2.ユーモアについて
2−1. ユーモアとは
ユーモアがどのように定義されているのか見ていきたい。オックスフォード英語辞典第2版(1989)では、ユーモア「humour, humor」の定義について、「(a) That quality of action, speech, or writing, which excites amusement; oddity, jocularity, facetiousness, comicality, fun. (b) The faculty of perceiving what is ludicrous or amusing, or of expressing it in speech, writing, or other composition; jocose imagination or treatment of a subject. Distinguished from wit as being less purely intellectual, and as having a sympathetic quality in virtue of which it often becomes allied to pathos. ・・・(a)おもしろさを引き起こす行為や話の文の特性。奇妙、おどけ、滑稽、おかしみ、ふざけ。(b)おかしい、おもしろいことをみつけたり、それを話や文や他のもので表現したりする能力。物事を冗談っぽく考えたり、扱ったりする力。純粋に知的なわけではなく、よく悲哀と同じような効果をもたらすことになる共感的な性質をもつ点でウイットと区別される。」とされている。これをもとに上野(1992)は、ユーモアを「おかしさ、おもしろさ」という心的現象を示すもの、ユーモアを引き起こす個々の刺激事象を「ユーモア刺激」と定義している。
また、Freud(1905)は、可笑しみが生起する場の人称構造の違いによって、可笑しみを「滑稽」、「機知」、「ユーモア」の3タイプに分類した。「滑稽」とは、幼稚な行動を大人としての行動と比較して可笑しむもので、二者関係の場で起こる。「機知」とは、抑制された性欲と攻撃性を不快感なく表現したもので、ジョークの話し手と対象と聴き手の三者関係の場で発生する。「ユーモア」とは、逆境への対処として用いられる適応的な方略すなわち自我防衛機制の1つであり、話し手も聴き手も自分である一人称の語りに位置づけられる。
雨宮(2016)によれば、ユーモアは人と親しんだり人を励ましたりするポジティブな側面と、既存の枠組みや前提を攪乱あるいは相対化する「不真面目な」側面を併せ持つとされる。
また、Allport(1961)は、ユーモアを成熟したパーソナリティにおける自己客観視を示すものとして位置づけている。さらに、Peterson & Park(2009)によるポジティブ心理学における徳と強みの分類では、「ユーモア」が「美的感受性」や「希望」と同じく超越の徳に分類されている。
2−2. ユーモアの獲得
ユーモアは、発達段階においてどのように獲得されるのであろうか。Reddy(2008)によると、ヒトは生後4ヶ月で母子相互関係における遊戯性を理解できるとされる。乳幼児は大人との身体的な交流の場を基盤に、最初は奇妙な動作そのものに注目し、それをまねしたり、偶然の動作を繰り返したりする。それを大人が笑うと自分もつられて笑い、その奇妙な動作を遊びの面白さと結び付けて理解し、生後半年になると自ら道化をふるまうようになり、生後1年を過ぎると、社会的規範の侵犯などの標準からの「ずれ」に基づく奇妙さも扱われるようになる。
雨宮(2016)は、Freud(1905)の3類型をもとにして、可笑しみの4類型とその発展方向を示した。まず、可笑しみの基盤となるのが、じゃれ遊びやくすぐり、追いかけっこなどの身体レベルの活発な行動に伴う「原ユーモア」である。次の段階は、幼児の道化として挙げられる変な顔や仕草、まぬけ、ドタバタ喜劇などの「滑稽」である。学童期になると、言語による知的な可笑しみの段階である、単なる言葉遊びから批評性を持ったジョークや風刺、アイロニーなどの「機知」が理解できるようになる。そして最後の段階に、逆境を笑って乗り越えたり、自虐で笑ったりといった自己客観視と他者受容を含んだ「ユーモア」が位置づけられる。ユーモアについてFreudは、使えるのはごく一部の人に限られ、多くの人は理解すらできないものとし、成立するのは青年期以降であると主張している。
