それぞれの刺激の特徴については以下のようであった。
a.素材が大きく、水を入れた刺激のうちで最も短時間で容器内を落下する。光を反射する。
b.素材が大きく、水を入れた刺激のうちでaの次に落下時間が短い。cとほぼ同じ時間を要する。
光を反射しない。
c.素材が小さく、水を入れた刺激のうちでbと同様、aの次に落下時間が短い。光を反射する。
d.素材が小さく、水を入れた刺激のうちで最も落下時間が長い。光を反射しない。
e.素材が大きく、光を反射する。水中のものよりも落下時間は短い。
f.素材が大きく、光を反射しない。水中のものよりも落下時間は短い。
T.注視行動の全体的な傾向について
実験は、提示したとき、被験児が刺激に気づくように行った。素材が落下するところから計測を開始
しているが、このときに注視が始まっているものがほとんどであった。
ここで、刺激e、fについて考えてみる。この2つの刺激は水が入っていないものである。ともに、
見かけ上、注視率が高くなったが、これは、短時間に落下する対象が引き起こす注視の結果と考えられ
る。水の入った他の刺激に比べ、素材の落下時間が短く、よって提示時間も短くなり、刺激に集中しや
すかったことが挙げられる。このことは、注視回数が少なく、1回注視時間が短いことからも明らかで
ある(Fig.1,2,3)。
また、e、fは水の入った刺激よりも速く、まとまって落下するため、素材の一つひとつを区別するこ
とはできないが、容器内を滑り落ちていく素材の動きを全体的に認知しやすい。このことから、赤ちゃ
んの好む視覚刺激の、動くもの、という要素が、注視を引き起こしたとも考えられる。
しかし、この2刺激の注視率、注視回数、1回注視時間に差が見られないことから、被験児は光を反射す
るか、反射しないかという点で素材を区別していなかったといえる。落下速度が速いこと、落下時間が
短いことで、刺激をじっくり見分けることができなかったものと思われる。そのため、刺激の認知は、
水中での素材のゆっくりとした動きに対する反応からみていきたいと考え、以下では、水の入った刺激
に注目してさらに分析を加えた。
Fig 1 刺激別平均注視率
Table 3 分散分析
Fig 2 刺激別平均注視回数
Table 4 分散分析
Fig 3 刺激別平均注視率
Table 5 分散分析
U.水中での素材の動きに対する反応について
水の入った刺激a、b、c、dの注視率、注視回数、1回注視時間の平均の比較から、注視回数におい
て刺激aとdの間で有意な差がみられた結果についてであるが、まずこの2刺激の特徴として、刺激aは
大きく、光を反射する素材で、平均落下時間は14.7秒と、最も落下速度が速かった。そして、刺激d
は小さく、光を反射しない素材で、平均落下時間は24秒と最も長く、落下速度が遅かった。落下時間、
つまり提示時間が長いということは注意が刺激からそれやすいということであり、そのため注視回数が多
くなったとも考えられる。しかし、刺激aとdでは光の反射、大きさの2点で異なる特徴を持っていること
から、以下ではこれらの特徴に分けて、考えていきたい。ただし、注視回数における刺激aとdの間にし
か有意な差が見られなかったため、考察は平均(平均を示したグラフ)を参照する。
(1)光を反射するという条件について
グラフからは、aが最も高い注視率を示していることが分かる。大きさが同じである、aとb、cとdを
それぞれでみてみると、ともに光を反射する素材の平均注視率が高い傾向があり(Fig.1)、これより光を反
射するという特徴が注視を促すことが考えられる。また、注視回数においても光を反射する素材では回数が
少ないという傾向が見られ(Fig.2)、このことは光を反射する素材が注意をひきつけることを示していると
思われる。つまり、赤ちゃんの好むとされる視覚刺激の、光るもの、という要素が、より注視を引き起こし
たものと考えるのである。
(2)大きさという条件について
次に大きさによる違いを検討する。光を反射するかしないか、という先の考察と同様に、平均注視率と平
均注視回数を見てみると、注視率では、cに対しaが、dに対しbが高くなった。水の入った刺激では、落下を
始めてしばらくすると、素材がまとまった全体的な動きではなく、一つひとつに分かれて落下する。よって
素材が小さくなると、認知しにくくくなることが考えられる。つまり、3mm角の小さい素材のものは、
7mm角の大きい素材のものに比べ、集中した注視を引き起こしにくいと言えそうである。
(3)水中刺激全体をみて
ここで少し、刺激の落下時間についてふれてみる。刺激aとdの平均注視回数についての考察で、提示時間
が長いために注視回数が多くなるという可能性を述べたが、bはcに比べ5秒近く多い時間がかかっている
にもかかわらず注視回数には差がなかった。このことから、提示時間の長さのみが注視回数に影響するので
はないと思われる。そして、平均注視率のグラフからも同じように考えられ、赤ちゃんが、刺激の大きさや、
光を反射するかしないか、また、その速度などといった視覚的な特徴を区別していることを示す結果と言え
