【考察】
3.親への愛着と親以外の対象への愛着、対人的構え、充実感の関連
1.性別と愛着対象との関連について
(1)親への愛着について
小学生だった頃の父親と母親への愛着の下位尺度得点を従属変数とした、「男性」×「女性」の2要因分散分析の結果について、以下に述べる。
「安心・依存」について、「対象」の主効果及び「対象」と「性別」の交互作用がみられた。つまり、男性と女性ともに、父親よりも母親に対して、主観的または現実的な危険に直面した場合に安心を得ようとする傾向が高いということである。これは、父親及び母親に対する愛着は異なるという宗岡(2002)の示唆を支持するものである。また、女性において特に、父親よりも母親に対して安心や依存を求めやすいことが明らかになった。これは、女性の方が、父母からのサポートを多く認知するという結果(Ferman & Buhrmester, 1992)や、女子の方が友人関係において信頼感が高くコミュニケーションが多いという結果(Armsden et al., 1987; Nada Raja et al., 1992)と合致するものである。さらに、乳幼児期における養育者は主に母親であること(Bowlby,1969;佐藤,1993など)、また、女性の方が男性よりも受容や共感といった情緒的行動をしやすく、同時にそういった行動を求めやすい傾向が高いということが、これらに影響しているのではないだろうか。よって、青年の親への愛着は、父親よりも母親に対する愛着がより高いという仮説2は支持されたといえる。
次に「不信・拒否」について、「対象」と「性別」の交互作用がみられた。つまり、男性は父親に対して不信感や拒否感が高く、一方で女性は母親に対して不信感や拒否感が高いというように、同性の親に対する不信感や拒否感を抱きやすい傾向にあるということである。ということは、逆に、異性に対する信頼が高く、期待を抱きやすいということがいえる。
「分離不安」につて、「対象」の主効果がみられた。つまり、男性と女性ともに、父親よりも母親に対して分離に対して抵抗し、苦悩する傾向が高いということである。これは、「安心・依存」の場合と同様に、乳幼児期における養育者は主に母親であること(Bowlby,1969;佐藤,1993など)が、原因の1つとして考えられる。このことから、「分離不安」に関しても、青年の親への愛着は、父親よりも母親に対する愛着がより高いという仮説1は支持されたといえる。しかしながら、近年の女性の社会的地位における目覚ましい活躍とともに、男性の育児休暇制度の導入など、養育者としての男女の役割が動き始めていることを考慮すると、今後、父親への愛着の良好さというものに変化がみられるようになるかもしれない。
(2)親以外の対象への愛着について
現在の友人と恋人への愛着の下位尺度得点を従属変数とした、「男性」×「女性」の2要因分散分析(混合計画)の結果について、以下に述べる。
「不信・拒否」について、「対象」の主効果がみられた。つまり、男性と女性ともに、恋人よりも友人にたいして不信感や拒否感を抱きやすいということである。これは、現代において友人関係の希薄化・回避傾向が懸念され、防衛的で表面的な付き合い方をしている思春期青年も多くみられるという落合(1996)の指摘を支持する結果といえるのではないだろうか。確かに、両者の同意のもとに付き合うという対面型の関係である恋人に対して、友人というものは無意識のうちに関係が出来上がるものであり、横並びの関係として、ある程度独立した存在である。それゆえ、両者における関係の質には違いがみられるのではないだろうか。また、親への「不信・拒否」の場合と同様に、同性の愛着対象に対する不信感や拒否感を抱きやすいということは、逆説的に捉えると、我々は異性に対する信頼が高く、期待を抱きやすいということがいえる。このことは注目すべき点であり、今後さらなる検討が必要だと考えられる。
