1.因子分析結果について
今回用いた特性形容詞対尺度は従来,安定して「社会的望ましさ」,「個人的親しみやすさ」,「力本性」の3因子が抽出されている(林,1978,1979;林ら,1983;大橋ら,1983)。
しかし,本研究において,特性形容詞対尺度20項目について,先行研究にしたがって3因子解を仮定して因子分析を行った結果,「力本性」,「対人的好ましさ」,そして‘近づきがたい−ひとなつっこい’,‘心が広い’から構成される「受容性」の3因子が抽出された。「力本性」と「対人的好ましさ」は先行研究と一致するのだが,「受容性」はいずれの先行研究でも抽出されていない因子である。しかし,「受容性」因子の内的整合性については高い値が得られておらず,この次元から評価を行っていることを明言することはできない。
さらに,本研究における「力本性」の次元には,従来の研究では「社会的望ましさ」として抽出されていた次元の下位項目が含まれていた。従来,「力本性」次元は活動性と意志の強さが組み合わさった次元として抽出されているが,本研究においては,活動性や意志の強さの評価と「社会的望ましさ」についての評価が共変していたといえる。
O'Neal(1971)によると,特性間の相互関連性については状況的要因の影響があり,将来SPと接触する機会を持つであろうと予期していた場合と接触する機会はないであろうと予期していた場合では,前者の方が特性間相関は強くなる。
つまり,本研究においては,SPとの相互作用を予期させていたために,従来は「力本性」と「社会的望ましさ」に分かれていたものが同一の次元として抽出されたと考えられる。
しかし,本研究においては,内的整合性は高くなかったが新たな次元として「受容性」次元が抽出された。さらに,先行研究においては全ての項目がいずれかの因子に高い負荷(.40以上)を示しているのに対して,本研究ではいずれの因子に対しても高い負荷を示さなかった項目(.40未満)が6項目存在した。これらのことを考え合わせると,より単純な次元上でSPを評価しようとしたのではなく,今回の実験協力者は活動性と意志の強さを「社会的望ましさ」として捉えている可能性も示唆される。
これらのことから,今回の研究における実験協力者と先行研究における実験協力者では,他者の印象を評価する際の次元に多少の差異があったといえるだろう。つまり,「意志が強く活動的であるか」という評価と「社会的望ましさ」の評価は異なる次元によって行われていたが,今回調査対象となった大学の学生は,「社会的望ましさ」についての評価を「意志が強く活動的であるか」という次元から行っているという推測ができる。
2.状況と印象形成の関連について
特性形容詞対尺度20項目についての因子分析結果にもとづいて「力本性」,「対人的好ましさ」それぞれの次元ごとに尺度得点を算出し,実験条件による評価への影響を検討した。さらに,実験条件の影響をより詳細に検討するため,個々の項目についても実験条件による差異について検討を加えた。
知的水準による影響
他者の知的水準が自分よりも高い場合と,自分よりも低い場合では,「力本性」と「対人的好ましさ」のどちらの評価においても有意な差は得られなかった。さらに,各項目ごとに条件間における差を検討したところ,‘非社交的な−社交的な’,‘自信のない−自信のある’では高地位条件が低地位条件よりも有意に高くなり,‘短気な−気長な’では低地位条件が高地位条件よりも有意に高く評価していた。
“ステレオタイプコンテンツ理論”(Fislk et al., 2002)によると,知的特性と対人的特性が相補的な関係にあるというステレオタイプが存在することが明らかになっている。認知対象者の知的水準によって3項目の評価に差がみられたことについては,「知的能力の高い人たちは冷たい」,「知的能力の低い人たちは暖かい」というステレオタイプの影響によるものであるといえるだろう。
つまり,‘自信のない−自信のある’という次元での評価は,認知対象となる人物が自分自身のことを高く評価していると知覚することによってなされると考えられる。つまり,知的水準が高いか低いかという情報から直接的に評価を下していることが考えられる。
