考察


【考察】
 
 
1.感動体験の内容
 
(1)出会い体験
様々な感動体験が語られたなかで、もっとも多かったのが出会い体験である。病気であったり、悩んでいたり、それまでの人生の中でもかなり苦しく不快な状況を、助けてくれる人物(先生・看護士)との出会いが多かった。不快な状態からの開放が感動を呼び起こしており、さらに助けてくれた人物を理想とし、そのような人物になりたいと思うのが、これらの体験の特徴である。さらに、これらの体験は、特に中学校時代に多く経験されている。中学時代は、思春期であり、将来の志望をぼんやりとながら決定しなくてはならなくなってくる時期である。そのような心理的葛藤の多い時期に得る、教師などとの出会い体験は、それらの葛藤を解消するものである。その不快な状況からの開放が、先に述べた感動と重なって、2重に個人の心に印象付けられ、将来の志望・動機づけに大きく関わっているのではないだろうか。また、出会いの体験は、唯一小学校以前の記憶として語られていることからも、とくに個人にとって重要な体験であることを示している。
 
(2)達成体験
2番目に多かった達成体験は、比較的現在に近いものが語られていた。達成体験は、目標にむけて努力し(未達成=不快)、そこから成功(達成=快)という流れが比較的簡単に起こるため、感動を得やすいと考えられる。しかし、そこに個人のなかでそれ以上に意味づけしていくことはないのだろうか。達成体験は、できたという達成自体に感動がある体験である。しかし、「自分への影響」を尋ねたところ、達成の感覚とは関係のない部分をあげ、勉強になったと答えるケースが多かった。また、現在に近いものが比較的多かった。感動という活動の原動力にもなるものが、達成ということに結びついている。そのため、達成体験はより思い出しやすく印象深いものではあるはずである。にもかかわらず、思い出しにくく、思い出して意味づけを深めるときも、達成とは関係のない部分であるのは、なぜだろうか。何かを達成するという体験は、自己効力感を高めるかもしれないが、直接的には意味づけのしにくい体験であるのかもしれない。
しかしながら、協同による達成は、中学時代やそれ以前でも語られており、他者との協同による達成体験は、個人のものとはまた違う、もしくはより印象深いものとなっていることが示唆された。
 
(3)時期
時期については、全体としては、最近のものと中学時代のものが多いという結果であった。これは、速水・陳(1993)の結果と対応しないものであった。今回は、「動機づけを高めるような」感動体験、とは限定せず感動体験をたずねたため、このような結果になったのかもしれない。今回の結果は、バンプ現象と似た曲線を示している。バンプ現象は、50歳以上の老人の想起曲線を示したものであり、バンプ(隆起)しているところは、10代後半から20代前半である。バンプは個人的な思い出だけでなく、音楽の好みや、社会的出来事にまで影響する。老人にとって、青年期はそれまでの人生を変革し、方向付けた時期である。だから、その時期の体験が大切であり、印象深いものでもあるのだろう。成人にとって、これまでの人生の変革期は、中学時代なのかもしれない。はじめて義務教育がなくなり、進路を決める時期であり、精神的に自立していく反抗期でもある。だからこそ、その時期の体験は大切であり、印象深く残っているのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2.t検定結果について
 
 ほぼすべての因子が有意に上昇したことから、感動体験を語ることによって、動機づけは高められるといえる。
今回、動機づけを高めるとは限定せずに感動体験をたずねたが、結果として、どの体験も動機づけが高まるという結果であった。本人が「やる気がでる」と認識しない・もしくは普段そこまで思い至っていない体験であっても、感動体験は動機づけを高めるのであるということがわかった。
 
 特に変化のあったものは、「効力予期」「興味価値」「社会的環境要因」である。
 
効力予期」は、やればできる、という内容である。自己効力感につながる項目であるが、自己効力感を高める要因として、達成体験や、他者からのはげましなどがある。感動体験のなかには、達成体験や、他者から支援された体験などがある。それらの体験により、効力感が高まったことが考えられる。また、感動体験を思い出し、気分もポジティブになっていることからも、少なからず楽観的になり、できるのでは、と考えるようになるのだろう。過去の達成体験は、いままでにできたのだから今度もできるだろう、という感覚があり、自信がわいてきたり、(障害で苦労してもがんばっている子を思い出して)「思い出すと、わたしも看護を学んでいるんだからがんばらなきゃと思う」など、やるんだという強い意志が出てきたりしている。そのように、効力感や、意思の力でできるという信念がわくことから、やればできるという感覚になったと考えられる。
興味価値」は、学習(内容)が楽しい、という内容である。体験自体、本人にとって職業選択のきっかけとなるような体験であったり、または内容的に、いまここ(大学)で学ぶ魅力であったりすることから、それを思い出すことで忘れかけていた自分の興味を再認識して、上昇すると考えられる。
社会的環境要因」は、助けてくれる人がいる、という内容である。過去に出会った、自分を励ましたり、助けたりしてくれる人。または自分の理想となるようなすばらしい人物を思い出すことで、その人物を代表として、助けてくれる人がいると感じることができたからだろう。
 