よう。平均1回注視時間からは、光の要素と大きさの要素に分けて反応の違いについて考察することは難しい
が、ここでもやはり刺激aの1回注視時間が最も長くなっており、それだけ集中した注視であることが分かる
(Fig.3)。
以上の点をふまえ、水中の素材の動きへの反応をまとめると、光を反射しない素材よりも光を反射する素
材が、小さい素材よりも大きい素材がより赤ちゃんの注視を促し、よって、注視に有効なこれらの要素を併
せ持つ刺激aにおいて、最も集中した注視が観察されたと思われるのである。
さらに光を反射しないこと、小さいことに加え、刺激dは、水の入った素材の中でも特に素材の落下時間
が長く、それだけ素材がとてもゆっくり落下しており、動きとして認知しにくいと考えられる。つまり、刺
激dは他の刺激に比べ注視を引き起こしにくいものであったということではないか。
そして、光や大きさ、速度といった条件が相互に作用して、赤ちゃんにとって適度な、いい刺激となるこ
とが考えられる。
V.加齢に伴う変化について
新生児の視力が1ヶ月の間に大人に近づくように、赤ちゃんの発達はめざましい。赤ちゃんの発達と刺激注
視との関係をみるため、ここでは、水の入った刺激について、5ヶ月齢ごとに区切って比較した。
8−12ヶ月児と13−17ヶ月児の間でのみ総刺激の平均注視率に有意な差がみられたが、全体をみると、
3−7ヶ月児に比べ8−12ヶ月児の注視率が低く、13−17ヶ月児では最も高い。18−22ヶ月児では
3−7ヶ月児よりも少し高い値を示した。
赤ちゃんの発達からみると、8−12ヶ月児は人見知り・場所見知りが強いとされる時期である。 6ヶ月ごろ
から1歳前後までの間は、ほとんどの赤ちゃんが何らかの形で人見知りをすると言われ、7〜8ヶ月ごろがピ
ークである。9ヶ月ごろになっても人見知り、場所見知りは強いが、お母さんに抱かれてしばらくすると、安
心して周囲のものに物に興味を示し始めるという変化も起こってくる。ここでは慣れない実験状況から生じる
であろう不安が、注視率の低さに影響したと考えられる。
また、月齢別に刺激注視率を比較した結果から、3−7ヶ月児で光を反射する大きい素材を用いた刺激aと
小さい素材を用いた刺激c、dの間に有意差、有意傾向がみられたが、大きい素材に比べ、小さい素材に対す
る注視が起こりにくかったことがわかる。生後3〜4ヶ月では、目の動きはかなりよくなる。お母さんの姿や、
動くおもちゃなどを長い間追視できるようになり、機嫌のよいときには、注視したり周囲を見回したり、声、
物音のする方を見たりする。本実験においても、3ヶ月児の注視を観察することができた。しかしまだ視力は
未熟である。そのため刺激cとdに対する注視率が低くなったものと思われる。
ごく小さな物を見つけられるようになるのは生後3〜6ヶ月であるが、特に細かい物に興味を示し、関心を
持続させ見つめるようになるのは生後6〜10ヶ月頃である。そして、刺激aにおいては光を反射するという
特徴が注視を促したのではないだろうか。つまり、3−7ヶ月児では、素材が大きいことや、光を反射するとい
う、未熟な視力でも認知しやすい特徴をもつ刺激に対して注視率が高くなったと言える。8−12ヶ月児で刺
激c、dにおける注視率がa、bのそれとほとんど差がなかったのは、この細かいものをじっと見つめるとい
う能力を身につけていく段階にあり、特に小さいものに対する反応が敏感になっていることが考えられる。そ
の能力が定着した18−22ヶ月児においては、再び認知が容易な大きいもの、光を反射するものに対する注
視率が高くなったのではないだろうか。
Fig 4 刺激別平均注視率
Table 6 分散分析
W.全体的な討論
実験において注視以外にも観察された行動があるので、一人ひとりの記録からそれらを挙げてみる。ここで
は、分析のサンプルとして結果を用いることができなかった被験児の行動についても記述する。カッコ内はそ
の被験児の月齢である。
まず実験中に泣く被験児が4人あった(8.7,9.0,11.5,17.20)。これは、実験者に対する人見知り、カメラ
が設置されている、静かであるという普段とは違う環境、雰囲気での場所見知りなどによる不安から泣いたと
思われる。加齢に伴う変化の考察でも述べた、人見知りの強い時期(8−12ヶ月)にあてはまる被験児が多
い。また、実験を行ったのが身体検査などを行う医務室であったのだが、保育士によると、17.20児は身体検
査のときによく泣いているとのことだった。8.7児は、刺激の提示と提示の間に泣き顔を見せたが、提示を開
始し刺激の落下に気づくと泣きやむことがあった。慣れない実験状況という不安の要因から刺激(素材の動き)
に注意がうつった、つまり赤ちゃんの注意を不安な状況からそらすことのできるものであることが分かる。ま
た、不安げな顔で提示された刺激を見た後、抱いている保育士の顔を確認するように振り返るという被験児
(9.24)の行動の繰り返しも、普段と違う状況の中での不安から起こったものであり、保育士の顔を見ること
により安心していたのではないかと思われる。