‘非社交的な−社交的な’という次元は「他者との関わり方」について評価する際に用いられる次元であり,‘短気な−気長な’という次元での評価は情緒的な評価であると考えられることから「対人的特性」であるといえる。そのため,‘短気な−気長な’という評価においては相補的なステレオタイプの影響によって,知的水準の低い他者の方がより好ましく評価されていたといえる。
しかし,‘非社交的な−社交的な’という項目においては,知的水準が高い他者の方がより‘社交的である’と評価されることが示された。このことについては,本研究において用いられた行動記述文が,SPが他者と関わっている場面であったことが影響していると考えられる。
つまり,“社交性”についての情報が文章として含まれており,行動記述文を読むことで直接的に評価できる状況であったため,知的水準の低い他者に対してステレオタイプ的な期待をもって情報を解釈することで,同じ行動に対する‘非社交的な−社交的な’という次元での評価が知的水準の高い他者に対する評価よりも割り引かれたことが考えられる。
相互作用の予期と対人認知
文脈条件について印象評価に差があるかを検討したところ,尺度得点については友好的相互作用を予期していた場合の方が敵意的相互作用を予期していた場合よりも「対人的好ましさ得点」が高いことが示された。さらに,特性形容詞対尺度20項目について文脈条件による影響を検討したところ,文脈条件による差がみられたのは‘なまいきな−なまいきでない’‘感じのわるい−感じのよい’,‘短気な−気長な’,‘不親切な−親切な’の4項目であった。
これらの特性は情緒的な評価次元であると考えられることから,すべて「対人的特性」であるといえ,「知的特性」に関する次元については文脈条件間で差がみられなかった。
このことから,なんらかの相互作用を予期することによって,「対人的特性」に関する次元のsalienceが高まることが示唆された。
多重比較の結果,相互作用を想起していない場合よりも,敵意的相互作用を予期している場合には,‘なまいきだ’と感じており,友好的相互作用を予期している場合にはより‘気長である’と判断されていた。‘不親切な−親切な’という評価に関しては,友好的相互作用を予期していた場合に,相互作用を予期しない場合と敵意的相互作用を予期していた場合よりも高く評価されていた。‘感じのわるい−感じのよい’という次元については友好的相互作用を予期している場合に敵意的相互作用を予期している場合よりも感じがよいと判断されており,相互作用を予期しない場合とは有意な差はみられていない。
何も想起しない場合との間で見られた差は,“プライミング効果”の観点から考えることができるだろう。つまり,行動記述文という情報を見る前に,敵意的相互作用について想起させられた場合には,敵意性に関連する特性概念が活性化された結果,敵意的な特性に関する評価が高くなり,友好的相互作用を想起させられた場合には,友好性に関連する特性概念が活性化されたことにより,友好的な特性に関する評価が高くなったといえる。
さらに,想起させる相互作用の違いによってみられた差については,“観察目標(observational goals)”の観点から考察することができる。つまり,将来的になんらかの関係が予期され,それが避けられない場合,その関係になることを自分が納得できるような評価をすることが考えられる。今回の研究と照らし合わせると,友好的相互作用が想起させられた場合と敵意的相互作用が想起させられた場合では,予期される‘相手との未来の関係’に違いがある。相手と友人として付き合っていくことが予期させられた場合には,友人として付き合っていく場合に期待する特性について高く評価を行い,相手が自分と競争関係になることが予期された場合には,相手が対人的に好ましいと判断することは都合が悪く,自分にとって脅威とならないような評価を行うことが示唆された。このことは「対人的好ましさ得点」が友好的相互作用が想起された場合に,敵意的相互作用が想起された場合よりも高くなることからも示唆されたといえる。
知的水準の認知と相互作用の予期
地位条件と文脈条件の交互作用について分析した結果,尺度得点では有意差は得られなかった。特性形容詞対尺度の項目である‘沈んだ−うきうきした’という項目の評価については有意な交互作用がみられ,何も相互作用を予期しない場合において,知覚対象者の知的水準が高い方が低い場合よりも高く評価され,友好的相互作用を予期している場合における知的水準が高い他者に対する評価よりも高く評価されていた。
