1.不安感情
今日学校で大きな問題となっているものに不登校が挙げられるが、その原因のひとつとして、対人関係障害が指摘されている(文部科学省,2001)。これによると、学校や日常生活における対人コミュニケーション場面で、「人とうまく話せない」、「人と話していると強い不安を感じる」など、不安感情が喚起されることが言われている。このことは、コミュニケーションを行う際に、特に会話時に生じる不安が問題となっていることを示すものである。このような、対人場面における不安は、対人不安と呼ばれている。
対人不安は、臨床場面では対人恐怖として扱われている。精神医学の分野では、対人恐怖症は「他人と同席する場面で、不当に強い不安と精神的緊張が生じ、そのため他人に軽蔑されるのではないか、他人に不快な感じを与えるのではないか、いやがられるのではないかと案じ、対人関係から出来るだけ身を退こうとする神経症の一型」と定義されている(笠原,1993)。この対人恐怖は、「他者に注目されるかもしれない一つ以上の状況に関する持続的な恐怖。恥をかいたり、困ってしまうようなことをしてしまうかもしれないという恐怖」(大河内, 1999)とされる。つまり、従来の研究では、不安神経症、とりわけ対人恐怖と呼ばれる視線恐怖や赤面恐怖などとの関連で、主に臨床的な立場で扱われてきた。しかし、対人恐怖を、より一般的な現象として扱う社会心理学的な立場からのアプローチがなされるようになり、それを対人不安としている。研究によっては対人不安の下位概念として対人恐怖があるとするものもある(渡部,2002)。
この対人不安は、「人を不安な状態に陥れる原因はさまざまだが、対人的な原因によると考えられる不安を一般に対人不安もしくは社会的不安とよぶ」(堀毛, 1999)とされている。
対人不安についての研究は、バス(Buss,A.H.,1980)が対人不安をシャイネス、聴衆不安、困惑、恥の4つに分類し、検討したものや、リアリー(Leary,M.R.,1983)による自己呈示的な文脈からの検討が広く認められている。菅原(1992)は、バスによる4つの分類のうちシャイネス、聴衆不安をコミュニケーション不安という上位概念の下に、困惑、恥の2つは恥の意識という上位概念の下にまとめることができると述べている。また、リアリーによれば、対人不安は、他者に特定の印象を与えようと動機付けられているが、そうできるか疑わしいときに生じるとされる。有倉(1995)は、他者が抱く印象を操作しようとする印象操作動機は、自己意識が容姿や行動など自己の外面的な自己側面に注意を向けやすい公的自己認識状態にあるかどうか、期待される結果の価値の大きさ、相手と初対面か否か、あるいは性別や魅力など相手の特徴によって変化するとしている。
さて、我が国では、鈴木(1982)が「病体としての対人恐怖症が多いというばかりでなく、日本人の多くが対人恐怖心性を秘めている」と述べているように、程度の差こそあれ、この対人恐怖傾向は広く認められている。これについて、笠原(1984)は「青年層に対人恐怖的心性が根強く潜在している」と指摘しているが、特に青年期は自己へ関心が向かうようになり、自分の行動や周囲との関係などに目が向きやすくなるため、こうした心性が顕著となる。
このようなことから、特に青年期において対人不安を軽減することは、対人関係を円滑に保つ上で非常に重要だと考えられる。
ただ、これら対人不安の検討は、特性としての不安に注目したものであり、対人コミュニケーション場面である会話場面での不安を検討したものではない。
これについて、スピルバーガー・ゴルサック・リュシュヌ(Spielberger,C.D.,Gorsuch&Lushene,1970)は、不安をState Anxiety(A-State;状態不安)とTrait Anxiety(A-Trait;特性不安)に二分し、短時間の緊張水準の変動により生じる不安水準を、長期的な性格特性としての不安水準から分離している。
会話場面での不安を検討したものが少ないことに加え、会話場面で喚起される不安というのが「状態不安」であり、これについて検討することが対人場面における不安を低減することにつながると考えられる。それゆえ、対人不安という概念について考察する際に、その場での不安状態を検討することは有益であると考えられる。よって本研究では会話時における状態不安に注目する。