刺激に対する行動では、刺激を提示すると手を伸ばしつかもうとする行動が見られた(5.8,7.20,10.3)。生
後5ヶ月になると、目の前のものをつかもうとするようになる。実験では、5.8児は刺激を目の前に提示され、
反射的に手を伸ばしてつかもうとするが、容器内の素材の動きに気づくとそれを見ることに集中し手の動きは
とまった。そして提示が終了し実験者が刺激を画用紙の後ろに戻すと、その動きをきっかけにして刺激を追う
ようにまた手を伸ばしつかもうとする、という繰り返しがあった。これは、手を伸ばす行動が反射的なもので
あることを示していると思われる。7.20児と10.3児では刺激の落下に気づいても、注視しながら手を伸ばして
いることが多かった。
注視においては身を乗り出して横から容器内をのぞきこむ様子があった(20.22)。
非常に印象的だったのは、水中をゆっくり落ちる素材を注視、または追視しながら笑う(5.8,7.20,10.3,20.22)
様子である。どの被験児も声はたてなかったが、1秒程度のものから、10秒近い笑いが見られた。注視してい
る間ふわーっと素材が舞うのに合わせるように口を大きく開けて笑い、素材の動きを楽しんでいるような被験
児もあった。この反応は水の入っていないものでは起こりにくかったが、ここでもゆっくりとした動き、じっ
くり見て楽しむ余裕のある動きが影響したものと思われる。
分析の方法で述べた、実験者とのやり取りを楽しんでいると思われた16.2児でも笑いがみられた。この被験児は
、実験者が刺激を提示すると、笑いながら抱かれている保育士のひざの上で立ちあがるようにして身をよじらせ
た。また、実験者の顔の、画用紙で隠れていない目の部分を視線が合うまで見つめ、視線が合うと同じように笑
いながら体を動かした。これは、刺激の動きに対する笑いというよりも刺激を提示した実験者との関係において
の笑いである。関連して、刺激注視の時間を計測したのだが、視線が刺激からはずれるとき、刺激を提示してい
る実験者や、ビデオカメラ(または撮影を行っている実験者)を見る様子は全ての被験児に観察された。日常生
活で何か物を見せられるということは、赤ちゃんにとってはあやしてもらう、一緒に遊ぶといった他者とのコミ
ュニケーション場面に起こることであるため、実験中に刺激を提示する実験者を見たのではないか。
このことは残された課題でも述べるが、被験児と実験者が向き合っているという実験の形態を検討するべきであ
る。しかし、これらの行動は赤ちゃんとおもちゃの視点から考えると、おもちゃがそれのみで赤ちゃんの意欲・
関心を伸ばしたり、身体機能の発達を促す刺激となるだけでなく、それを通して大人とのかかわりを楽しめるも
のであり、大人とおもちゃを用いて遊ぶという経験の繰り返しが他者とのコミュニケーション機能の発達を促す
ものであるというおもちゃの機能を示唆するものと思われる。同時に、大人がおもちゃを様々な方法で提示した
り、その際に赤ちゃんを見つめ、話しかけたりすることが、赤ちゃんのものに対する興味をいっそう強くし、自
ら働きかけていくことを覚えるようにもなるのである。
さらに、刺激の提示直後や、提示中に机の下を見るという行動が見られた(9、13.12、14.12、16.13)。生後
8〜9ヶ月になると、 物の立体感、遠近感をつかめるようになり、落ちていくものを目で追ってその行き先を確
認するなど、物事の因果関係に興味を覚える。実験では、落下した素材は実験者の手の部分で見えなくなるのだ
が、実験者の手と机との感覚は5〜10cm程度であるので、落下の最終地点が分かりにくい。容器内を落下す
る素材を、実験者が握っているペットボトルのふたの部分まで追視した後、素材がさらに下まで落ちているので
はないかということを確かめる行動だろう。
先にも述べたように、水中でゆっくりと落下する刺激を赤ちゃんが区別していることが分かった。しかし、素
材の特徴による落下速度の違いと注視率の変化から、ゆっくりであるほど赤ちゃんが刺激を注視するのではない
ということも分かった。刺激の注視には、その素材の大きさ、質(本実験においては光を反射するかしないか)
だけでなく、適度な速さが影響することが考えられる。それは、赤ちゃんが動きとして認知できる速度、その動
きを見て楽しむことのできる速度である。さらに大きさの違いと月齢ごとの比較で述べたように、今回の実験に
おいて、発達段階によって好む刺激が異なる傾向が見られ、おもちゃが赤ちゃんのパートナーとして、その発達
に親密にかかわることがうかがわれるものであったと言えよう。
実験で用いた刺激のうち、水の入った刺激は赤ちゃんの注視を促す素材であり、またその注視は、集中を伴うも
のであることが分かった。そして時には笑みをひきおこすことも分かった。このような特徴を取り入れたおもち
ゃが少ないことに加え、この水中での緩やかな動きというのは日常場面では経験しにくいものと思われる。よって
赤ちゃんが様々な感覚を経験するための、視覚刺激のひとつになると言えるのではないか。
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