の『枕草子』にも「うつくしきもの」という段がある。「かわいい/かわゆい」が持っていた,「愛らしい」と「不憫」という2つの意味は近世初頭に2つの語に分かれる。それが,「かわいらしい」と「かわいそう」である。  

 このように,「かわいい」はもともといい意味では使われていなかったが,このような変遷をしてポジティブな意味で使用されるようになった(四方田,2006)。


1−3. 「かわいい」は「cute」や「pretty」と同じか

 「かわいい」は英語では「cute」や「pretty」などと表現されることが多い。しかし,その意味は日本語の「かわいい」と全く同じではない。

 四方田(2006)によると,cuteの語源は,「acute(鋭い)」であり,14世紀末に病状が急性のときに用いられており,16世紀になると,「(先が)とがっている」「明敏である」という意味に変化した。18世紀になってcuteという語が登場したが,意味は「かわいい」ではなく,「利口な」「気が利いた」であった。19世紀にcuteが「かわいい」の意味で用いられるようになった(四方田,2006)。

 一方でprettyは,本来「ずるい」「利口な」という意味を持っていたが,「巧みな」「立派な」という意味に変わり,さらに「心地よい」から「かわいい」へと変化した(四方田,2006)。

 このように,意味は「かわいい」で同じでも,語学的発展が全く異なり,文化的背景が対照的である。私たちが普段何気なく使っている「かわいい」が持つ,微妙な意味は簡単に普遍的に翻訳できるものではないということであり,日本文化に帰属したものといえるのではないか。


1−4. 「美しい」や「愛らしい」との違い

 「かわいい」に近いポジティブな感情として「美しい」「愛おしい」などがあるが,その違いは自身が対象に抱く親しみの強さなのではないだろうか。

 『新明解国語辞典第七版』(2011)の「かわいい」の解説の一部には,「小さく頼りない感じがするところに親しみやすさを抱かせる様子」という記述がある。また,

 Google辞書では,「弱さや小ささに限らず,好ましさや親しみを感じさせる人や物について用いる例が増えている」との記述がある。四方田(2006)著の『かわいい論』では,「かわいい」には親しげでわかりやすく,容易に手に取ることのできる心理的近さがあると述べている。

 したがって対象に愛情や好ましさなどを感じることに加え,親しみを持つというところが「かわいい」特有なのではないだろうか。


1−5.「かわいい」感情の特性

 上述したように,近年は弱さや小ささに限らず,好ましさや親しみを感じさせる人や物について「かわいい」を用いる例が増えている。「きもかわいい」「ぶさかわいい」などの表現がされたり,爬虫類や高齢者,ファッションやアクセサリーなどに対して「かわいい」と感じたりする人もいる。これらにはベビースキーマを持たないものもあり,最近は「かわいい」と呼ばれる対象は多岐にわたる。

 そこで入戸野(2009)は「かわいい」を対象の属性として捉えるのではなく,「かわいい」を対象との関係の中で生じる感情(以下かわいい感情)として捉えて検討を行っている。「かわいい」感情はポジティブな感情であり,脅威を感じず,対象に近づいてみたい,そばに置いておきたいと思う接近動機付けを伴い,社会的交流を求めるという特徴がある(入戸野,2016)。そのような気持ちが生じると,自分から対象に近づいたり,長く見つめたりする。

 また,入戸野(2016)は,かわいいものを見ると0.5秒で反射的に笑顔が生じ,加えて笑顔は表情模倣によって伝染するため,かわいい感情は社会的な場で増幅されるはずであると述べている。

Sherman & Haidt(2011)は「かわいい」ものを見ると対象に心を認め,内面を理解しようとする傾向と友好的で優しい行動傾向が増加し,社会的交流の促進につながると提案している。


1−6.「かわいい」感情の検討

 かわいいものを見たあとは細部に注目しやすくなるということを実験で明らかにした研究がある。入戸野,福島,矢野,守谷(2012)は幼い動物の画像,大人の動物の画像,食べ物の画像を好きな順番に並べ替える3つの群をつくり,並べ替えた後に指定された数字を数列から目だけで探して数える課題を行った。その結果,課題の成績は幼い動物を見たあとに向上した。一方で大人の動物,食べ物の画像を見ても効果はなかった。ポジティブな感情状態では一般に,注意や思考の範囲は広くなるといわれていた。しかし,対象に強く引き付けられる,接近動機付けの強いポジティブ感情の場合は注意の範囲は狭くなることが明らかにされた(入戸野他,2012)。

 岡田他(2020)は「かわいい」という感情は人のふるまいにどのような影響を与えるのかを検証した。内容は男女各24名ずつの計48名を同性3名で1組とし,「かわいい」玩具を選択するかわいい群と「かわいくない」玩具を選択するかわいくない群を設定した。机に玩具をいくつか置いておき,その中から“最も「かわいい」と思うもの(または,最も『かわいくない』と思うもの)”を一人ひとつずつ選択するように教示した。その後,参加者3名は選んだ玩具とともに実験室へ移動し,3分間自由に過ごしたあと,あるテーマについて  5分間の話し合いを行った。その結果,「かわいい」ものを見た後の話し合いにおいて笑顔や発話,アイコンタクトの時間が増え,コミュニケーションが活発になることが明らかになった。

 この研究から,「かわいい」という感情にある社会的交流を求めるという効果は人と人との間にも生じることが確認された。かわいい感情はポジティブな気持ちになる,笑顔になる,対象に近づきたくなるなどの効果のほかに,細部に注目しやすくなることや,対人でのコミュニケーションを活発にすることが明らかになった。


1−7.感情と対人行動に関する研究

 「かわいい」のようなポジティブな感情は対人行動に影響を与える。

Carnevale & Isen(1986)は対人交渉場面において,ポジティブ感情にある者は攻撃的な方略を用いることは少なく,協調的な交渉が行われ,交渉を楽しむことを明らかにした。

 また,藤原・大坊(2013)は,感情が会話満足度や対人印象に与える影響を検討するため感情誘導操作後に会話実験を行った。その結果,ポジティブ感情群は会話の満足度や相手の社会的望ましさ,個人的親しみやすさに高い評価をしていたことが明らかとなった。一方でネガティブ感情群は会話の満足度や相手の社会的望ましさ,個人的親しみやすさの評価が最も低かった。

 会話などの対人行動におけるポジティブ感情の機能を対象とした研究はあまり多くはないが,ネガティブ感情よりもポジティブ感情の方が他者と関わる際に協調的になったり,会話の満足度や相手への親しみやすさを高めたりする可能性があることが示唆されている。

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