「依存」について、「対象」の主効果および「対象」と「性別」の交互作用がみられた。つまり、男性と女性ともに、友人よりも恋人に対して依存し、頼る傾向が高く、特に男性については友人よりも恋人に依存する傾向が顕著に高いということである。これは、友人と恋人の両者における関係の質には違いがあるということを示唆する結果といえるのではないだろうか。よって、仮説2は支持されたといえるだろう。また、女性の方が比較的多くの対象に良好な愛着を向けることができること(佐藤,1993)から、女性に比べると男性にとっての愛着対象の存在は少なく、それゆえ1対1の向き合った関係である恋人といった特定の愛着対象に対する期待や信念というものも、より大きくなり得るのかもしれない。これは、青年期(成人期初期)に異性のパートナーをもつということの重要性を示唆する結果といえるのではないだろうか。
「不安」について、「対象」と「性別」の主効果がみられた。つまり、男性と女性ともに、友人よりも恋人に対して、不安な感情を抱きやすいということである。これは、親以外の対象への「不信・拒否」でみられたように、友人よりも恋人に対する不信感や拒否感が低いということ、つまり恋人に対する信頼が高く、期待を抱きやすいということが、かえってその信頼を壊されたり、期待を裏切られたりした時にその衝撃が大きくなり、その結果、不安な感情を抱きやすくなるということが考えられる。これは、恋人や友人への信頼感が高い個人は、相手に理不尽な扱われ方をすると、その期待が裏切られたという反動が大きく、相手への低い評価が作られてしまうという酒井(2001)の示唆を支持するものである。また、男性よりも女性の方が友人や恋人に対する不安を抱きやすいということが分かった。これは、女性の方が比較的多くの対象に良好な愛着を向けることが出来るという佐藤(1993)の結果や、男性の方が社会経験の中からネガティブな影響を受けやすいというSkolnik(1985)の示唆とは異なる結果である。しかし、青年期女子では自己―他者関係における被影響性が高い(金子,2002)ことから、他者から受ける情緒的な揺れや不安を感じやすいといえるのではないだろうか。
これらのことから、愛着は、対象に関わらず、男性に比べて女性の方が高く、性差が存在するという仮説3は、一部を除いて支持されたといえるだろう。
2.対人的構えと充実感における性差について
各尺度において性差がみられるかどうかを明らかにするためt検定を行った。その結果、対人的構えの下位尺度である「対人不安」得点と「親和性」得点および「充実感」得点に関して性差は認められず、「孤立性」得点においてのみ男女の有意な差が認められ、男子よりも女子の方がやや高い点数を示すという結果になった。つまり、女性の方が一般的な他者に対して孤立する傾向がやや高いということである。これは対人的構えにおける性差はみられなかった佐藤(1993)の研究とは異なる結果である。本研究では質問紙を実施したうち、女性では4年生が多かった。つまり、就職を間近に控え、近い将来社会的役割を担うようになる4年生は、他の低学年に比べ個人のアイデンティティがより確立されていると考えられる。それゆえ、自己の社会的役割に責任を持ち、他者に依存しない姿勢を持つ女性が多くみられたのではないかと考えられる。しかし、この点についての考察は推測にすぎず、今後の更なる検討が必要であると考えられる。
3.親への愛着と親以外の対象への愛着、対人的構え、充実感の関連
(1)過去の愛着と現在の愛着との関連
@全体について
双方の尺度における下位尺度の重回帰分析の結果から、母親への愛着のみ、親以外の対象への愛着に正の関連があることが分かった。
「友人:依存」について、分析の結果、「母親:不信・拒否」と「母親:分離不安」ともに有意な正の関連がみられた。このことから、過去に作られた母親への良好でない愛着は、現在の愛着対象への依存を高める傾向があることが考えられる。これに関わって金子(2002)は、良好でない愛着スタイルをもった者が、その後の友人らとの関係で、良好な愛着スタイルへと修正されていくのかという発達プロセスについて検討することの必要性を述べている。
「友人:不信・拒否」について、分析の結果、「母親:安心・依存」のみ有意な正の関連がみられた。このことから、母親にたいして安心して頼るということが、かえって必要以上に母親に依存することにつながり、友人よりも母親を重要な他者として捉えている者がいると考えられる。これは、親子関係が親密な者の中に、親密な友人関係を作れない者がふくまれるのだろうという金子(2002)の示唆を支持しているといえるのではないだろうか。