しかし、ユーモアを「身近にある“ずれ”によるおもしろさ」と捉えたならば、幼い頃からユーモアを感受する経験をしていると考えられる。アニメーションや絵本、漫画や児童書、童謡などにはユーモアを含むものが多くあり、誰しも触れる機会があっただろう。また、生活場面においても、シーツを頭から被ってお化けを装ったり、牛乳を飲んで“髭”を作ったりした経験があるだろう。後者は「おどけ」の一種でユーモアの表出ともとれるが、その行為におもしろさを見出したという前提があると考えられる。このように、我々は幼少期からごく自然に、様々な形でユーモアを享受してきたと考えられる。そして、これらのおもしろさや可笑しさは、通常と様子や用途が異なること、すなわち「ずれ」によって引き起こされている。本研究では、過去から現在におけるユーモア刺激との接触経験の寡多を尺度として取り入れ、ユーモア刺激を身近に感じることで状態共感に差異があるのかをみる。
2−3. ユーモア感知に関する不適合理論
ユーモアにおいて不整合(incongruity)は重要な要素であり、ユーモア感知に関して不適合理論というものがある。これは、通常は全く異種であり関連がないと思われる思考や概念が結び合わされる「意外性」によってユーモアが生起すると考えるものである。この理論は、ユーモア刺激の認知的構造がユーモアを生起させるという視点に基づく。言語的なユーモア刺激において支持される不適合−解決モデルと、非言語的ユーモア刺激やナンセンスジョークにおいて支持される不適合モデルが提唱されている(上野,1992)。つまり、ユーモアとは論理的思考や一般的真理との「ずれ」によって可笑しみを覚えるもので、「ずれ」を解釈するにあたって、ユーモア刺激に言語的要素が多い場合は、「ずれ」すなわち真理との不適合を互換しながら理解しようとするが、非言語的あるいは無意味な要素が多い場合は、不適合をそのまま受容し解消しようとしないと考えられる。
2−4. ユーモアの分類
上野(1992)は、ユーモア表出の動機づけからユーモアを「遊戯的ユーモア」、「攻撃的ユーモア」、「支援的ユーモア」に分類した。遊戯的ユーモアは陽気な気分、雰囲気を醸し出し、自己や他者を楽しませることを動機づけとして表出されるユーモア刺激によって生起される。だじゃれなどの言葉遊び、軽い冗談など内容自体にメッセージのないもので、気分や雰囲気を明るくする。攻撃的ユーモアは他者攻撃を動機づけとして表出されるユーモア刺激によって生起される。風刺、ブラックユーモア、皮肉、からかい、自虐などがある。ユーモア喚起に伴い攻撃の動因の充足や優越感が引き起こされ、一時的なカタルシス効果が得られる。支援的ユーモアは自己や他者を励まし、勇気づけ、許し、心を落ち着けさせることを動機づけとして表出されるユーモア刺激によって生起される。自己客観視により自己を含む状況からユーモアを見出したり、自己洞察で得た結論の表現をユーモア刺激として提示したりして、状況や自己に対する統制感をより強める方法が利用される。困難、失敗、災難等ネガティブな状況において、絶望感や動揺によって主体性を失うことを防ぎ、平静さや落ち着きのきっかけを与える効果があると考えられる。
Martin, R.A., Puhlik-Doris, P., Larsen, G., Gray, J., & Weir, K.(2003)は、ユーモアをポジティブな側面とネガティブな側面に分けて査定することを目的としたユーモアスタイル質問紙(Humor Styles Questionnaire : HSQ)を開発し、4つのユーモアスタイルに区別した。自分をよい気持ちにするポジティブなユーモアの「自己高揚的ユーモア」、自分をよい気持ちにさせる機能をもったネガティブなユーモアの「攻撃的ユーモア」、他者との関係を楽しいものにする機能をもったポジティブなユーモアの「親和的ユーモア」、他者に受け入れられるために攻撃性を自分に向けるネガティブなユーモアの「自虐ユーモア」に区分している。
ユーモア志向とパーソナリティとの関連についての研究は、Martin(2003)のユーモアスタイル質問紙を用いて、ビックファイブ、自尊心、ポジティブ感情、不安や抑うつや怒りなどのネガティブ感情、幸福感、ナルシシズム、マキャベリズム、孤独感、対人関係、心理的ウェルビーイングなど、幅広い領域で行われてきた。しかしながら、ユーモア志向と共感との関連をみる研究は未だない。本研究では、上野のユーモア分類をもとにして、共感反応との関連における新たな見地を示したいと考える。
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