 唯一下降をしたのが「公的獲得価値」である。感動体験によって促進されるのは、そのものに対する魅力のようなものなのかもしれない。感動、とは、自分の内面で起こる感情のおおきな揺れ動きである。よって、「公的獲得価値」のような、「他人が望ましいと思う(と本人が思う)姿の獲得価値」については、それを軽視するような働きがあるのかもしれない。また、感動体験は、それを原動力として、自らが主体となって、自律的にものごとにとりくむ基礎ともなりうるような体験である。伊田(2003)によると、「公的獲得価値」は、課題価値の中で唯一、自律性指標との正の相関が見られなかった項目であったことからも、感動体験による自律的な取り組みへの効果が示唆された。
 
 
 
 
 
 
 
 
3.共分散分析 結果について
 
(1)体験の内容
私的獲得価値において、達成体験よりも、出会い体験や気づき・驚き体験のほうが、上昇することがわかった。私的獲得価値は、学習内容が自分にとって、なりたい自分に近づくためには重要である、という内容である。おそらく、出会い体験などは、なりたい自分というものが、職業とともに明確になり、そのためより上昇が見られたのではないだろうか。気づき・驚き体験は、その学習内容に関連しての気づきや驚きである。教育学部や医学部においては、気づきや驚きも、「患者さんひとりひとりに人生があるんだと気づかされた」など、人間的な部分が大きく、例えばこの場合、「そういうことに気づけるような人物」など理想像が明確になり、そのためにまず勉強しよう、という気持ちにつながるのではないだろうか。しかし達成体験は、できた、という体験であり、なかなか理想像にはつながらないようである。また、達成体験では、達成体験からなにかにつながるような話がみられなかった。達成体験は、たとえば、「うれしかった」で完結してしまっていることが多く、またこのような達成感を味わいたいとか、そのときの仲間でまた何かがんばりたいとか、そのような積極的な、行動を強化するようなコメントがなかった。このことからも、達成体験により、自分がこうなりたい、という方向の動機づけを得ることがあまりないことが考えられる。
 
(2)意味づけの深さ
私的獲得価値において、意味づけの深いほうがより上昇することがわかった。私的獲得価値は、一貫して自律性指標との関連が見られたものであり、熟達にかかわる内発性の社会的動機づけに対応するものであると考えられている。意味づけが深いということは、本研究においては思い出したり、影響されたりしている、と自分で認識したということである。よって、基本的に、感動を原動力に、その体験からなにか学び取り、自ら決めたり考えたり行動してきたりしているということを示す。「教師を目指した」から「一歩ひいてものごとを考える」までさまざまであるが、自分が大なり小なり自律的に行動してきた、そのきっかけともいえる体験であったことが伺える。そのような体験を思い出すことで、その考えや気持ちが再浮上し、自分の中の、自己決定性が刺激され、またもっとがんばろうとも思うのだろう。
 しかしながら、結果予期においては、意味づけの深いもののほうが上昇がみられないことがわかった。結果予期とは、やればできる、という内容である。意味づけが浅い状態では、できたという経験などから、単純にそのまま、やればできる、と考えることができるのだろう。体験とその後の課題をダイレクトに結び付けることができ、そのため、より結果予期を高めることになったと考えられる。
 
 
(3)職業への志望度
 職業をイメージしたときの気分を尋ねたもので、ネガティブなもの(以下ネガティブなイメージ)において、志望度による差が見られた。もともと、気分については、ネガティブなイメージが、感動体験の影響をもっとも顕著に受けていた。ネガティブなイメージは、その職業もかかわるような分野での感動体験によって、好印象になるだろうことは容易に想像できる。しかし、志望度が高いほうがそれが顕著であるということはおもしろい事実である。おそらく、志望度が高い群は、もともとはその職業に対してかなりいいイメージを持っていたであろう。その職に就きたいと思ったのであるから当然である。しかし、普段を過ごすうちに、周りのイメージからの影響や、悪いニュース、他の職業の魅力、または惰性によって、いいイメージは薄れてしまうだろう。その職に就きたいと思い、学ぶほど、いいことばかりではなく、悪いことも見えてくるものである。そんなときに、いいイメージをもったきっかけであったりもする感動体験を思い出すことで、再びイメージは上昇することができるのではないだろうか。嫌な部分もあるかもしれない、それでもやっぱりいいんだ、とふたたび感じるようになるのではないだろうか。
 