「友人:不安」および「恋人:不安」について、分析の結果、「母親:不信・拒否」のみ有意な正の関連がみられた。金子(2002)は、子どもの頃からの親への「不信・拒否」は、親密な対人関係をつくる妨げとなることを推測している。つまり、母親を信頼できず受け入れられなかったことが、青年期の愛着関係に影響を与え、友人や恋人を信頼できずに、かえって不安を抱くことにつながっているのかもしれない。
A男性と女性について
重回帰分析の結果、「友人:依存」のみ、男性は「父親:不信・拒否」から、女性は「母親:不信・拒否」から有意な正の関連がみられた。つまり、過去に作られた同性の親への良好でない愛着は、現在の愛着対象としての同性の友人への依存を高める傾向があることが考えられる。このことから、同性の対象に対する愛着には何らかの関係があることが予測される。この点に関しては、今後更なる検討が必要であると考えられる。
他の下位尺度については、分析の結果、ともにどの下位尺度とも有意な関連はみられなかった。
全体の分析では母親への「分離不安」から友人への「依存」のみに関連がみられたが、男女別の分析において、親への「分離不安」から親以外の対象への愛着に関連がみられなかったことから、親への「分離不安」は、親の養育態度の不安定さと関連していると考えられ、後の仲間関係で修正されやすいという金子(2002)の推察と合致しているといえるのではないだろうか。
(2)過去・現在の愛着と対人的構えとの関連
@全体について
それぞれの尺度における下位尺度の重回帰分析の結果から、対人的構えの「対人不安」には過去と現在の愛着の双方から関連がみられたが、「親和性」と「孤立性」については現在の愛着のみ関連がみられた。
まず「対人不安」について、母親への愛着の下位尺度である「安心・依存」、「不信・拒否」および父親への「分離不安」から正の関連が、また母親への「分離不安」からは負の関連がみられた。このことから、父親に比べて母親への愛着は一般的な他者への「対人不安」により影響を与えていることがわかった。これに関わって宗岡(2002)は、青年は父親よりも母親に対する愛着が高いということを明らかにしている。これより、母親への愛着が後の対人関係に主だった影響を与えることが予測される。また、親への愛着の下位尺度である「分離不安」からは父親と母親の両者において関連がみられたが、父親からは正の関連であるのに対して、母親からは負の関連であった。父親に対する「分離不安」は、父親が自分のもとから離れていくことへの不安であり、父親に見捨てられてしまうかもしれないという恐怖が伴う。これは父親との分離場面において、父親のことを信頼して待つということが困難であることにつながる。それゆえ、一般的な他者に対しても、相手のことを安心して信頼することができずに、対人関係における不安を感じやすくなるのではないだろうか。しかしそれとは逆に、母親への「分離不安」が「対人不安」に負の関連をもつことについて考えられることは、母親と父親への愛着の質が異なる可能性がある(宗岡2002)という点である。宗岡によって、青年は母親及び父親に対する愛着を同方向に持つ傾向があるが、母親に対する愛着がより高いことが明らかにされたことから、母親に対する愛着の方がより良好である可能性が考えられる。このことから、母親との分離場面において苦悩するということは、母親への愛着が高く、母親とずっと一緒にいたいという思いの現れであると考えられる。それゆえ、対人関係における不安感情に打ち勝つほどの、積極的な関わりを求めるようになるのではないだろうか。この点については、今後の更なる検討が必要であると考えられる。さらに、友人と恋人への「不信・拒否」から「対人不安」に正の関連がみられた。これは、青年の親密な他者への信頼感と対人不安との間には有意な関連はみられないという酒井(2001)の示唆とは異なる結果である。しかし、金子(2002)は、親への「不信・拒否」は、親密な対人関係をつくる妨げとなることを推測している。このことから、親と同様に青年期における愛着対象としての友人および恋人に対する不信や拒否は、一般の他者との親密な関係をつくる妨げにもなり得ることが推測される。それゆえ、友人や恋人への「不信・拒否」が高い者は、対人関係における不安を抱きやすくなるのではないだろうか。