つまり,知的水準が高い他者に対する‘沈んだ−うきうきした’という次元での評価は,友好的相互作用を想起していると何も想起していないときよりも沈んでいると評価されるということである。
沈んだ−うきうきした’という項目は「力本性」に含まれる項目であり,社会的望ましさに関連した評価次元である。そのため,何も相互作用を予期しない場合には,知的水準が低い他者に比べて知的水準が高い他者が高く評価されているのであるが,友好的相互作用を予期した場合には,知的水準の高い他者に対する評価が下がるといえる。
つまり,友好的相互作用を予期した結果,対人的好ましさ次元のsalienceが高まり,社会的望ましさに関連した次元における知的水準の高い他者の優位性が評価として表れてこなくなったのだろう。
類似他者の存在と対人認知
他者条件について印象評価に差があるかを検討したところ,尺度得点については違いはられなかった。さらに,特性形容詞対尺度20項目について他者条件による影響を検討したところ,‘なまいきな−なまいきでない’において差がみられ,認知対象者と類似の他者が存在する場合に,存在しない場合に比べてよりなまいきであると捉えられていた。
他者とある側面において類似していると知覚できる第三者が存在した場合,知覚対象者と第三者をカテゴリー化し,自分と知覚対象者との違いを明確に意識することが考えられる。それによって,自らの優位性を保とうという意識が生まれ,よりなまいきであると判断したと考えられる。
知的水準の認知と類似他者の存在
地位条件と他者条件の交互作用について分析した結果,尺度得点では有意差は得られなかった。特性形容詞対尺度の項目である‘無気力な−意欲的な’という項目の評価については有意な交互作用がみられ,知覚対象者の知的水準が低く,知覚対象者と類似の第三者が存在しない場合にもっとも‘無気力である’ととらえられていた。
‘無気力な−意欲的な’という次元について,単純に知的水準が高いか低いかによって評価した場合には知的に優れているほど意欲的であると判断するが,知覚対象者と類似した第三者が存在することによって,知的水準の低い他者に対する評価があがり,知的水準による違いがみられなくなると解釈できる。
‘無気力な−意欲的な’という評価次元は,感覚的な快−不快を伴う評価次元ではなく社会的望ましさに関する評価次元であると考えられる。仮説通りに考えれば,SPと類似した第三者が存在しない場合よりも存在した場合の方が,知的水準による差がより明確になるはずである。しかし,知的水準が低い場合には,SPと類似した第三者が存在することによってより意欲的であると評価されることがうかがえる。
優劣評定について
自分と知覚対象者を比べた場合,知的特性と対人的特性についてどちらが優れているかについて尋ねた結果,知的特性の優劣評定において,地位条件間と文脈条件間で有意な違いがみられた。
地位条件間においては他者の知的水準が高い場合と低い場合では,高い場合により相手の方が優れていると判断されており,地位条件の操作が適切に行われたことが示唆された。
文脈条件間においては敵意的相互作用が予期された場合,何も想起していない場合や友好的な相互作用が予期された場合よりも,相手の方が知的に優れているととらえられていた。つまり,今回提示した敵意的相互作用というのが就職活動における面接場面であったことから,「課題関連的」な場面であると考えられ,廣岡(1990)に示唆された場面による特性次元のsalienceの違いを裏づける結果となっている。
対人的特性として‘心の広さ’についても自分と相手のどちらが優れているかを尋ねたが,どの条件においても違いはみられなかった。評定値の度数分布を検討したところ,相手の方が優れていると評価している実験協力者が半数以上であった。
これについては,質問紙の構成上の問題が考えられる。
つまり,優劣評定の直前に,SPの望ましい行動についての原因について考えさせたために,望ましい行動に対する注目が高まり,それによって多くの実験協力者がSPを自分よりも心の広い人物であると判断したのではないかと考えられる。
3.まとめと今後の課題
まとめ
近年他者の印象を評価する際,「知的特性」と「対人的特性」が相補的に認知されることが明らかにされてきている(Fiske eet al., 2002;池上,2006)。