 
(4)会話時間
時間によって左右されることなく、体験を話し終えるまで話していたため、会話時間にかなりのばらつきが出た。会話内容ではなく、会話時間によって、影響があるかもしれないと考え、分析を行ったが、会話時間の長短による影響は見られなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
【総合考察】
 
本研究では、感動体験の想起によって動機づけ効果があるかどうか、体験の種類や意味づけの深さなどによる違いがあるかどうか、ということが検討された。
感動体験の想起前後では、気分はポジティブなものは上昇し、またネガティブなものは減少し、動機づけの効力予期・結果予期・興味価値・利用価値・私的獲得価値・社会的環境要因・身体的要因が高まった。唯一効果を得られず、有意傾向で減少があったのが、公的獲得価値の因子であった。公的獲得価値は、自律性との関連が薄い項目であるという事実から、感動体験は、動機づけの自律的な側面により効果があることが示唆される。
また、私的獲得価値においては、ケースによって、効果に差がある部分があった。まず体験の種類によって違いがあり、達成体験より、出会い体験や気づき・驚き体験のほうが上昇が大きく、意味づけがあまりないより、意味づけが深いほうが上昇が大きい。私的獲得価値とは、こうなりたいという自己に近づける、という価値である。意味づけがより深いほうが、体験と自己像、自己像と学部の授業のつながりが明確に認識されており、そのような価値を見出しやすいのだろう。達成体験は、達成という感動とのの間にそのようなつながりを認識しづらく、上昇が少なかったと考えられる。
結果予期においても、ケースによる違いが見られた。意味づけが深いよりも、意味づけがあまりないほうが、上昇がみられていた。意味づけが浅い状態では、できたという経験などから、単純にそのまま、やればできる、と考えることができるのだろう。体験とその後の課題をダイレクトに結び付けることができ、そのため、より結果予期を高めることになったと考えられる。しかし、意味づけが深くなるほど、さまざまな要因も考えなくてはならなくなり、単純に、やればできるという感覚にはなりにくくなるのではないだろうか。意味づけについては、より目標や、目標と課題の関係を明確にし、価値感情はたかまると考えられるが、目標が自分から離れすぎたり、困難がつきまとうとき、結果予期の低下などから動機づけにはつながらないかもしれない。今回の調査は、教育学部や医学部に在籍する大学生であるため、目標との間には、深刻な差はないと予想される。そのため、結果予期が低下することまではなかった。しかし、深刻な差があると認識された場合には、むしろ結果予期を低下させてしまうこともあるかもしれない。
以上のように、基本的には、感動体験の想起によって、動機づけが高まるという結果が得られた。感動体験を想起し、語ることによって、気分の面ではよりポジティブになり、動機づけの各側面もおおむね高まった。つまり感動をした体験の自伝的記憶には、動機づけ効果があるということが明らかとなった。しかし、体験によって、影響を与える部分が違っており、体験のもつ性質や、個人のとらえ方で大きく影響がことなってくることがわかった。感動体験を得ることや、思い出すことだけでなく、日々の感動体験をいかにとらえるか、といった認知的な部分も大切なことである。
 感動体験は、日々のほかの体験よりも、感情の量やゆれが極端な体験である。それは、どのような体験であれ、あとから思い出して気分が変化するほどの影響力を持っていた。また、感動した体験をきっかけに、個人が多かれ少なかれ変化していることがあった。感動は、その膨大な感情のエネルギーで、そのような何らかの方向転換・何らかの新しい動機づけの原動力となっているのではないだろうか。そして、その感動は、感動をした自伝的記憶という形となり、その感情の持つ力を秘めたまま貯蔵され、必要に応じてとりだしては、動機づけを刺激しているということが、インタビューからうかがえた。その記憶されている感情はとんでもない量であるため、何度も使ってもなかなかなくならないのである。そしてそれは非常にポジティブなものであるため、思い出すことが負担にはならず、機能を発揮しやすくなっているのだろう。
このように、感動体験は、認知的な面と感情的な面との双方へ影響していることが考えられる。その二つの面は互い関係しながら、それらがどちらも、動機づけに影響しているのではないか。そして、ふたつの面どちらもが関わるからこそ、感動体験はその人にとって、重要な体験になっており、影響力あるのだろうと思われる。
 
 



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