次に「親和性」について、分析の結果、「友人:依存」と「恋人:不安」ともに有意な正の関連がみられた。友人への依存は、愛着対象としての親密な他者への接近性と考えられる。それゆえ、愛着の定義的特徴として考えられている「近接性の模索(近接性を探し、維持しようとする傾向)」が、現在の愛着対象である友人に対して高い者は、一般の他者に対しても同様に接近し、親密さを求める傾向が高いと考えられる。また、恋人へ「不安」が高いという者は、恋人への良好でない愛着に代わるものを他の愛着対象に求め、親密さを求める傾向があるのではないだろうか。また、「友人:不信・拒否」のみ有意な負の関連がみられた。つまり、友人を信頼し受け入れられるということが、一般の他者に対する接近性や親密さを高めるということが考えられる。これは、親密な他者への信頼感は親和性欲求に正の関連があるという酒井(2001)の示唆を支持するものであるといえるだろう。
ところで、本研究では親への愛着のどの下位尺度からも「親和性」への関連はみられなかった。これは、愛着理論において、親への愛着から直接影響を受けるのは、一般的な対人関係の持ち方、それも主に親密性(intimacy)に関わる部分とされているという佐藤(1993)の指摘とは異なる結果である。しかし、その一方で佐藤(1993)は親との関係のもつ意味は乳幼児期に比べ相対的に小さくなるという指摘をしている。このことから、(過去の親への愛着よりも、現在の親以外の対象への愛着の方が、一般的な他者への対人的な構えにより影響を与えているという)仮説4- aは支持されたといえるだろう。
また「孤立性」については、分析の結果、「友人:不信・拒否」のみ有意な正の関連がみられ、「友人:不安」と「恋人:依存」からはともに有意な負の関連がみられた。友人への「不信・拒否」は、友人を信頼し受け入れることができないということが考えられる。それゆえ、一般の他者に対しても同様の感情を抱きやすく、自己と他者を独立した存在としてとらえる傾向が高くなることが考えられる。このようにして他者に依存しない姿勢を持ち、結果として一般の他者に対する孤立性が高くなるのかもしれない。また、友人への「不安」と一般の他者に対する「孤立性」における負の関連については、青年が他者に対して不安を感じるということは、他者に対する指向が高いがゆえに、自己と他者との関係を良好に保とうとする意識の現れだとみなすことができるのではないだろうか。よって、友人への不安を抱きやすい者は、一般の他者に対する「孤立性」が低くなると考えられる。さらに、恋人への「依存」と一般の他者に対する「孤立性」における負の関連については、恋人に依存し頼る傾向が、他者一般に対しても同様に愛着対象として依存を求めることにつながると考えられる。しかし、これらの点に関する考察は推測に過ぎず、今後更なる検討が必要であると考えられる。
A男性について
男性について、それぞれの尺度における下位尺度の重回帰分析の結果、「対人的構え」に対して親への愛着のどの下位尺度からも関連はみられず、親以外の対象への「不信・拒否」のみ正の関連がみられた。まず、恋人への「不信・拒否」は一般の他者に対する「対人不安」に関連がみられた。これは、全体での考察と同様に、青年の親密な他者への信頼感と対人不安との間には有意な関連はみられないという酒井(2001)の示唆とは異なる結果である。しかし、金子(2002)は、親への「不信・拒否」は、親密な対人関係をつくる妨げとなることを推測している。このことから、青年期における愛着対象としての恋人に対する不信や拒否は、一般の他者との親密な関係をつくる妨げにもなり得ることが推測される。それゆえ、恋人への「不信・拒否」が高い者は、対人関係における不安を抱きやすくなるのではないだろうか。次に、友人への「不信・拒否」は一般の他者に対する「孤立性」に関連があることが分かった。全体における考察と同様に、友人への「不信・拒否」が高い者は、友人を信頼し受け入れることができないということが考えられる。それゆえ、一般の他者に対しても同様の感情を抱きやすく、自己と他者を独立した存在としてとらえる傾向が高くなり、その結果、一般の他者に対する孤立性が高くなるのかもしれない。