すなわち,われわれには「知的に優れている人は対人的には好ましくない」,「知的には優れていなくても対人的には好ましい」というように認知する傾向があるということであり,「知的特性」の評価が全体印象に及ぼす影響の大きさについても示されたといえる。
さらに,「知的特性」については社会的に存在する“序列”によって間接的に評価されていると考えられ,他者が社会的序列のなかのどの辺りに位置付くかによって対人的に好ましいかどうかを判断していることも指摘できる。
本研究では,
@認知対象となる他者と将来何らかの相互作用があることを印象評価時点で予期させること,
A知覚対象者と類似した第三者の存在を知覚させること,
これら2つの要因によって,印象形成時,特に対人的好ましさについての評価時における序列としての知的水準が持つ情報的意味や情報的な価値がどのような影響を受けるかについて検討を試みた。
結果としては,印象評価をする際に何らかの相互作用を予期することで,対人的好ましさに関連した評価次元における評価において,相互作用を予期していないよりも高く評価されることが示唆され,予期する相互作用の評価的な意味合いによって注目される次元が異なることや,予期された相互作用の評価的な方向に沿う形で印象が評価されることについても示唆されたといえる。
もう一つの目的であるSPと類似の第三者の存在による評価の違いについては,あまり明確な違いがみられたわけではなかった。
しかし,その中でも違いのみられた評価次元について考えてみると,どうやら,類似の第三者が存在することにより“カテゴリー化”が起こり,知覚者は自身との差をより明確に感じることで,知的水準による評価の違いがより大きなものになるだろうという仮説は支持されなかったといえる。
今回の結果からはっきりとしたことはいえないが,SPと類似の第三者が存在することによって,SPの特性が目立たなくなり,評価があいまいなものになることが考えられる。つまり,類似の第三者が存在しない場合には,知覚対象としてSPしかいないために評価対象となる特性が際だっていたが,類似の第三者の存在によって,ある側面における特殊性が相対的に弱まることによって,知的水準による評価の差があいまいなになったということがいえるのではないだろうか。
今後の課題
今回の研究においては独立変数の操作がしっかりできていなかった可能性も否定できない。さらに,「相互作用の予期」と「類似他者の存在」という研究上別々に扱う要因を同時に操作したことにより,それぞれの要因の持つ効果を正しく検出できなかった可能性も往々にして考えられる。
しかし,これらの要因によって印象の評価が異なることは本研究からも示唆されており,こういった部分に関してはより厳密に統制を行ってさらに研究を進める価値はあるだろう。
質問紙法を用いてSPとの相互作用を予期させることには限界があると考えられることから,よりリアリティのある形で検討を重ねる必要がある。さらには,「他者がどのような意図を持っているのか」という側面から印象評価の差異を説明していくことで,意思を持った存在である“人間”についての表象を作り上げる際の特徴について考察を深めていくことができると考えられる。
今回,SPと類似した第三者の存在という要因についても検討を試みた。われわれは類似した者同士をまとめて“カテゴリー化”し,カテゴリー自体の持つ特徴によってカテゴリーに分類された対象を評価することがある。これはステレオタイプ的判断の典型例であるが,このように評価する際には,カテゴリー自体の持つ特徴を過度に一般化される。
このような点から,SPと知的に類似した第三者が存在した場合には,それらの者を知的水準によって“カテゴリー化”してしまい,SPを一人の他者として評価する場合よりも知的水準に関する特徴がより顕在化して極端な評価をするだろうと仮説を立てた。
しかし,今回の研究からは,類似した第三者が存在することでSPの持つ特徴があいまいになることが示唆されたといえる。
やはり,これについても実験条件の操作が厳密にできていなかった可能性は否めないが,SPの近くに存在していること“自体”が,SPの印象評価になんらかの影響を与える可能性があることは示唆され,興味深い結果であると思われる。