2.社会的スキル(ノンバーバルスキル)
会話中不安が生じる要因のひとつとして、社会的スキルの欠如が指摘されている。堀毛(1999)は、対人不安を社会的スキルの欠如と結びつけ、社会的スキル訓練や認知行動療法的なアプローチによって治療を図ろうとする研究も盛んに行われていると述べている。
この社会的スキルについては、研究者によって実に様々な定義がなされているが、一般的には対人関係を円滑に開始・維持するために用いられる言語的・非言語的な行動レパートリーのことを指す(相川・佐藤・佐藤・高山, 1993)。近年では、大坊(2005)が大学生の基本的なコミュニケーション・スキルの見直しと向上を図るプログラムを実施するなど、適応的な対人関係を築くために必要とされる社会的スキル欠如の解消を目指して、社会的スキルトレーニングなどの効果を検討する研究が多くなされている。ここでは、個々人が持つ「スキル」の特徴をチェックし、そこで不足する要因を改善するという方法がとられる。このトレーニングをより効率化するため、社会的スキルの要因化の試みがなされている。相川・佐藤・佐藤・高山(1993)は、社会的スキルについて、相手の対人反応の解読、対人目標の決定、感情の統制、対人反応の決定、対人反応の実行という循環的な過程を含むモデルを示している。
このように、どのようなコミュニケーションを行えば、他者によい印象を与え、快適な対人関係を保つことが出来るのかという問題意識の下でコミュニケーション行動の様相や対人認知を検討した研究は、2者間の会話場面を扱ったものが多い(高島・岩永・生和, 2003など)。
会話のような対人相互作用場面では、何かを伝えたり伝えられたりする際に、言語情報のみならず、視線や表情など様々な身体的表出を合わせてメッセージが伝えられる。このメッセージは、その大部分がノンバーバルコミュニケーションによって構成されている。和田(1990)によると、このノンバーバルコミュニケーションは、特に会話コミュニケーションにおいて、注目されている。Mehrabian(1968)が行った実験では、あるメッセージにおいて、その伝達された内容の90%以上がノンバーバルコミュニケーションによるものであった。これらのことから、会話場面における対人関係を円滑にする上でノンバーバルコミュニケーションに注目する必要性があると考えられる。
渡部(2002)においても、対人恐怖心性の高い個人は、2者間の会話場面において、相互作用的なノンバーバルコミュニケーションをより少なく用い、かつノンバーバルスキルに対する自己評価が低いことを明らかにしている。このような対人不安とノンバーバルコミュニケーションとの関係は、対人場面において、Mehrabian(1981)が表情や動作などの非言語的情報は情緒性が強いと指摘したことからもうかがえる。よって、ノンバーバルスキルを高めれば会話時の不安も低減するのではないかと考えられる。
以上より、本研究では、対人不安に関わる要因として社会的スキルのひとつであるノンバーバルスキルについて検討する。
3.対人距離
ノンバーバルコミュニケーションには、顔の表情や目の動きなどの動作行動のほか、個人の空間の認知及び使用の仕方に関する空間行動などがある。
ノンバーバルスキルに関する研究には、特に視線行動を取り上げたものが多い。市河・車谷・香西(1989)は、従来のノンバーバルコミュニケーション研究のほとんどは視線行動に限られていると指摘している。
これに対し、ノンバーバル行動の一つである対人距離ついて、ノンバーバルスキルとしての対人距離の取り方に関する検討は少ない。しかし、対人距離を適切にとるということは、初対面場面という対人不安がより喚起されるであろう場面であっても、意識しやすく比較的簡便に社会的スキルトレーニングによってスキルアップができるもののひとつとして実行可能なのではないかと考えられる。若しくは、スキルアップの初歩としても取り入れることができるのではないかと考えられる。これらの有用性から、本研究では対人距離について検討する。