B女性について
女性では、親への愛着および親以外の対象への愛着のどちらにおいても「孤立性」に対する関連はみられなかった。他の下位尺度については、ほぼ全体の場合と同様の関連の仕方がみられた。特に、恋人への「不安」から「親和性」に対する関連は、全体での分析よりも強い正の関連がみられた。つまり、女性は特に恋人へ「不安」が高い場合、恋人への良好でない愛着に代わるものを他の愛着対象に求め、親密さを求める傾向があるのではないだろうか。
以上のことから、愛着対象との関係の持ち方にはやはり性差があり、特に男性よりも女性の方が、現在の愛着対象から受ける影響が大きいことが分かった。よって、愛着は、対象に関わらず、男性に比べて女性の方が高く、性差が存在するという仮説3の一部と、過去の親への愛着よりも、現在の親以外の対象への愛着の方が、一般的な他者への対人的な構えにより影響を与えているという4−aは支持されたといえるだろう。
(3)過去・現在の愛着と対人的構え、充実感との関連
それぞれの尺度における下位尺度の重回帰分析の結果から、全体、男性、女性のすべてにおいて、現在の愛着および対人的構えと充実感との間に関連はみられたが、過去の愛着と充実感との間に関連はみられなかった。これは、青年の精神的健康に主に関連するのは親への愛着の良好さであり、友人への愛着の良好さによる影響は弱いというNada Raja,Mcgee & Stanton(1992)らの先行研究とは異なる結果であり、佐藤(1993)の加齢に伴って親以外の対象への愛着の比重が大きくなることや、O’Donnel(1976)による親への愛着と他の変数との関連が加齢に伴って変容するという示唆を支持するものといえるのではないだろうか。よって、(過去の親への愛着よりも、現在の親以外の対象への愛着の方が、充実感により影響を与えているという)仮説4−bは支持されたといえるだろう。
@全体について
「充実感」について、分析の結果、「恋人:不安」と「対人不安」ともに有意な負の関連がみられた。このことから、「充実感」に関連がみられものとして、現在の愛着対象である恋人への「不安」と、一般的な他者との関係における「対人不安」という要因が、とりわけ青年期において、日々の生活における充実や幸福というものに影響を与えていることが明らかになった。これは、青年が対人関係において不安を抱くことが、充実や幸福といったポジティブな感情を阻害することにつながるといえるのではないだろうか。
A男性について
「充実感」について、分析の結果、「恋人:不信・拒否」と「対人不安」ともに有意な負の関連がみられたが、関連の強さは「恋人:不信・拒否」よりも「対人不安」の方が強かった。男性においては恋人への愛着よりも、一般の他者との関係の良好さの方が、日々の生活における充実や幸福というものにより影響を与えていることが明らかになった。このことから、男性は、恋人に対して信頼できず、受け入れられないということ及び一般の他者に対して不安を抱くということが、充実や幸福といったポジティブな感情を阻害することにつながるといえるのではないだろうか。
B女性について
「充実感」について、分析の結果、「恋人:依存」と「恋人:不信・拒否」、「対人不安」に有意な負の関連がみられたが、関連の強さは「対人不安」が最も強かった。このことから、男性と同様に女性においても、一般の他者に対して不安を抱くということが、充実や幸福といったポジティブな感情を阻害することにつながるといえるのではないだろうか。また、女性については男性よりも恋人との関係に影響を受ける傾向が高いということが分かった。このことから、友人と恋人への愛着の質は異なること、また、恋人への愛着には性差があることが示唆された。よって、愛着は、対象に関わらず、男性に比べて女性の方が高く、性差が存在するという仮説3の一部と、青年の親以外の対象への愛着の持ち方は、友人と恋人では異なるという仮説2は支持されたといえる。しかし、この点については今後の更なる検討が必要だと考えられる。