T【問題と目的】


1.被害妄想的心性について〜精神障害における病理との違いから〜


他者の何でもない行動やしぐさを自分に向けられたものと感じ、自分に関連付けて物事を判断することは、日常生活のさまざまな場面の中で多々見られることである。青年期では、自分自身に対する関心の高まりに伴って、他者の存在や言動が自分にとって重要な意味を持つと考えられる。被害的な観念を持つことで対人関係などにさまざまな問題を起こしやすい。
これまで被害妄想は精神分裂病などにおける病理現象として捉えられることが多かった。しかし、近年、一般青年が被害妄想的な観念を体験してきていることが言われている。 Fenigstein&Vanable(1992)、丹野・石垣・杉浦(1997)、金子(1998)は健常大学生の多くが妄想的観念を体験していることを明らかにしている。例えば、丹野ほか(2000)は、健常者の持つ妄想的な内容の観念を「自己―他者」と「ネガティブ―ポジティブ」の二次元にもとづいて分類した妄想的観念尺度を作成し、妄想的観念の体験頻度を調べているが、健常者での体験頻度は、精神科医の予想を上回っていた。
金子(1999)は、一般青年に見られる被害妄想的な思考を被害妄想的心性として検討しており、Fenigstein&Vanableのパラノイド尺度をもとに自己関連付けと猜疑心の2因子からできた被害妄想的心性尺度〔金子(2000)〕を作成している。金子(1999)は、被害妄想的心性を@誰にでも一時的に起こりうる思考過程である。A内容に「現実離れ」は認められず、「部屋に入ったらみんなが笑っていたけれどもあれは自分のことを笑っていたのだろうか」などのように比較的に現実に即しているということである。B内容についての確信は絶対ではない。一時的な誤解であり、勘違いや思い違いの類のものである。妄想の場合は、内容に現実離れがあるにもかかわらず、その内容については絶対正しいと信じ込んでいるが、「被害妄想的心性」では、「そんなことは多分ないとは思うけど」などのように内容について半信半疑になっている心理状態である。と捉えて、被害妄想的心性と精神病理である妄想との違いを述べている。


2.自己関連付けに焦点をあてる


一般健常人を対象にした被害妄想研究は、Fenigstein(1992)、滝村(1991)、大渕(1993)などがある。
滝村(1991)は、「他者に対して不適切に悪意の帰属を行う性質」をパラノイド傾向と定義づけ、少年院の入所者が一般の高校生よりもパラノイド傾向が強いことを示した。滝村や大渕は、他者の行動の背後に自分に対する敵意や悪意を感じるというパラノイド傾向に重点を置いて研究を行っている。 それに対して、被害妄想的な思考を扱った研究の中でもFenigstein(1984)や金子の研究は、自分に向けられたものではないかもしれない出来事に対して、自分が出来事の対象や被害者であると判断する自己関連付けに焦点を置いたものである。
本研究では、対人状況において相手のなんでもないしぐさや行動を否定的に自分に結び付けて、被害妄想的に考えてしまう自己関連付けに焦点を当て、自己関連付けをしてしまう性格特性について検討していく。


3.自己意識の及ぼす影響


Fenigstein&Vanable(1984)は,過度な自己標的知覚(over perception of self as a target)と自己意識との関連を調べており、自己意識の中でも特に、公的自己意識(自分がどのように他者から見られているかという、自己の外的側面を意識しやすい傾向)との関連を示唆している。
自己関連付けは、他者の何気ないしぐさを自己に被害的に結びつける傾向であり、公的自己意識の高い人は、自己を他者からの観察可能な社会的対象として見がちであり、他人からどのように見られ、どのように評価されているのかを気にする傾向であるため、自己が他者からどのように見られているか気にするほど自己関連付けが高まりやすくなることを金子(1999)は示唆した。
しかし、公的自己意識の高い人が必ずしも自己関連付けが高い人とは限らず、公的自己意識の高い者の一部が,何らかの原因で高い自己関連付け傾向を有すると考えられるのでないだろうか。 公的自己意識は、対人不安傾向と正の関連が見られるが、自己顕示欲求とも正の関連が認められている(菅原1984)からである。つまり、公的自己意識の高い者は、他者から見られることを強く意識するが、それが必ずしも自己関連付けとなるわけではなく、見られることに対する積極的態度である自己顕示的な方向に向かう場合もあるだろう。よって、高い自己関連付けを持つ人は、公的自己意識に加えて他の要因が関係していると考えられる。

   

4.対人的自己効力感について


そこで本研究では対人的自己効力感を取り上げる。自己効力感(Self-Efficacy)とは、社会的学習理論あるいは、社会的認知理論(Bandura,1977 )の中核をなす概念の一つであり、個人がある状況において必要な行動を効果的に遂行できる可能性の認知を指している。ある課題に対する自己効力感を自分がどのくらい持っているかが、不適応な情動反応や行動を変化させる、と指摘されている(坂野、1989)。
自己効力感には2つの水準があることが知られている。1つは、学校における成績や進路選択などの、臨床・教育場面において良く活用されている課題や場面に特異的に行動に影響を及ぼす自己効力感である。2つ目は、一般的な人格特性として自己効力感を捉えるということである。成田、佐藤ら、(1995)は、自己効力感をある1つの人格特性的な認知傾向とみなして、それを「特性的自己効力感」と呼んでいる。今までの自己効力感に関連した研究は、特定の課題における自己効力感を測定するといった教育場面での進路選択などの自己効力感を捉えるものが多く、一般的な人格特性として考えられることは少なかった。個人の人格特性として自己効力感を捉えることは、さまざまな場面において、人がどのような行動を取るのかを考えるときに大切になってくるように思う。
対人場面おいてどの位相手とうまく関係を築いていけるかという信念や自信である対人的自己効力感を持っているのと持っていないのとでは、青年期の対人関係を築く過程において重要な問題になってくる。
そこで、対人的自己効力感を安定した人格特性の一つと捉えて研究を進め、自己関連付けとの関連を検討していく。
自己関連付けというものは、対人場面の中で起こるものだから、自分が他人に対してどのくらいうまくやっていけるかという自信の高さである対人的自己効力感は、自己関連付けと関係してくると思われる。対人的自己効力感が低いと、対人関係において自分に自信が持てなかったり、友達を信頼できなかったり、友達から信用されていないと考え不安になり、自分が無視されているのではないかとか、避けられているのではないかと否定的な捉え方をしてしまいやすいと思われる。友達から自分は信頼されているだろうと自己を肯定的に捉え、また自分から友人への信頼感が高いとしたら友達の言動を被害的に捉えないだろう。対人関係で自分に自信が持てないほど他者の何気ないしぐさが気になり自分にネガティブに結び付けやすいと考えられる。よって、対人場面における自己効力感を持つことは、自己関連付けという被害妄想的な考え方へと陥るのを防ぐのではないかと考えられる。




【要約】 【方法】 【仮説】 【結果】 【考察】