この対人距離とは、空間を用いたノンバーバルコミュニケーションの一種である。人は、対人場面において、さりげなく他人との距離を調整する。たとえば、相手が後ろに体をずらすような時には、近づきすぎたと考え少し遠ざかるように、相手との親密さ、公式・非公式の度合いに応じて相互作用する際に設定される距離のことを言う。ホール(Hall,1970)は、対人関係の親しさの度合い、役割行動などの関連から、自己の延長としての距離帯を以下の4つに分類している。
@親密距離(0〜45cm):相手の体温や匂いなどが感じられる距離(親密な間柄においてとられる距離)
A個体距離(45〜120cm):手を伸ばせば相手に触れることのできる距離(普通のインフォーマルな会話をする際の距離)
B社会距離(120〜360cm):努力せずには相手に触れることのできない距離(フォーマルな会話や階段の際の距離)
C公衆距離(360cm〜):相手との直接的関与の低い距離(講演などにおける話し手と聴衆の間にとられる距離)
村上(1976)は、思春期には他者に対する接触希求及びそれに伴う対人接触不安、対人恐怖症的傾向が強まり、対人接触における「間」の取り方にとまどいを感じ、実際にも対人距離をうまくコントロールできなくなるとしている。
また、渋谷(1990)は、人間関係を円滑にする術を心得ている人は、他人との距離をうまく、しかもごく自然に調整することができるはずであるが、こうした技能を持ち合わせていない人は、距離の微調整ができないために、相手を激しく攻撃したり、逆に、著しく怯えてしまったりするのではないかと考えられると述べている。
以上より、親しくない他者との関係において、対人距離を近くとると不安感情が高くなり、対人距離を遠くとると不安感情が低くなることが考えられる。つまり、適切な距離をとっていれば、他者と会話をする際に、不安感情を低減出来るのではないかと考えられる。よって、本研究では会話場面における、対人距離と不安感情の生起の関連について検討する。
4.対人距離と社会的スキルの関連
社会的スキルである言語的・非言語的な行動レパートリーが欠如することによって、対人関係の中で相手の気持ちを読み取ることができなかったり、相手の考えを受け取って自分の意見を伝えることができないなど、自分に不利益な状況を作り出してしまうことが多くなる。そのため、結果として「人付き合いがうまくできない」と感じたり、「相手とうまく分かり合えない」という対人不安が生じると考えられている(渡部,2002)。
また、具体的にどのような行動レパートリーが欠如しているのかについては、対人不安の高い人は低い人に比べて話す量が少ないことに加え、相手と目を合わせず、表情に乏しく、自分から話題を提供することが少ないなどの報告がなされている(Peterson, Fischetti, Curran & Arland, 1981など)。このことから、社会的スキルの一つであるノンバーバルスキルが低いことによって、不安感情が高まりやすいことが考えられる。
また、青野(1979)は、特に青年期において、好き嫌いによる対人距離の取り方に大きな変動が見られたと述べている。青年期は対人恐怖心性がより顕著となると指摘されているが、青年期においてより対人距離の次元が顕著に意識されているとも考えられる。これにより、話し合いなど会話場面で相手と適切な距離をとって話すことが、対人コミュニケーションにおいて重要な要素だと言える。
これらのことから、対人距離を統制すると対人距離を自分にとって快適な距離に保つことができないため、特にノンバーバルスキルが低い場合、会話前後の不安感情の変化に影響を及ぼすことが考えられる。青野(1979)によれば、青年期の男性は特に対人距離を遠くとるため、ノンバーバルスキルが低い場合、近距離にした場合会話時の不安が会話前に比べて増えることが考えられる。
5.仮説
これまで述べてきたことから、本研究では、対人距離の違いによって不安感情の変化に違いはあるか、さらに、距離の統制下においてノンバーバルスキルの高低がどのように不安感情と関わっているかについて検討する。以下に本研究における仮説を挙げる。
1. 対人距離によって不安感情の変化に違いが見られる。
2. ノンバーバルスキルが低いと、会話場面において対人距離が近いとき、会話後の不安感情が会話前に比べて高くなる。